ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

熱を冷まさないことよりも冷めたときに残るものを大切にしよう

 

 Tシャツが1万円と聞くと、ほとんどの人が「高い!」と思うでしょう。そう思うのは1000円のTシャツを知っているからです。「高い!」と思うのはかまわないのですが、時々「Tシャツに1万円を払うなんてありえない」「そんなにお金をかけるなんておかしい」と言う人がいます。繰り返しになりますが、そう思うのは1000円のTシャツの存在を知っているからです。

 1000円のTシャツをつくっている人たちは一体どれだけの給料をもらっているのでしょうか。どのような環境下で働いているのでしょうか。1000円のTシャツを着ている私たちにはまったく見えない部分です。はたしてほんとうに1万円のTシャツがおかしいのでしょうか。1000円のTシャツが当たり前なのでしょうか。

 どうも、インクです。

 

残業代を出してくれというよりも残業しなくても済む業務量にしてくれ

  「給特法によって教員には残業代がでない」という話は、ここ最近のトレンドなので聞いたことのある方も多いと思います。スマートフォンの料金のプランになぞらえて「定額働かせ放題」だなんて言われていますね(話が違う方向に進んでしまうので4%の教職調整額は一旦置いておきます)。

 「お金はいいから時間を大切にしたい」という思いで上のようなツイートをしました。昇給よりも定時退勤を望む。どうやら最近の若者に多い傾向らしいですね。ひとりの若者として、わりと素直な思いです。

 しかし、先日こんな話を聞きました。「残業代を出す制度が整えばコスト削減として必然的に業務が減らされることになる」というものです。ただただ「なるほどなあ」と思いました。これまでは、「お金」と「時間」を分けて考えていたので上のようなツイートをしたのですが、確かに両者は密接に関わっています。「お金だけをなんとかしよう」「時間だけをなんとかしよう」という考え方はもしかすると間違っていたのかもしれません。

 もちろん予算の問題や教員の勤務態様の特殊性を考えると、そう簡単に解決できるものではないと思いますが、世間の目が向いているうちに現場から声を上げていけたらなと思います。

 

 

宗教を怪しいものだと思い込んでいる時点ですでに洗脳されている

  このブログでは度々登場するラッパーの呂布カルマが、自身のスタイルを「新興宗教家のようだ」とディスられたときのアンサーがこちらです。

HIPHOPってのはまさに宗教そのものだから俺がそれを体現しているわけだよ

 このアンサーが強いのは間違いなく、宗教であることを認めているからです。 「宗教」ということばを聞くと、どうしても胡散臭さや怪しさを感じます。きっと過去におこった事件やテロ等の問題を連想させるからでしょう。しかし、歴史を振り返ってみると、「宗教」は国全体をも動かす力をもっています。今でこそ日本は無宗教だなんて言われていますが、仏教に救われた時代があったり、儒教の学問体系である朱子学が広まったりと、「宗教」と密接な関わりをもっていることには違いありません。

  決して「宗教」に詳しいわけではないので迂闊なことは言えないのですが、大きな目で見ると「宗教」は「集団を形成するために共有される思想」だと思います。間違っていたらすみません。そう考えると、根っこの部分では「音楽」にだって「会社」にだって「教育」にだって通ずる部分があるはずです。

  それを「宗教」ということばの響きだけで、拒絶してしまうのはどうなのかなと思います。先ほども書いた通り、「宗教」には国をも動かす力があります。逆に言えば、国を動かすためには「宗教」をコントロールする必要があります。今のこの「宗教」を毛嫌いする風潮の中には、きっと誰かの意図が込められているのでしょう。「宗教」が嫌われていた方が都合のいい人たちがいるのです。そこを疑うこともなく、「宗教=怪しいもの」と捉え、批判のことばとして「宗教みたい」と言うのははたしてどうなのでしょうか。

 ...なんてことを考えていたのですが、あまりにも「宗教」に関する知識がなさすぎてなんの説得力もないので、「宗教」について少し勉強してみたいなと思いました。(宗教については前々から気になっていたので、関連する過去の記事をひとつだけ貼っておきます。)

taishiowawa.hatenablog.com

 

 

熱を冷まさないことよりも冷めたときに残るものを大切にしよう

 何か大きな感動があったときの熱量をいつまでも保ち続けられる人なんてほとんどいないと思っています。稀に冷めることを知らない人を見かけますが、それはもはやひとつの才能だと思います。

 「熱いものはいずれ冷める」ということは自然の摂理ですので、熱を冷まさないことよりも冷めたときに残るものを大切にしようと思います。むしろ、冷めたときに残っているものこそが自分にとって大切なものなのではないでしょうか。

 

 

 冒頭で書いたTシャツの話に似たことを子どもたちにも話したことがあります。使い込まれた2cmくらいの鉛筆を見せて「どう思う?」と尋ねました。すると、子どもたちは当然「短い!」と答えました。

 「じゃあ、もし世界中に鉛筆がこの1本しかなかったとしたらこれを短いと思う?」と訊きました。子どもたちは思いの外、真剣に耳を傾けてくれました。少し考えた後、「その鉛筆しかなかったらそれが短いのかどうかも分からない」と答えました。

 これが今の自分が思う勉強することの価値です。知識を増やすということは、自分の判断基準をより研ぎ澄ませるということです。おもしろいものを見逃すことなくおもしろいと判断し、逆におもしろくないものはおもしろくないと判断することができるようになる。これが勉強だと思います。

 きっと様々な経験をする中で、この考えも変わっていくと思います。将来読み返すと「あのときは何を言っていたのだろう」と思うかもしれません。しかし、今この瞬間にことばとして記録しておくことが大切だと思ったので、恥ずかしげもなくつらつらと稚拙なことを書いています。

 

 最後になりましたが、考える機会をつくってくださった方々、本当にありがとうございました。そして、最後まで拙い文章を読んでくださった方も本当にありがとうございます。これからもぜひよろしくお願いします。