おはようございます。はてなブログでは、プロフィールに飛ぶと「ブログ投稿数」と「ブログ投稿日数」を見ることができるようになっています。
「ブログ投稿数」というのは、単純に記事の総数です。そして「ブログ投稿日数」というのは、連続で何日更新しつづけたのかを表した数です。
毎日更新していなければ、基本的には「ブログ投稿数」の方が大きくなります。1日更新しなければ「ブログ投稿日数」は0になりますからね。
ところが、いつからかこの数字がおかしくなり、筆者の「ブログ投稿数」と「ブログ投稿日数」に同じ数が表示されるようになりました。
これはまずいと思い、毎日投稿を始める前の記事数をかぞえてみました。現在の総数は335。そして、毎日投稿をはじめる前の記事数が38です。
つまり、今日の記事が毎日投稿をはじめて298日目の記事ということなので、今週の土曜日に記念すべき300日目を迎えることになります。
危うく見逃すところでした。明後日、土曜日、300日目。忘れそうなのでみなさんも覚えておいてくださいね。どうも、インクです。
「自分ならどうするか」で人をはかるのはちがう気がする
「自分ならどうするか」で人をはかるのはちがう気がする
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年7月7日
いきなり今日のタイトルと真逆のことを言いますが、人は「自分ならどうするか」という観点でしかものを考えることができません。
どれだけ事細かく相手の立場を想像したとしても、どれだけ寄り添っているつもりであったとしても、結局最後に判断するのは自分自身です。
自分のものさしで、ものごとを捉えるしかないのです。ときどき他の人と基準をそろえなければならない場面もありますが、それでもやっぱり人によるバラつきは生じます。生きものとして「基準をそろえる」という行為は限りなく苦手なのでしょう。
まずはこの前提に立たなければなりません。どれだけ事実に基づいていようが、すべてはあなたの想像によって補整されています。主観が一切入り混じっていない公正で公平な意見なんてものはありません。
言語に順序性があり、そこに選択がある限り、必ずその人独自のフィルターを通ることになるのです。「あなたのために言った」とか、そんなことは一切関係ありません。すべてはあなた独自のものさしで考えた結果にすぎないのです。
逆に言えば、他者は他者で独自のものさしをつかって判断しています。その人ならではのフィルターがあり、その人ならではの文脈があります。
だから、表面に見えていることばが同じであったとしても、そこに至るまでの思考や行動は人によって丸っきり違っているのです。
たとえば「そうなんだ!」ということばを、「感心している」という文脈でつかう人もいれば、「めんどくさいからはやく終わらないかな」という文脈でつかう人もいます。同じことばなのに、丸っきり意味合いが変わってきます。
あの人が虹を見てキレイだと思っているとは限りません。あの人が雨の日を嫌だと思っているとは限りません。あの人がカレーをおいしいと思っているとも限りませんし、あの人が毛虫を触りたくないと思っているとも限りません。
虹をキレイだと思っているのも、雨を嫌だと思っているのも、カレーがおいしいのも、毛虫を触りたくないのも、すべてはあなたのものさしです。
同じように思っている人が多いとか少ないとか、そんなことは関係ありません。その多ければいいという発想も、所詮はあなたのものさしです。
重さをメートルで表せないように、長さをヘクトパスカルで表せないように。面積をリットルで表せないように、お金をルーメンで表せないように。
他者にも自分の尺度があてはまると思ったら、それは大きな間違いなのです。だからこそ「自分ならどうするか」という観点で偏った意見を人に伝えてしまうのはどうなんだろうと思います。
ところが、はじめにも述べたように、結局は自分のものさしで判断するしかありません。このように考えていくと、自ずと進むべき道が見えてきます。それは「ものさしの精度を上げること」と「複数のものさしを用意しておくこと」です。
どれだけ頑張っても「自分の想像」という枠を抜け出せないのなら、あとはもう精度にこだわっていくしかありません。そして、できるだけいろいろな単位に対応できるように測定器の種類を増やしていくというわけです。
勘のいい方はお気づきでしょう。筆者にとってのその活動のひとつが、ブログの毎日更新だというわけです。ものさしの精度を高め、種類を増やすために、こうして毎日書いています。まあ、精密であればよいものさしなのかというと、そういうわけでもないんですけどね。
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