おはようございます。昨夜もまた座ったまま寝てしまい、気がつくと朝の4時でした。案外座ったままでも寝られるものです。
お茶を飲もうと思ったら、ちょうど切らしていたので自動販売機まで買いに出かけました。朝の4時。歩いている人はひとりもいません。
遠くの方から車の音が聞こえますが、家の前の道は空っぽです。どうせなら車道のど真ん中を歩いてやろうと思い、広い道へと足を進めました。
ふだんなら間違いなく轢かれています。しかし、朝の4時ならそんな道を堂々と歩くことができます。4車線の真ん中を1歩ずつ踏みしめながら、家のまわりをぐるっと1周して、玄関まで戻ってきました。
手ぶらでした。戻ってきてからそのことに気がつきました。おなじことをくり返すわけにもいかないので、今度はいつもどおり、ちゃんと歩道をあるいてお茶を買いに行きました。みなさんにも歩道をあるくことをお勧めします。車道にはくれぐれもお気をつけください。どうも、インクです。
「おなじ経験があるからわかってあげられる」はこわいぞ
「おなじ経験があるからわかってあげられる」はこわいぞ
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年7月9日
迂闊な共感は相手との距離を遠ざけます。「わかるわかるよきみの気もち」とどれだけ言われたって、どうせわかっちゃいません。むしろ、そんなに簡単にわかられてたまるかという話です。
どれほどの自問自答をくり返してきたと思っているのでしょう。どれだけの思考を積み重ねてきたと思っているのでしょう。そんな時間を「わかる〜」のひとことで済ませられちゃあ、立たない腹も立ちます。
あなたがどれだけ「わかる」と思ったところで、相手が抱いている感情とは絶対にちがいます。断言できます。絶対にちがいます。なぜなら、ちがう人間だからです。ちがう場所で生まれ、ちがう環境で育ち、ちがう人と出会って、ちがう時間を生きています。
そんな他者の気もちがわかるわけがありません。「人の気もちがわかる」なんてあまりにも傲慢です。結局それは、自分という人間の主観的な基準でしかありません。すべてはあなたの想像です。「たぶんこう思っているだろう」という想像でしかないのです。
それにも関わらず、どうして「わかるわかるよきみの気もち」と言ってしまうのかというと、経験は重なることがあるからです。「受験に失敗したことがある」とか「いじめられたことがある」とか。希少なものになればなるほど、わかり合えたつもりになってしまうのです。
たしかに、たまたま自分も似たような経験をもっているということはあるでしょう。なんなら、同時進行で経験を共にするということもあるのかもしれません。しかし、どれだけおなじような経験をしたところで、そこで抱く感情は絶対にちがいます。喜怒哀楽の4分類なんて、あまりにも大雑把です。人の感情はそんなに単純ではないのです。
よくこの経験と感情をごちゃまぜにしてしまいます。「経験が重なっていること」と「感情が重なっていること」を同義だと考えてしまうのです。だからこそ「おなじ経験があるからわかってあげられる」だなんて発想が生まれてしまうわけです。
学校現場ではこの現象がよく起こります。「自分も勉強が苦手だったからこの子の気もちがよくわかる」とか「自分も運動が苦手だったからこの子の気もちがよくわかる」とか。反対もしかりです。「勉強ができた先生にはこの子の気もちなんてわからないでしょ」なんてことばをよく耳にします。
実はこれ、なかなかにおそろしいことです。「経験さえ重なっていれば気もちがわかる」と思い込んでしまっているのです。するとどうなるのかというと、先生の中でその子の像をつくりあげてしまい、その枠の中でしかその子を捉えられなくなってしまいます。
言わば、自分の姿をその子に投影してしまうようになるということです。そこから逸脱した動きを見せたら、なんとか理想に近づけようと無意識の圧をかけはじめます。まったくちがう人間であるその子にとっては、そんな思い知ったこっちゃありません。
しかし、子どもにとって先生という大人の存在は大きいですからね。必死にその期待に応えようとがんばってしまったり、できない自分に失望してしまったりするようになるのです。大人の都合に振り回されてしまうのは、ただただかわいそうでしかありません。
聞く人によってはつらい話になるのかもしれませんが、どこかでは自覚しなければなりません。あなたは「ひとり」です。ちがう「ひとり」が近くで寄り添ってくれることはあれど、隅から隅まで理解してくれる他者なんてこの世にはいません。
近づけば近づくほど、自分とのちがいがはっきりと見えるようになります。そんな相手に自分とおなじであることを望んでも仕方がありません。お互いに苦しくなるだけです。
見方を変えれば、あなたはだれともちがう唯一無二の人間です。せっかく唯一無二なのに、だれかとおなじであろうとするのはあまりにも勿体ないです。その固有性を強く自覚することができれば大きな武器になります。希少性はそのまま価値になりますからね。
いい加減、馴れ合いの共感なんでやめて、ひとりの人間としての自分を磨き上げてはどうでしょう。間違いなくあなたはおもしろい人間であるはずなのです。
【お知らせ ①】
第2回「らぱいんざWORLD」の開催が決定しました。らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)といっしょにゲストを招いておしゃべりします。第2回ゲストは、第1回ゲストである イスップさん(@bstogs1)にテレホンショッキング形式で紹介していただいた にょんさん(@EyzNo)です。ちなみに筆者はまったくといってもいいほど絡みがありません。おもしろくなることは間違いありませんが、はたしてどうなることやら。
現在、聞き手を募集していますので、興味のある方もない方も、イヌもサルもキジも、画面の前のあなたも、ぜひご参加ください。参加希望はツイッターのDMにてお受けしております。自分なんかが行ってもいいのかなという考えは捨てましょう。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。
【お知らせ ②】
いがささん作。やってみてね。