ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】学習の多くは最初から分けられすぎている

 

 おはようございます。小学3年生から中学3年生までのあいだは、ずっとサッカーをしていました。それほど上手だったわけではないのですが、レギュラーメンバーとして試合には出つづけていました。

 ポジションは、主にサイドバックやボランチでした。守備をしながら攻撃にも参加するという、なかなかにハードな役割を担っているポジションです。

 もちろん、それがおもしろさでもあるんですけどね。本当によく走っていたなと思います。そんな中でも特に気持ちのよいプレーがひとつあります。

 それは「オフサイドトラップ」です。サッカーを知らない人には難しいと思われがちな「オフサイド」というルールですが、これがまあおもしろいわけです。

 ディフェンダー全員で息を合わせて、一気に相手の不意をつきます。あのときの呆気にとられた感じがまたよいわけです。よくわからない人は動画をさがしてみてください。ほかのスポーツでは考えられない動きをしているはずです。どうも、インクです。

 

学習の多くは最初から分けられすぎている

 「分ける」は「わかる」だ。そんなことばを耳にしたことのある方も多いのではないでしょうか。大きなものごとをそのまま捉えることはできないからこそ、小さく分けて理解しようとするわけです。

 正確に言えば「分ける」は「わかったつもりになる」なのかもしれません。本当の意味で何かを「わかる」ことなんて、できないのかもしれません。

 ただ、ここを掘り進めてしまうと際限がなくなってしまうので、いったん置いておきましょう。「分けるはわかる」を前提として話を進めたいと思います。

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 たとえば「忘れものを防ぐための対策」を考えるときには「感情」と「技術」と「システム」に分けて考える必要があると言えるでしょう。「やる気があれば忘れものをしないはずだ」なんてことを言って、感情だけで片付けようとしてはなりません。

 「玄関にメモを貼っておく」だとか「手に書く」だとか「リマインダーを設定する」だとか、技術面でカバーする方法を考えることも非常に大切です。

 そして、よく飛ばされてしまうのがシステム面でのアプローチです。どうしても忘れてしまうのであれば「そもそも家に持ち帰らない」とか「家と出先の両方に同じものを置いておく」とか、忘れものをすることができないシステムに変更してしまえばよいのです。

 もちろんすべてが思いどおりにできるわけではありません。分けて、よく考えたあとは、もっともよい手段を選択する必要があります。ただそうして選ぶためにも、まずは分けなければならないのです。

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 このような「分ける」行為を、考えることだと捉えるならば、学校における学習は最初から分けられ過ぎているような気がします。教科で分けられ、単元で分けられ。しかもそれらが時間で分けられます。

 いちど分けられて体系化されたものを、後追いで学ぶのです。要するに、分ける(考える)機会がはじめから奪われているというということです。

 仮に、それらを知らされずに自分で分けることができたとしても、ある種の「答え」がすでに用意されてしまっています。説明的文章の読解を「算数」に分類してしまうと、間違いだと言われてしまうのです。

 自分の口で説明することができたらそれでよいと思うんですけどね。残念ながら、その説明をゆっくり聞いてやれるだけの余裕が、現場にはないわけです。 

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 はじめから分けられていて、楽なのは大人です。パッケージを開けて見せればよいわけですからね。分類して箱に詰めていく作業をする必要がありません。

 学習が時間で区切られるのも同じです。1コマの授業が45分と決まっているのは、完全に大人の都合です。そんなに時間をかける必要がない学習も、もっと時間をかけるべき学習も、本当はあるはずなのです。

 例えるならば、現代の学習はインスタント食品です。レンジでチンすれば、誰でもおなじ味がつくれます。材料を切る必要もなければ、味を整える必要もありません。焼く必要もなければ、ゆでる必要もなければ、煮込む必要もありません。はじめから分けられているものを、温めなおせばよいだけなのです。

 そして恐ろしいことに、大して料理ができなくても生きていける時代になりました。そんな時代だからこそ、改めて問い直さなければなりません。包丁の握り方を、本当に知らなくてもよいのでしょうか。インスタント食品を食べつづける生活が、果たして豊かなものであると言えるのでしょうか。

 はじめから分かれていてわかりやすいものが、必ずしも子どもたちにとってよいものだとは限らないということを、忘れてはならないような気がします。

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