ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】選択肢を与えているように見せて半強制的に選ばせるコミュニケーションが多い

 

 おはようございます。学校の先生をしていると、毎年たくさんの人の名前をおぼえなければなりません。異動した年には、ほかの先生方の名前もリストに加わることになります。子どもと保護者の苗字がおなじだということが唯一の救いでしょうか。

 そんな中でも特に苦労する名前があります。「山中さん」です。もしかしたら読んでくださっている方の中にもいらっしゃるかもしれませんね。山中さん。

 一見シンプルでなんの変哲もない苗字なのですが、これがまあ難しい。もうおわかりですよね。この世には「中山さん」がいるのです。山中さんと中山さん。あの人は一体どっちだったっけ。

 おそらく当人たちも自覚しているでしょう。「山中あるある」であり「中山あるある」なのでしょう。区別しておぼえるコツを知っている方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。どうも、インクです。

 

選択肢を与えているように見せて半強制的に選ばせるコミュニケーションが多い

 学校の先生がよくつかう話し方に「危ないところに近づいてはいけま?」というものがあります。子どもたちが「せん!」と答えるわけですね。

 飛んでいきそうな意識を先生の方に戻すひとつのテクニックとでも言いましょうか。声を出させることで当事者意識をもたせようというわけです。

 ほかにも、わざと語気を強めて「今週もがんばりましょう!」と言うことで子どもたちに「はい!」と返事させたり、「元気のよいあいさつは気持ちいいですよね?」のように「はい」としか答えようのない問いを投げかけたり。先生特有の話し方があるわけです。

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 先ほども述べたように、ちゃんと話を聞かせるためにこんな話し方をしているわけですが「これって本当に意味があるのか?」といつも思ってしまいます。

 たしかに返事があれば、それっぽく見えるんですよね。まるでちゃんと話の内容が伝わったかのように見えるんですよ。でもね。誰も先生の話なんて聞いていないんですよ。聞いているフリが上手か下手か。ただそれだけの違いなのです。

 だって、子どものころのことを思い返してみてくださいよ。「危ないところに近づいてはいけま?」と言われて「せん!(命がいちばん大切だから絶対に近づかないようにするぞ!)」と思っていましたか。

 「元気のよいあいさつは気持ちいいですよね?」と言われて「はい!(よし!元気のよいあいさつができるように頑張るぞ!)」と思っていましたか。

 「おいおい、またその話かよ」と思ってはいませんでしたか。「はいはい、もうわかってるわかってる」と思ってはいませんでしたか。

 すみません。まるで「みんなそう思っていたでしょ」というような書き方をしてしまいましたが、こればかりは決めつけられませんね。もしかすると、ちゃんと「頑張るぞ!」と思っていた人もいるかもしれませんもんね。少なくとも筆者は「めんどくさいな」と思っていましたよという話です。

 もはや、いかにちゃんと聞いているかのように見せるかという勝負でした。内申点やらなんやら、いろいろとありますからね。「せん!」とか「はい!」とか、言っておけばいいんでしょ。と、そんなふうに思っていました。

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 要は「子どもを危ないところに近づけない」という目的を果たすための手段として「近づいてはいけま?」と尋ねることが本当に最適なのか?という話です。「子どもに元気のよいあいさつをさせる」という目的を果たすための手段として「元気のよいあいさつは気もちがいいですよね?」と尋ねることが本当に最適なのか?という話です。

 そもそもを言ってしまえば、本当に危ないところに近づいてはいけないのでしょうか。本当に元気よくあいさつしなければならないのでしょうか。

 先生が勝手に「危ないところに近づくのはダメだ」と言ってきたり「元気よくあいさつをするのはいいことだ」と言ってきたり。子どもたちの知らないところで善悪を決めてしまっているのです。

 結局のところ、先生が決めたとおりに子どもたちが動けば楽だというだけなのではないでしょうか。直接的に善悪を押しつけて、返事をさせておけば簡単だというだけなのではないでしょうか。

 子どもたちが身につけなければならないのは「危ないところに近づいてはいけない」という知識ではありません。危ないところを自分でみつけて「近づかない方がよさそうだな」と判断する力です。

 「あいさつは元気よくした方がいい」という知識ではありません。関係性を踏まえて「どのようにあいさつをするのがベストだろう」と考える力です。

 そんな思考をすっ飛ばして、大人の良し悪しを押しつけて。むしろ機会を損失させているのではないかとさえ思います。ひとことで言うなら「おせっかい」です。いま学校で行われている教育のほとんどは「おせっかい」に分類されるのではないでしょうか。

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2020.6.26.21:00

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