ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

謙虚な人は苦手です

 

 住職さんが法衣を着て原付で走っている姿をよく見かけます。服装と乗り物とのギャップが大きい分、いくら見慣れたとはいえ目を引きます。どうして原付なのかを調べてみると、バイクのように跨る必要がないからだそうです。法衣を着たまま跨ることはできませんもんね。さらに、お寺や神社へ向かうためには細い道を通らなければならないことも多いらしく、車よりも原付の方が使い勝手がいいそうです。住職さんと原付の組み合わせにはやはり必然性があったのですね。どうも、インクです。

 

セブンのアメリカンドッグ変わった!?

  コンビニの中で食べ物が一番おいしいのは間違いなくセブンイレブンです。美味しそうに見せるパッケージ技術もセブンイレブンが断トツです。ちなみに「断トツ」は「断然トップ」の略語だそうです。最近はじめて知りました。

 そんな断トツなセブンイレブンで、先日久しぶりにアメリカンドッグを買いました。高校生のころはよく部活の帰り道に買って食べたものです。しかし、先日買ったアメリカンドッグは当時のアメリカンドッグとはまったくの別物でした。あの表面のカリカリがなくなり、外も中もふわふわな半端者になってしまっていたのです。

 一口食べたとき、自分の味覚を疑いました。あれ、こんなかんじだったっけ?

 二口食べたとき、自分の記憶を疑いました。あれ、違うコンビニに行ったんだっけ?

 三口食べたとき、悲しみがやってきました。あのころのアメリカンドッグはもういないんだ。外がカリカリで中がふわふわなあのアメリカンドッグ。部活終わりの空腹を満たしてくれたあのアメリカンドッグ。青春をともにしたあのアメリカンドッグ。少し離れただけで、もうあのころの姿は失われてしまっていました。

 離れてしまった自分が悪かったのかもしれない。その日は一晩中アメリカンドッグを思い、呑み続けました。呑んでは寝て、呑んでは寝ての繰り返しです。それから約1週間経った今でも決して傷が癒えたわけではありません。ただ、きっとアメリカンドッグもこう言っているはずです。「過去にとらわれずに前に進みなさい」と。アメリカンドッグのためにももう涙を流すことは辞めようと思います。アメリカンドッグはずっと心の中にいます。ありがとう、アメリカンドッグ。

 

 

昼の番組に出てるコメンテーターは顔も名前も晒しているのに匿名性をもっている

 夏休みに入ったことで、かなり久しぶりに昼間のワイドショーを観る機会がありました。ぼんやりと観ていただけなので、具体的な内容はあまり覚えていませんが、小泉進次郎滝川クリステルの結婚の話が多かったことだけは印象に残っています。

 もちろんその番組には、複数のタレントやコメンテーターやアナウンサー が出演していたのですが、数日経った今では誰一人顔や名前を思い出すことができません。間違いなく顔と名前を「テレビ」という大きなメディアで晒していたはずなのに、視聴者の記憶にはまったく残っていないのです。

 もちろん「視聴頻度」は大きく関係していると思います。毎日その番組を見ていれば、顔も名前も覚えるでしょう。しかし、たまたまその番組を観た視聴者にとっては、テレビ画面を通して述べられているコメンテーターの意見は、ネットに書き込まれた匿名の意見とほとんど変わらないのです。

 つまり、「匿名」のもつ本質は「顔や名前などの情報が提示されているか」ではなく、「認知されているか」というところにあるということです。どれだけ顔や本名を晒して発言しても、認知されていなければ、もはや匿名の発言とほとんど同じだということです。

 かつてのインターネットでは、顔や名前を晒すなんて死を意味していました。しかし、SNSの拡がりによって顔や名前を晒すことへのハードルがぐんと低くなりました。本名のアカウントのトプ画には自撮りの写真を設定し、プロフィール欄には通っている学校やクラスまでもが書かれています。

 顔や本名を晒した上での発言に価値が生じていたのは、誰も晒していなかったからです。逆に言えば、誰もが顔や名前を晒すようになった今では、自撮り写真もアニメアイコンも、本名もハンドルネームも、なんら変わらないようになってきているのかもしれません。

 

 

謙虚な人は苦手です

  「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざがあります。意味はそのままです。分からなければ調べてください。

 「謙虚」と聞くとなんだかいい印象がありますよね。調子に乗っておらず、慎ましく堅実な印象です。そんなつまらない印象操作のせいで、謙虚を強要する風潮があることは事実です。あまり「日本人」という主語はつかいたくないのですが、やはり日本人に多く見られる傾向だそうですね。

 そんな謙虚な人が苦手です。「謙虚さ」って言い換えると「バリア」なんですよね。エヴァで言うところのATフィールドです。少し言い過ぎかもしれませんが、「謙虚さ」とは本音を押し殺した嘘です。もちろん、その嘘に悪意はありません。相手もその嘘が嘘だと分かっているので、あくまでも儀礼として成立はしています。

 まだしもこの「バリア」が最初だけなら構わないのですが、いつまでも謙虚であり続けようとする人がいます。「いえいえ、そんなことないですよ!〇〇さんには及びません!」「私なんか!そんな!とんでもないです!」「私にはもったいないですよ!〇〇さんの方が絶対にふさわしいですよ!」という具合です。ここまでくるともはやただの嘘つきです。本人は礼儀正しく振る舞うために努力しているつもりなのでしょうが、あまりにしつこいと逆効果になってしまいます。偏見でしかありませんが、そういう人に限って「こんなにがんばっているのにどうしてうまくいかないんだ!」なんて言い始めます。

 「そうなんですよ!頭いいんですよ!」「かわいいことくらい知ってますよ!」「私に任せてください!絶対成功させます!」、こんな人の方が好きです。ただし、あくまでも「謙虚さなんていらない」と言っているわけではありません。これらの発言の裏には「謙虚さ」を持っている必要があります。高度なテクニックですが、「謙虚さ」はことばで伝えるものではありません。「ほどよく生意気なことば」「謙虚な態度」がコミュニケーションには大切なのではないでしょうか。

 

 

 「アメリカンドッグ」や「ホットドッグ」に、なぜ dog(犬)がつくのだろう。アメリカの犬...?熱い犬...? 気になったので調べてみました。

 もともとは、ドイツのフランクフルトで作られた長いソーセージを使用していたことから、ホットドッグは「フランクフルター」と呼ばれていたそうです。ちょっとかっこいいですね、フランクフルター。「すみません。フランクフルター1つください」

 それが後に、アメリカに輸入されました。そこでアメリカ人はこう思ったそうです。「あれ、この長いソーセージ、ダックスフンドじゃね?」と。「ソーセージとダックスフンドの見分けがつかなくて草」と。「マックで隣の席の女子高生がフランクフルターのことダックスフンドって言っててコーヒー吹いた」と。

 つまり、「アメリカンドッグ」や「ホットドッグ」に含まれる dog は本当に犬を表しているそうです。ひとつ勉強になりました。今も昔も、人間の考えることなんてほとんど同じだということですね。

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