ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】情報の受け手がリテラシーをもつしかない

 

 おはようございます。先日はじめてノイズキャンセリング機能つきのイヤホンを購入しました。

 まわりの騒音を遮断する機能だということは知っていたのですが、装着することもこれがはじめてだったので、どんなものかとわくわくしました。

 もうね。ちゃんとびっくりしましたよ。街のざわめきや車の走行音が、すんと消えてしまうのです。やっぱりこういうものって、外したときに驚きが大きくなるものですね。ノイズをキャンセルしなければこんなにも音が鳴っていたのかと驚愕しました。

 聞こえるべき音が聞こえないというのもこわいなあと思っていたのですが、ランニングをして、買ったことは正解だったと確信しました。走るときにノイズが入らないというのは、まあ気もちのよいものです。

 ぜひみなさんもノイズをキャンセルしてみてください。6月はキャンペーン期間中なのでキャンセル料もかからないみたいですよ。どうも、インクです。

 

情報の受け手がリテラシーをもつしかない

 だれもが世界に向けて発信することができる時代になりました。あたなのたったひとつのツイートが世界中の人に繋がっているというわけです。

 しかし、ここを勘違いしてはいけません。「世界中の人が見ている」と「世界中の人が見れる」は、似ているようでまったくちがいます。実際のところは「世界中の人が見れるのは見れるけれどだれも見ていない」がほとんどなのではないでしょうか。

 あなたの発信なんかだれも見ていないのです。みんながそれに薄々気づいています。だからこそ「バカッター」のような現象が生まれました。

 あれはまさに「だれにも見られないと思ったら世界中の人に見られた」という典型的な例です。逆に言えば、あれがあるからこそ、戒めのように「世界中の人が見ているぞ!」と言われます。しかし先ほども述べたように、現実は自分の発信なんてだれも見ちゃいないのです。

 そんな状況下で「世界中の人が見ているぞ!」と言われたって他人事にしか聞こえません。ツイートをしても、いいねがひとつもつかない。これが多くの人にとっての現実なのです。

 そんな人たちにどれだけ「世界中の人が見ているぞ!」と言ったって、実感をもてるはずがありません。「将来役に立つから勉強しなさい!」と言っているのとおなじようなものです。せいぜい「どうやら嘘ではないらしいけれどそんなこと言われてもなあ」がいいところなのです。

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 そんな発信者たちに「情報の正確性」や「意見のエビデンス」を一生懸命求めたって仕方がありません。だって、誰でも発信できるんですからね。

 言っていることなんて、噂話や与太話とおなじです。そんなものに正確性やエビデンスを求めること自体がおかしな話です。世界に向けて発信しているわけではありません。世界にも繋がっているところで噂話や与太話をしているにすぎないのです。

  こうなれば、残された道はただひとつ。情報の受け手がリテラシーをもつしかありません。情報の送り手を統制しようと思ったら、76億人を相手にしなければならないわけですからね。

 たとえば今「インターネットを利用している人の数は76億もいないだろ」と思った方がいるでしょう。その意見、半分は正解で半分は間違っています。

 たしかに、インターネット利用者数は世界で40億人くらいだそうです。世界人口にあたる76億という数と比べれば大きなちがいがあります。数字というデータを鵜呑みせずに、真実を見ようとするその目は正しいと言えるでしょう。

 しかし、この文章に限って言うならば、この数字には大した価値がありません。「たくさんの人」という意味で「億」ということばをつかっているだけであって、べつに73億人だろうが40億人だろうがどっちだっていいのです。要するに、この数字を根拠に何かを語ろうとはしていないということです。

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 このように、文脈によってことばの意味合いというものは大きく変化します。ここを読み解くというのは意外と難しいものです。むしろ、変に文意を読み解こうとして、曲解を導いてしまうこともよくあります。

 これもまた先ほどと同様です。世界中のすべての受信者に「正確に文意を読み解け」と言うのもなかなかに無茶な話なのです。そもそも受け取った情報自体が不誠実なことも多いわけですから、そんな中で真意までをも読み解こうなんざ不可能な話なのです。

 そうだとしたら、情報の受け手が身につけるべき「リテラシー能力」とは一体なんなのでしょうか。それは「あらゆる情報は表層でしかない」と知覚することです。新聞に書かれていることは「事実」ではありません。「事実の表層」です。このブログに書かれていることも「意見」ではありません。「意見の表層」です。

 言わば、情報なんて氷山の一角であり、水面下にはもっと大きな氷が隠れているのです。先ほども述べたように、すべての受信者に「水に潜って氷を見てこい」と言うのは不可能です。しかし「水面下には大きな氷がある」と知覚させることはできるのではないでしょうか。

 それでいいのです。真意を読み取ろうだとか、真実を突き止めようだとか、そんなに難しいことまで考える必要はありません。目に見えている情報は所詮ものごとの表層でしかないと知覚する。それこそが情報過多の時代を生きる人々の「リテラシー能力」なのではないでしょうか。

taishiowawa.hatenablog.com

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#らぱいんざWORLD

2020.6.26.21:00

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