ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】子どもの時間なら奪ってもいいと思っている人が多い

 

 おはようございます。ようやく、動かなければ汗をかかない季節になってきました。このくらいの気温がずっと続けばいいのになあ。と、毎年思っています。どうも、インクです。

 

子どもの時間なら奪ってもいいと思っている人が多い

 この世の中で唯一、誰にとっても平等なのが「時間」です。 子どもだろうが大人だろうが、低所得者だろうが高所得者だろうが、誰でも1日24時間です。さらに言えば、時間はその人の命そのものです。だらだらしようとも、本を読もうとも、運動をしようとも、その時間分の命が短くなります。

 つまり、45分の授業を行うということは、クラス全員の45分の命を消費するということです。言い過ぎだと思うかもしれませんが、これは事実です。考えてもみてください。45分の授業が1日6時間あれば、全部で270分になります。270分あれば何ができるでしょうか。しかもそれが月曜日から金曜日まで続きます。1年間続きます。どれだけ膨大な時間を消費することになるでしょうか。

 まだ、子どもたちに選択肢が与えられているのなら「自分が決めたことだろ」「嫌なら違うところへ行けばいい」と言い訳をすることができますが、現状として子だちにはほとんど選択肢がありません。義務教育として、言われるがままに学校へ連れてこられ、席について授業を受けているのです。そして、その席で膨大な時間を消費していくのです。だからこそ、先生はこの45分を決して無駄にしてはいけません。本人の意思ではなかったとしても、目の前の子どもたちはあなたに45分の命を預けてくれているのです。

 そんな軟禁状態にある学校という空間の中で、子どもたちが唯一自分の意思で使い方を決められる時間があります。それは「休み時間」です。「休み時間」だけは、大人の制約を受けることなく自由に時間の使い方を決めることができるのです(学校の敷地外へ出られない時点で本当の自由ではないのですが)。

 しかし、大人たちはそんな「休み時間」までをもいとも簡単に奪おうとします。「中途半端だから最後までやってしまおう」と授業時間を延長したり、「委員会活動の打ち合わせをするよ」と教室に集めたり、「少しでも長く運動会の練習をしよう」と本来の開始時間よりも早く練習を始めたり、やりたい放題です。子どもの時間なら奪ってもいいと思っている人が多すぎます。

 そんな簡単に他人の時間を奪う人たちに、いくら「時間は大切だ」「時間を守ろう」と言われたところで説得力があるはずがないでしょう。仕舞いには「あなたのせいでみんなの2分が無駄になりました」だなんて言い始めるのです。そんなお前と過ごす1年間が無駄だよ!という話です。

 しかし、その一方で、このシステムには無理があることも分かっています。子どもたちが自分の意思で学校を選び、自分の意思で先生を選んでいない限り、関係性がフェアになることは絶対にありません。そうならないのは、「子どもには自分の道を選択するほどの判断力がない」と大人たちが思っているからです。

  そんな関係性をできるかぎりフェアなものにするために、「学区制の廃止」や「クラス担任制の廃止」などの動きが少しずつ見られるようになってきました。教師という立場から言わせてもらうならば、「嫌なら違うところへ行けばいい」が通用するシステムになってくれたらなと思います。

 

 

 この記事を読む5分の命を、今まさにあなたからいただきました。他にいくらでもコンテンツが溢れている中で、貴重な5分をここで使ってくださってありがとうございます。もし、「この5分の命をこんなところで消費するべきではなかった...」と思った方がいらっしゃったら明日以降の記事は読まなくてもかまいません。貴重な命です。自分の意思で大切に使ってください。

 もし、「5分くらいならあげるよ」という方がいらっしゃるのなら、明日以降の記事もぜひ読んでください。過去の記事も全部読んでください。なんなら10分かけて丁寧に読んでください。そして、さらに5分かけてコメントを書いてください。こちらとしても、どんどん命をいただくつもりで更新していきます。くれぐれも命は大切に。残された時間は驚くほど短いですよ。今日も1日がんばりましょう。