ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】ツイッターって特定の他者に異を唱えることには向いていない

 

 おはようございます。6月ごろからはじまった、たった2か月の1学期が終わりを迎えようとしています。とにかくあっという間でした。

 短いから楽だったというわけではありません。短いということはそれだけ難しいということでもあります。長編よりも短編の方が難しいですからね。

 しかし本当に難しくなるのは、この先に待ち受ける2学期だと思っています。「しわ寄せ」とはよく言ったもので、本当の変化は2学期に現れはじめます。

 しかも、クラス単位ではなく学校単位で起こるでしょう。毎年のリズムが身体に染みついている分、ベテランの方が大変だろうなと思います。

 もちろん学校のことなんて忘れて夏休みを楽しむことが大前提ですが、あとで自分が苦しむことにならないように打てる手は打っておいた方がいいのかもしれません。どうも、インクです。

 

ツイッターって特定の他者に異を唱えることには向いていない

 建設的な議論なんてそう簡単にできるものではありません。ことばの定義がそろっていなければなりませんし、何よりも熱量が共有されていなければなりません。お互いに「よし、話すぞ」と思っているという前提があるからこそ有意義な時間になるのです。

 そういう意味でも、ツイッターは特定の他者に異を唱えることにはとことん向いていません。結局最後に行き着く先は、軽くあしらわれて「あいつは批判と誹謗の違いもわからない」か、しつこく絡まれて「だれの意見に反応するかは個人の自由でしょ」かです。

 そして、お互いにぶつくさと文句を言い合い、相手がわるいんだと主張して、TLに跡を濁しまくって立ち去ります。自分の方が大人な対応をしているんだとマウントを取り合うパターンもありますね。

 この流れをこれまでに何度見たことでしょう。今回はべつに「こういう人たちって愚かだよね」と貶して、マウント合戦に参加したいわけではありません。

 何度もくり返されているということは、そこには人の特徴が隠れているということです。また、それと同時にツイッターというSNSの特徴も見えてくるかもしれません。彼らはツイッターに何を期待し、何を求めて特定の他者に異を唱えているのでしょうか。

 ちなみに、これから述べることはすべて筆者の個人的な見解です。なんのエビデンスもカニデンスもありません。異は大歓迎ですが、そのつもりで唱えてね。

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 人はどこかに「他者を変えたい」という欲望を抱えていると思っています。どうして「他者を変えたい」と願うのかというと、自分が存在しているという証拠をのこしたいからです。

 他者が変わるきっかけをつくり出した「自分」という存在を明確なものにしたいのです。学校の先生が「やりがい」と呼んでいるものの多くは、この欲望に起因するのかもしれません。

 しかし他者はそう簡単に変わりません。はじめにも述べたように、熱量が共有されていないツイッターならなおさらです。的を射ているかどうかなんて関係ありません。そもそもの前提がそろっていないのです。

  それにも関わらず、なぜツイッター上でこのようなやりとりが行われるのかというと、気軽に他者に干渉することができるからです。気を抜いてツイートしているので、ボロなんていくらでも出てきます。責任を負う必要のない匿名アカウントならなおさらです。

 そして、異を唱える側も、納得がいくまで準備をすることができます。「ここをこんなふうに突こう」という作戦を充分に練ってから動きはじめることができるのです。要するにツイッターとは、気軽に他者を変えようと動くことはできるけれど、実際に変えるのは対面したときよりも難しい場所なのです。

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 そもそもを言えば「他者に干渉しなければ自分の存在価値を表現できない」というところに一種の寂しさを感じます。他者の間違いを指摘することでしか自分の正しさを表現することができないというわけです。

 そういう意味では、ツイッターなんて格好の狩場ですからね。迂闊なことを言っている人たちがたくさんいます。しかもまたおもしろいことに、他者に対してとやかく言っていると、同じことを目的としている仲間が集まってきます。簡単に言えばフォロワーが伸びるのです。

 要するに、特定の他者に異を唱えることで「自分の存在を明確にする」という目的が果たせてしまうわけです。だから極端な話、相手が聞く耳をもっているかどうかなんてどうだってかまいません。まわりの人間が何かしらの反応を示してくれれば、それだけで自分の存在を確かめることができるのです。

 もちろん異を唱えること自体がわるいことだとは思っていません。ものごとは異からはじまりますからね。ただし、その異の先でお互いが幸せになれないのなら、その異はどうなのだろうと思うわけです。

 みなさまも十分にお気をつけください。異を唱えるということは、他者の力を借りて自己を表現するということです。くれぐれも「相手のためにあえて厳しいことを言ってあげている」だなんて思わないようにしてくださいね。

taishiowawa.hatenablog.com

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【お知らせ:7/24(金)】

  第2回「らぱいんざWORLD」の開催が決定しました。らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)といっしょに、ゲストを招いておしゃべりします。第2回ゲストは、第1回ゲストである イスップさん(@bstogs1)にテレホンショッキング形式で紹介していただいた にょんさん(@EyzNo)です。ちなみに筆者はまったくといってもいいほど絡みがありません。おもしろくなることは間違いありませんが、はたしてどうなることやら。

 現在、聞き手を募集していますので、興味のある方もない方も、イヌもサルもキジも、画面の前のあなたも、ぜひご参加ください。参加希望はツイッターのDMにてお受けしております。自分なんかが行ってもいいのかなという考えは捨てましょう。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

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