ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】SNSの普及によって話しことばと書きことばがグラデーションになった

 

 おはようございます。夏休みにやろうと思っていたことは、今でも「やろうと思っていたこと」のまま。それでこそ夏休みというものです。

 ツイッターを見ていると、2学期の教材研究がどうのこうのとか、オンラインでの勉強会がどうのこうのとか、いろいろと言っている人がいますが、そんなものに焦らされる必要はありません。何にせよ、今は夏休みなのですから。堂々とダラければいいのです。

 もちろん「他者のツイートを糧にしよう」と自分で決めたのなら、それはそれで構いません。ただ、自分で選んだわけでもないのに、勝手に焦らされてしまうのはもったいないなあと思うわけです。ここに何もやっていない人がいるので大丈夫です。安心してください。

 今すこしでも「本当はやってるんでしょ?」と疑った人は、いい加減にしてください。2学期の教材研究も、公開授業の指導案も、オンラインでの勉強会も、役に立ちそうな教育書も、一切手をつけていません。だって、夏休みなんだもの。

 今すこしでも「あなたは何だかんだでサラッとできちゃうタイプの人なんでしょ」と思った人は、もう末期です。完全に暑さにやられています。今すぐ、アイスクリームをふたつ買いに行ってください。そして、いっしょにダラダラしましょう。だって、夏休みなんだもの。どうも、インクです。 

 

SNSの普及によって話しことばと書きことばがグラデーションになった

 かつての書きことばは漢文でした。みなさんも中高生のころに一生懸命勉強したはずです。勧君金屈卮。満酌不須辞。花発多風雨。人生足別離。

 ただ、やっぱりこのままでは読みづらいし書きづらい。もっと生活の中でつかっていることばに近づけることはできないかしら。こうして、できあがったのが、みなさんご存知「ひらがな」や「カタカナ」です。今から1000年以上前、平安時代のお話です。

 そしてそこから、漢文の語順入れ替えられ、送り仮名がふられ、文語調の「漢文訓読体」が生まれるわけです。俗に言う「書き下し文」と言うやつですね。明治の初期に書かれた福沢諭吉の「学問のすゝめ」なんかは、完全に漢文訓読体です。

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 口語に慣れているわたしたちからすれば、やっぱり読みづらいんですよね。「学問のすゝめ」の冒頭くらいなら、知っているから何とかなりますが、初見の漢文訓読体の文章を読もうと思ったら、なかなかに疲れるでしょう。

 漢文でも読みづらい。漢文訓読体でも読みづらい。人々のそんなフラストレーションが溜まり、例の運動がはじまるわけです。そうです。「言文一致運動」です。言文を持って400メートルトラックを1周し、次の味方に繋いでいくという有酸素運動です。

 諸説あるようですが、この運動の発端はやはり、二葉亭四迷の『浮雲』だと言われています。書くときには速記された落語を参考にしたそうです。それにしても二葉亭四迷っていい名前ですよね。言いたくなりますもんね。二葉亭四迷、二葉亭四迷、二葉亭四迷。

 しかも、作品名が『浮雲』ですよ。非の打ちどころがありません。まあ今を生きている人間としては、二葉亭四迷よりも、東京事変のギタリストを務めたことでも有名な長岡亮介さんを先に思い浮かべてしまうんですけどね。

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 その後は、実験期間に入ります。翻訳では口語を試していた鴎外は『舞姫』や『即興詩人』では、文語に戻して書いています。若松賎子の『小公子』では「ありませんかった」という言い回しが用いられ、大きな注目を浴びました。

 当然現在の文章では、ほとんどの場合において口語が用いられています。やはり戦争の影響が大きかったのでしょう。GHQの介入もあり、法律のことばが文語から口語へとガラリと変化したそうです。まあ、このあたりのことは調べればいくらでも出てくるかと思いますので、こんな1個人のブログの情報なんて信用せずに、自分で調べてみてください。

