ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】気づけばあの人もあの人もいなくなる

 

 おはようございます。買い物には二種類あります。「買わなければならない買い物」と「買わなくてもいい買い物」です。たのしいのは後者です。わくわくするのも後者です。どきどきするのも後者です。うきうきするのも後者です。

 前者の買い物は楽しくありません。まったく楽しくありません。コンタクトレンズを買ってもわくわくしません。ガソリンを入れてもどきどきしませんし、家賃を払ってもうきうきしません。

 つまり、同じおかねを払うとしても、「買わなければならないもの」に支払うのと「買わなくてもいいもの」に支払うのとでは、まったく意味合いがちがってくるということです。10000円のTシャツを買っても、1000円のランチは注文しません。50000円のメガネを買っても、500円のボールペンは買いません。

 値段なんて、どこかの誰かが勝手につけたひとつの価値に過ぎません。誰かにとっては価値がないものだって、誰かにとっては価値があるということも十分にありえます。紙に書かれた数字に翻弄されていてはいけません。価値は自分で決めればよいのです。どうも、インクです。

 

気づけばあの人もあの人もいなくなる

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 2015年6月22日に更新したブログ「怒涛のレポート地獄に向けて」を確認すると、コメントが4件ほどついていた。このつまらないブログにも一定数の読者はいるようだ。ただ、内容がつまらないだけに、コメントもまあつまらない。

 

> 大変そうですね!💦 学校にバイトに忙しいだろうけど無理せずにがんばってね!

 

> 教育学部の学生は教材のレポートを書くんだね!蜘蛛の糸懐かしいなあ!いろいろと忙しそうだけどがんばってね(^ ^)

 

 インターネットにおける文章は、どうしてこうも句読点を打とうとしないのだろう。これだけの短文でも、語り口調や顔文字などから、年齢や性別がだいたい想像できるのがおもしろい。

 この人たちは、どのような経緯で僕のブログを読むことになったのだろう。ましてや、なぜわざわざこのようなコメントを残していくのだろう。つくづく疑問でしかない。

 

> 初めまして!σ(´∀`●) アタシあなたのブログ大好きです+(〃σIσ)゚ 今日はついに見てるだけじゃ足らずコメントしちゃいましたヽ(*´∀`)ノ実は最近、あなた自身にも興味がるんですけども…壁|ω-o)゚+. ポッ もしよかったら、お友達になってほしいです(σ´・v・`*)メールもらえたら嬉しいな(*・∀<*) それじゃ待ってますです(゜ー゜*)これが私のメアドだよ♪ ○△□×○△□×@gmail.com

 

 最近はすっかり見なくなったと思っていたが、まだ絶滅していなかったみたいだ。ということは、この時代でもまだまだ引っかかる人がいるということなのだろう。怪しいメールに返信をしてはいけません。そういう教育は、子どもよりもむしろお年寄りにしていくべきなのかもしれない。

 彼女からのコメントは最後にあった。記事の更新から2日後、つまりは昨日の夜、22時52分。いつもどおりの時間だ。夕食を済ませ、洗い物も終わり、ひと息つける時間なのだろう。

 

> ほう。発表に、レポートに、模擬授業とはなかなか大変そうですね。芥川で8000字ですか。作品は何か指定されているのですか?

 

 彼女には、私と同い年の息子がいる。ほかに子どもがいるのかどうかは知らない。予想では40代中頃といったところだろう。失礼な言い方にはなるが、いい歳をしたおばさんだ。何せ、僕の母と同年代だ。どう考えてもお姉さんとは呼べない。

 僕とは20歳以上の歳の差があるわけだが、なぜか不思議と話が合う。音楽や読書など、趣味が重なることも多く、ブログを書き始めたころからよくコメントをくれる常連さんだ。僕は彼女からのコメントを密かに楽しみにしている。

 初めの2件には適当に返信を書き、彼女への返信をじっくりと考えることにした。3件目のコメントはもちろん無視。

 

> かなり大変ですね(_ _) 芥川のレポートは特に指定はされてないんですが、今のところ『トロッコ』らへんで書こうかなーと思ってます!

