ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

Twitterのいいところは妙な社交辞令をすっ飛ばして話せるところなんだけどな

 

 大人になってバラエティ番組を観ると、「助け合い」で場が回っていることがよく分かります。それぞれがそれぞれの役割を自覚しながらも、ひとりの出演者として爪痕を残さなければならない。なんて過酷な環境なのだろうと思います。

 そんなこともつゆ知らず、視聴者は「あの人はつまらない」「あの人は嫌い」と簡単に言ってのけます。「それが芸能界だ」「はじめから分かっていたはずだ」と言ってしまえばそれまでですが、芸能人だって私たちと同じ人間なのになと思います。

 YouTuberとして活躍しているカジサックがまさに実行していますが、スポンサーという制約から解放されたら、芸能人って本当におもしろくて魅力的な人がたくさんいるのだろうなと思います。どうも、インクです。

 

もちろん害もあるけれどインターネットは世界の広さを知るひとつの手段だと思う

  インターネットの世界に入り込んだのは中学生のころでした。当時は携帯電話も持っておらず、友だちとの連絡手段は電話しかありません。インターネットは、リビングに置いてあるパソコンで調べものをするときに使うくらいでした。

 そんなときに出会ったのが「みんなのチャット」というサイトでした。懐かしいと感じる方もいるのではないでしょうか。サイト名にもある通り、いたってシンプルなチャットサイトです。しかし、当時の中学生にとっては衝撃的でした。ほとんどリアルタイムでメッセージのやりとりができる。「これが未来か」と思いました。インターネット界のファーストインパクトでした。

 そんな「みんなのチャット」を知ってから、割とすぐにセカンドインパクトがやってきました。そのころは中学校の友だちと時間を決めて、ひとつのチャットルームに集合し、楽しんでいました。しかし、みんなのチャットは基本オープンチャットですので、チャットルームに知らない人が入ってくることもありました。そんな場所で割と個人的な会話をしていたので、とある方がこんなアドバイスをしてくれました。「個人的な話がしたいのならSkypeですればいいのに」と。Skype?なんだそれ?というかんじでした。しかし、これがとてつもなく大きなセカンドインパクトだったのです。

 この方の勧めに従って、Skypeを調べてみました。入念に調べた結果、どうやら無料であることには間違いないらしいということが分かったので、インストールしてみることにしました。今思えば、人生で初めてインストールしたソフトウェアがSkypeかもしれません。インストールが終わったら、すぐにアカウントを作り、友だち登録を済ませました。すると「みんなのチャット」と同じように、リアルタイムチャットをすることができました。しかも知らない人が入ってくる心配もないクローズドチャットでした。

 それだけでも十分衝撃的だったのですが、何よりも驚いたのが無料通話機能です。パソコンから友だちの声が聞こえてきたときの感動は今でも鮮明に覚えています。電話ではなくパソコンを通して話をすることができたのです。きっと今の中学生にはこの感動が伝わらないのでしょう。

 その後、アメブロアメーバピグmixiという道を通ってここまで来ました。今となってはどれも懐かしいものばかりですが、当時はすべてが革新的でした。まわりの子たちと比べても、インターネットを触り始めるタイミングも早く、深入りしていたと思います。「嘘の情報が〜」とか「知らない人は危険だから〜」とか、いろいろと言われるインターネットですが、今思うことは「早いうちからインターネットの世界を知っておいてよかったな」ということです。

 

 

 Twitterのいいところは妙な社交辞令をすっ飛ばして話せるところなんだけどな

  Twitterがサービスを開始したときの記憶も鮮明に覚えています。「ツイートとは『つぶやく』という意味で〜」とニュースキャスターが話していました。そのころにはすでにインターネットにどっぷりと浸かっていたので「mixiやアメーバにも似たような機能があるのに一体だれがつかうのだろう?」と思っていました。まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。

