ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】お金に執着心はないけれど、お金が原因で行動が制限されるのは違うな

 

 おはようございます。前にもツイートしましたが、3連休のいいところは、休みが3日あることではなく、翌週が4日で終わることだと思います。4日間なら何とかがんばれる。そう思わないかい。どうも、インクです。

  

お金に執着心はないけれど、お金が原因で行動が制限されるのは違うな

  給料明細をほとんど見たことがありません。銀行でお金を下ろすときに、今月使えるのはこのくらいだなと確認する程度です。幸運なことに、ごはんは食べれているし、ある程度のほしいものを買うことはできています。「まあ、毎月給料が入ればそれでいいか」くらいに思っていました。

 しかし、最近になって「お金」が原因で行動が制限されることが多くなってきました。週末に遠出したいのにホテル代を出すのが厳しかったり、おもしろそうな舞台があるのにチケット代を払うのが厳しかったり、ということがいくつか重なったのです。当然のことながら「お金」がなければ、遠出もできませんし舞台を観にいくこともできません。お金さえあれば...。誰もが陥ったことのある状態だと思います。

 このような状態に陥る度に、「貯金しておけばよかったな」と後悔することになります。たしかに、あのとき無駄遣いをしていなければ、今週末に遠出することができたかもしれません。お菓子を控えておけば、舞台を観に行けたかもしれません。過去を振り返れば、使わなくてもよかったお金はいくらでもあるでしょう。

 そんなときにふと、「どうして我慢することをベースに考えているのだろう」と思いました。「貯金」は、「我慢」の位置をスライドさせる行為です。「今お菓子を食べることを我慢して、後で舞台を観に行こう」ということです。ちょっと待てよ。本当なら、「お菓子も食べて舞台も観に行く」という選択肢もあるのではないか?どうしてどちらかを捨てることを前提に考えているのだろう?

 すごく当たり前なことかもしれませんが、自分の中のそもそもの選択肢から「両方とる」が削除されていたことに驚きました。つまり、「お金はこれ以上増えない」ということを前提として考えていたということです。「お金」さえ増やすことができたら、両方とることができるのです。両方選べるのなら両方選ぶにこしたことはないと思いませんか。

 ただただ当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、ほとんどの定職に就いている人の思考は「我慢ベース」でできているような気がします。前提の中に「両方とる」という選択肢がないので、その先の分岐点で思考するしかありません。「限られたお金をどう使うか」で頭を悩ませるしかないのです。

 それに気がついたとき、はじめて「稼ぎたい」と思いました。「自由になるために稼ぎたい」と思いました。「お金」は、人生の選択肢を増やすための道具です。その点では「勉強」にも似ているかもしれません。選択肢は多いに越したことはありません。「選べない」と「選ばない」は、似て非なるものです。「お金」を稼いで「選べる」ものを増やしていきたいなと思いました。

 

  

 ここまで読んでくださった方のほとんどが「そんなことはみんなが思ってるよ!」とツッコミを入れているのではないでしょうか。たしかに「お金」は誰もが欲しいと思っているでしょう。そのために大人たちは一生懸命働いています。

 しかし、そうやって働いていく中で結局は「我慢ベース」の思考へと変化してしまっていませんか。きっとほとんどの人が、そうやって現状に折り合いをつけながら生きていくのだと思います。本当の意味で「自由」を求めている人なんて案外少ないのかもしれません。ほどよい現状に満足しているからです。

 このゆるい幸せがだらっと続いた窮屈な現状から抜け出して、自由になりたいものです。そのためには「お金」から目を背けるわけにはいきません。これからは「お金」とも正面から向き合って生活していきたいと思います。今日も1日がんばりましょう。