 

 僕は一度入力したこのコメントを全選択し、バックスペースキーを押した。どうも馬鹿っぽい。少し恥ずかしい話ではあるが、僕は彼女に対して「大人っぽく見られたい」という願望がある。要は「息子と同い年なのに立派だわ」と思われたいのだ。

 

> なかなか大変です。芥川のレポートに関して、作品指定はありません。今のところは『トロッコ』を題材にしようかと構想中です。

 

 「何も変わってないではないか」とは言わないでほしい。僕から言わせればまったくの別物だ。文体は彼女に合わせてみた。ポイントは「構想中」という言葉だ。なんとも大人っぽくてかっこいい。僕は「送信」ボタンをクリックした。

 

 数日後、彼女のブログを覗いてみると新しい記事が更新されていた。内容はいつもと変わらず、近況報告から始まり、最近気になっている音楽や、読んだ本について書かれていた。彼女のブログは、今までに聴いたことのない音楽や、読んだことのない本を紹介してくれるので、僕としては非常にありがたい存在となっている。

 驚いたことは、今回の記事で紹介されていた本の中に、芥川龍之介の『トロッコ』が混じっていたということだ。私はさかさずコメントをした。

 

> トロッコ読んだんですね!どうでしたk?

 

 僕としたことが、興奮していたのだろうか。最後の「a」を打ち損ねてしまった。普段はあれほど熟考してから、慎重に打ち込んでいるというのに。残念ながらこのブログは、一度送信したコメントを編集することはできない。

 と、このような後悔と反省を同時進行させている間に、早速返信がきた。どうやら彼女もちょうどPCの前にいたようだ。

 

> 読みましたよ!昔一度読んだことはあるんですけどね。そのときも思いましたが、良平の気持ちがあまりにも鮮明に理解できるんですよね。この気持ちは私だけが持っているものだと思っていたのに、それを物語として表現している人がいて、驚いたことを今でも覚えています。

 

 いつも以上に長い返信で僕は少し嬉しかった。それと同時に、「なるほど、この人にはこのように見えているのか」と感心した。

 そして、このやりとりがあった後、僕はブログにも書いていたように本格的に忙しくなり始めた。無事、レポートを書き終えた後も、課題の波は次々と押し寄せてくる。発表、模擬授業、試験、実習。ブログからは離れざるを得ない生活が続いた。

 様々な課題に一段落がつき、落ち着いたのは、すべてのテストが終わった8月4日であった。この日、久しぶりにブログを開き、新しい記事を更新した。

 もちろん題名は『怒濤のレポート地獄を乗り越えて』である。たくさん抱えていた課題を無事終わらせられたこと、芥川のレポートもひとまずは意見をまとめて完成できたこと等を洗いざらいに報告した。

 

 後日、記事を確認するとコメントは2件であった。

 

> おつかれさまでした(><)  お互いに夏休み満喫しましょうね!

 

> レポートが終わってよかったです笑 ゆっくり身体を休めてくださいネ!

 

 彼女からのコメントはなかった。僕はこの2件に適当な返信をして、助言に従い、ゆっくりと身体を休めることにした。

 記事を更新してから一週間後、再びブログを確認してみたが、やはり彼女からのコメントはない。気になった僕は彼女のブログを覗いてみた。すると、そこにはこんな一文が表示されていた。

 

このブログは閉鎖しました。長い間ありがとうございました。

  

 僕たちはブログのみで繋がっている関係だった。LINEのやりとりをしているわけでもなければ、Twitterで相互フォローをしているわけでもない。もちろんメールアドレスも電話番号も知らない。

 僕と彼女を繋ぐものは「ブログのコメント」しかなかった。それが、突如なくなってしまったのだ。突然に。一方的に。

 

このブログは閉鎖しました。長い間ありがとうございました。

 

 何度アクセスしてもその文字列は消えなかった。彼女に何があったのかは分からない。ブログに飽きてやめてしまったのかもしれない。忙しくなってブログを書く暇がなくなってしまったのかもしれない。事故や事件に巻き込まれてしまったのかもしれない。それさえ僕にはもう知ることはできない。

 本当に、彼女は女性だったのだろうか。本当に、私と同い年の息子がいたのだろうか。本当に読書や音楽が好きだったのだろうか。本当に、彼女は存在したのだろうか。

 

 次の日、長く続けていた自分のブログを閉鎖した。

 

taishiowawa.hatenablog.com

 

 インターネット上の関係性は一方的に切れます。どれだけ親しくしているつもりでも、一方的に切れます。一度切れてしまったら、もう相手のことは何もわからなくなってしまいます。現在のことだけでなく、過去のことまでも本当だったのかどうかわからなくなります。

 

 それがインターネットです。現実世界とは少しちがいます。