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 実は今日の記事で書きたかったことはここからで、SNSも「話ことばと書きことばの距離感」に大きな影響を与えたのだろうなと思ったのです。そもそも書きことばとは、いちどにたくさんの情報を届けるための道具として利用されてきました。本だってそうですし、手紙だってそうです。もちろん「たくさんの人に届けられる」という特徴や「時を超えて届けられる」という特徴もあるんですけどね。一旦は「文量」という部分に着目して話を進めたいと思います。

 SNSの大きな特徴のひとつに「リアルタイムでやりとりができる」というものがあります。メッセージを送信した瞬間には、もう相手のもとにそのメッセージが届いているのです。そんなもの当たり前じゃないかと思っているかもしれませんが、それが可能になったのはわりと最近の話です。

 電子メールはいちどセンターに集められ、そこからアドレスをたどって、相手に送信されていたのです。だからガラケーを使ったことのある人は、きっと「センター問い合わせ」をしたことがあるはずです。好きな子からの返信をまだかまだかと待つアレです。

 要するに何が言いたいのかというと、これまでは書きことばのやりとりに時間がかかっていたので、1回のメッセージにできるだけ多くの情報を詰め込むしかなかったのです。まあ、郵便ポストに投函するお手紙に比べれば、メールのやりとりなんて大した時間差ではないんですけどね。

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 一方SNSは、先ほど述べたように、時間差なんてまったく気にせずにメッセージのやりとりができてしまいます。だからこそ、ひとつのメッセージに情報を詰め込む必要がなくなりました。またすぐに次のメッセージを送ればいいだけですからね。

 そうです。この短いメッセージのやりとりは、まさに対面した状態での会話に限りなく近いのです。相手の反応がすぐに返ってきますからね。それに合わせて、次々と短いメッセージを往復させればいいわけです。つまり、テクノロジーという面で、話しことばと書きことばがぐんと近づいたのです。

 その結果として生まれた新しいジャンルが「ライトノベル」です。それほどたくさん読んできたわけではないので迂闊なことは言えないのですが、ラノベはまさに口語体の最先端なのではないでしょうか。

 限りなく文語に近い書きことばから限りなく口語に近いかきことばまで、幅が広がり、間がグラデーションになりました。ただその一方で、限りなく文語に近い書きことばは間違いなく減ってきています。

 このように考えていくと、書きことばはすこしずつ話しことばに近づいているということになります。「たくさんの人に届ける」や「時を超えられる」という特徴も YouTube 等の動画媒体を用いた話しことばでカバーできてしまうかもしれません。

 「いずれは書きことばがなくなってしまうかもしれない」というのはさすがに言い過ぎかもしれませんが、その在り方が変化し続けてきたことは事実です。もしかすると「うわ、令和はまだ文字をつかっていたんだ!」なんて時代がやってくるかもしれません。

 話しことばには代替できない書きことばのよさってなんでしょうか。この機会に考えてみてもおもしろいかもしれません。

 

【お知らせ ①:明日】

 ついに情報解禁です。ツイッター上で教育関係の漫画を公開されている こちゃさん(@cocha51)との公開企画会議が決定しました。ここで何かをやるのではなく「これから何をしましょうか」という話し合いをすべてZOOMで垂れ流します。

 ちなみに こちゃさん とはまだいちども話したことがありません。これからはじまる「何か」の第1歩です。目撃しておいた方がいいかもしれませんよ。リスナーとしての参加希望はツイッターのDMにて受け付けております。いつでもお気軽にどうぞ。

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【お知らせ ②:21日】

 知らぬ間にこちらは第4回になりました。らぱいんざWORLD のお知らせです。今回のゲストは まーくん こと fanta さん(‪@fanta_omeru‬)です。

 例のごとく、これまでにいちども絡んだことがありません。これぞこの企画の醍醐味ですね。ちなみに、グレープよりもオレンジの方が好みです。

 こちらも同じくツイッターのDMにて、聞き手を募集していますので、ぜひ遊びに来てください。

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