 そんなTwitterですが、年月を重ねるごとに、現実世界との結びつきが生まれるようになってきました。いわゆる「リア垢」というやつです。中高生の中では、クラスメートのアカウントを相互フォローしているのがもはや基本になっています。その影響もあり、周りの目を気にしてツイートしなければならない環境が生まれました。それが嫌で、「リア垢」をつくらない人が出てきたり、匿名の「裏垢」を作る人が出てきたりしました。今となっては、複数アカウントがもはや一般的なのかもしれません。

 そんな現実世界との兼ね合いもありTwitterの良さである「なんでも気軽につぶやける」が揺らぎつつあります。「FF外から失礼します」だとか「現実世界では何も言えないくせに」とかいう発言もよく見られるようになりました。Twitterのいいところは、妙な社交辞令をすっ飛ばしてふだん言えないことを言えるところなのになと思います。不必要な社交辞令やら礼儀作法やら空気の読み合いは現実世界だけで勘弁してほしいものです。

 

 

偏っている人は一定数には嫌われるかもしれないけれど少なからず魅力的

  まずは下の図を見てください。この世の中のイメージ図です(『世の中』だなんていうとなんだか大袈裟ですが...)。

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 それぞれのトゲが「分野」だと思ってください。「教育」かもしれないし「お笑い」かもしれないし「音楽」かもしれません。それぞれの「分野」は先へ行けば行くほど、人の数が少なくなります。ほとんどの人は真ん中の広いスペースに集まっています。その方が安心だからです。

 トゲの先の方に行く人(赤丸の人)は、よぼどの物好きなのでしょうか。ほかに通った人がいないので、より先に進むためには自力でトゲを伸ばすしかありません。伸ばして先に進めば進むほど、それに比例して孤独になります。誰もいない道をひとりで突き進むしかないからです。

 しかし、そんな孤独に耐えて突き進んだ人にしか見えないものがあります。真ん中で安心している人たちには絶対に見ることのできない景色です。そこには間違いなく喜びがあります。しかし、それと同時に孤独感も倍増します。その景色の素晴らしさを真ん中の人たちにいくら話しても伝わらないからです。

 あなたはその景色を見るためにトゲの先へと進みますか。それとも、安心感を得るために真ん中に留まりますか。

 

 

 テレビ東京の番組『ゴッドタン』の企画のひとつに「腐り芸人セラピー」というコーナーがあります。そこで断トツに輝いているのがハライチの岩井です。彼は相方の澤部も含むゴールデンのひな壇に出ているような芸人を揶揄して「お笑い風」と呼びました。

芸能人が笑ってる ゲラゲラ奇妙に笑ってる

まったくおもしろくないことでバカみたいに笑ってるよ

インスタで話題 どうでもいい

大御所の自慢 聞き飽きた

番宣役者を持ち上げて

芸人たちがそれっぽく笑いに変えて見せている

そんなもの お笑いじゃない

お笑い風 おれはそう呼ぶ

 これは同じく『ゴッドタン』の「マジ歌選手権」という企画で、岩井が作詞した歌の歌詞です。ことばには棘がありますが、言わんとしていることは素人の私たちにも分かると思います。バラエティ番組に出演している芸人は、「お笑い」が得意なのではなくて「助け合い」が得意なのかもしれません。

 実際に岩井自身も同じようなことを言っており、それはそれで価値があると認めています。その上で、あくまでもそれは「お笑い」ではないだろうという主張なのです。

 あえてこのまま岩井のことばをつかいますが、この「お笑い」と「お笑い風」のちがいに敏感だったのが「ラーメンズ」です。彼らは「テレビと舞台ではやることが違いすぎる」「テレビにはテレビのプロがいる。舞台には舞台のプロがいる」と主張し、舞台で生きる道を選びました。これだけ尖っておきながら、しっかりと結果を残し、今でも絶大な人気を博しているところが彼らのすごいところです。

 この「お笑い」「お笑い風」の話は、きっと他の分野にもあてはまるのだろうなと思います。このご時世に、敵をつくってしまうことを恐れずに言いたいことを言った岩井と、それができる場を用意した『ゴッドタン』という番組は本当にすごいなと思います(終始敬称を略していることはご容赦ください)。

 

 最後に、大好きなラーメンズのコントをひとつだけ紹介しておきます。ぜひ。

www.youtube.com