おはようございます。バス停の列に並んでいると、ときどき、やけに間を空けて待っている人がいます。ソーシャルディスタンスでしょうか。
ところが、ふとした瞬間に、その空間をうめて前に進みます。列が動くわけですから、うしろに並んでいる人たちは「バスが来たのかな」と思うわけです。
しかし、バスは来ていません。一体あれはなんの間で、何をきっかけに動いたのでしょうか。当人はふらっと動いただけなのかもしれませんが、うしろの人たちは不意をつかれて慌てなければならないのです。
だからといって、仮にうしろの人が動かなければ、その人の前にポッカリとした空間ができ、第二の「間あけ人」になってしまいます。
こんなご時世ですから、間を空けて並ぶのはかまいません。だからせめて、バスが来るまではその場でじっとしていてください。どうも、インクです。
そもそも自分の話を聞いてもらえると思っていること自体が間違っている
そもそも自分の話を聞いてもらえると思っていること自体が間違っている
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年7月28日
自分の話を聞いてもらう。自分の文章を読んでもらう。さらりと日常の中に紛れ込んでいますが、実はとてもとてもありがたいことです。
「聞いてもらう、読んでもらう」ということは、こちらの都合で相手を拘束しているということですからね。極端な話、あなたの都合にあわせる時間で、もっと有意義なことができたかもしれないのです。
もちろんそこまで深く考える必要はないのかもしれませんが、話す人や書く人はこの事実を自覚しておかなければなりません。
聞いてもらえることが当たり前ではありません。読んでもらえることが当たり前ではありません。残酷なことを言いますが、あなたの言動に、無条件で受け取ってもらえるほどの価値があるわけではないのです。
特に「聞いてもらう」ということは、時間だけでなく身体までをも拘束することになります。もちろん電話やボイスチャットのようなツールをつかうこともできますが、ここで言う「聞いてもらう」は当人たちが対面しているものだと思ってください。
もちろん、対面しなければ共有できない思いや熱量というものは確かに存在します。「LINEで告白するなんてありえない!」というやつですね。
反対に、わざわざ会って話す必要がないのなら、文面や通話で済ませた方が、相手にとってはありがたいのかもしれません。会うことがなければ、移動時間をカットすることができたり、余計な気遣いをカットすることができたりします。
「読んでもらう」となれば、相手の都合に合わせて、すきなタイミングでメッセージを受け取ってもらえます。「返信をしなければならない」というタスクを増やしてしまうことにはなりますけどね。
反対に、これらの特徴をつかえば、自分の意見に説得力をもたせることもできてしまいます。
たとえば、めちゃくちゃ忙しい人に「会って話したい」と言われたらどう思うでしょうか。「大切な話なのかな」と思ってすこしドキッとしますよね。
ほかにも「誕生日が来たら開けて読んでください」と書かれたお手紙をもらったらどうでしょう。読むタイミングを指定されることで「一体なにが書かれているんだ」とわくわくしてしまいますよね。
何かを伝えようと思ったら、相手の手元に届くところまでを想像することが大切です。その内容や相手との関係性を踏まえて、適切な手段を選びます。
そのためには、そもそもの「それぞれの手段の特徴」を知っておかなければなりません。はじめにも書いたように「聞いてもらうこと」や「読んでもらうこと」って日常の中に紛れ込んでいるせいで、改めて考える機会があまりないんですよね。
【お知らせ:本日】
急なお知らせになりすが、明日の21時から「らぱいんざWORLD 第3回」を開催します。今回はゲストなしの3人回です。これまでの2回を振り返りながら、好き勝手おしゃべりできたらいいなと思います。いや、もしかすると振り返りなんてしないのかもしれません。当人たちもまったく何も決めてはいません。
と、こんなことを言っていると「前の2回は参加してないけど、聞きに行ってもいいのかな」とか「1回も絡んだことがないけど聞きに行ってもいいのかな」とか、余計なことを考える人が出てくるのでしょうが、そんなことは一切考えなくて結構です。この機会を逃したら、もう二度どおなじ回はありませんからね。参加希望はツイッターのDMにてお待ちしています。お気軽にどうぞ。