おはようございます。むかし、ピースの又吉さんが「暗いと人に迷惑をかけるから多少なりとも明るく振る舞うようになった」とおっしゃっていたことを思い出しました。そのことばをはじめて聞いたときはいまいちピンときていなかったのですが、最近になって「本当にそのとおりだな」と思うようになりました。
これまでは「明るく振る舞う」ということを「無理をする」ということだと思っていたのですが、どうやらちがうみたいです。「明るく振る舞う」というのは「自分が考えていることをできるだけ素直に表現する」ということらしいのです。
黙っていると「この人はこんなふうに思っているんだろうな」と勝手に想像されてしまいます。相手の脳内で行われることなので、答え合わせをすることもできません。それではあまりにも釈なので、ある程度は自己開示しながら明るく振舞って行く必要があるというわけです。勝手に想像されて、勝手に決められたくはありませんからね。どうも、インクです。
きみの辛さを平凡にしたがる。人の無自覚がだれかの辛さになる。
きみの辛さを平凡にしたがる
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年6月20日
人の無自覚がだれかの辛さになる
きみの辛さを平凡にしたがる。人の無自覚がだれかの辛さになる。実はこれ、amazarashi というバンドの『とどめを刺して』という曲の一節です。amazarashi は昔から好きでよく聴いていたのですが、今回はやけにこの一節が耳にのこりました。
ときどきありますよね。なんども聴いた曲なのに、なぜか一節だけがやけに耳にのこること。突然「そういうことか」と腑に落ちるタイミングがやってくるのです。今回はたまたまこの曲のこの一節が耳にのこったので、すこしだけお話したいと思います。
どこかで誰かが「辛い」とか「しんどい」とか、弱音を吐いたとしましょう。それに対してまわりの人たちがどんな反応を示すのかというと「自分も辛い」とか「みんなしんどい」とか、きみの辛さを平凡にしたがるようなことを言いはじめるわけです。
学校でもよく見かけます。むしろ、学校という場所でつくり上げられている考え方なのかもしれません。辛いのはみんないっしょ。しんどいのもみんないっしょ。隣の人はがんばっている。だからあなたにもできるはず。あなたもおなじようにがんばりなさい。
この考え方はとてもおそろしいなと思います。一般的に「苦手なこと」といえば「泳ぐこと」とか「歌うこと」とか、特定の動作をさすことが多いのですが、本当は「苦手なこと」なんてもっと身近な日常生活の中にまぎれ込んでいるのです。
「誰かの質問に対して答えることが苦手」とか「目を合わせて話すことが苦手」とか。「まぶしい日差しが苦手」とか「雨に濡れることが苦手」とか。ほかの人にとっては何でもないようなことが、自分にはとても難しい。これこそが「苦手」なのです。
そんな個人の「苦手」に対して「みんなもおなじ」と言ってしまうのは、あまりにも暴力的です。そんな無自覚な暴力がだれかの辛さになるわけです。
みんなとおなじようにできないからこそ苦しんでいるのです。みんなとおなじようにできないからこそ「苦手」なのです。学校こそ真っ先にそのことを理解しなければなりません。
それにも関わらず、学校が先頭を切って個人の辛さを平凡にしようとしています。もしくは「克服すべきもの」として取り扱おうとしています。
たしかに克服することができる「苦手」もありますし、そこから生まれる達成感のようなものもあるでしょう。できなかったことができるようになれば、そりゃあ嬉しいに決まっています。
しかし、本当に人を苦しめる「苦手」というものは「克服するべきもの」ではなく「上手に付き合っていくもの」なのです。そんな2種類の「苦手」をごちゃ混ぜにして考えてしまうから、そこから生まれる「辛さ」が膨れ上がっていくのです。
「苦手」を抱えた人が努めなければならないのは、今すぐに克服することではありません。「それが苦手であるとまわりの人に認知してもらう」ということです。そのためには、何かしらの手段をつかって表現しなければなりません。
表現の仕方次第では、その「苦手」が自分の武器へと変身します。ただ卑下するだけではいけません。自虐ネタとしてつかうだけでもいけません。「苦手」を苦手として活用するのではなく、自分の一部として利用していくのです。
「人にできることが自分にはできない」ってかなり大きな武器ですからね。「人にできないことが自分にはできる」と同じくらいの価値があります。だから、結局はつかい方次第です。
当人が克服を急がずにそれを表現し、まわりの人がその「苦手」を理解しようと努めれば、きっとすてきな関係性ができあがるのではないでしょうか。
【お知らせ】
毎週水曜日の定例会「こきけんよう」のお知らせです。20:15〜20:55の40分1本勝負です。第一回を終えて、やっぱり週の真ん中に予定があると目印になっていいなと思いました。「水曜どうでしょう」とか「水曜日のダウンタウン」とかも、きっとそういうことなのでしょう。興味をもっていただいた方は、ぜひ耳だけお貸しください。参加希望はツイッターのDMまで。こきけんよう。