おはようございます。大人になった今でも「ず」と「づ」を迷うことがあります。この前は「躓くってどっちだったっけ?」とすこし考えてしまいました。
使用頻度が少ないため「づ」の方が難しいと思われがちなのですが、どちらかといえば「ず」の方が曲者です。なぜなら「づ」は「つ」に変換して考えることができるからです。
たとえば「気づく」ということば。これは「気がつく」なので、「気ずく」ではなく「きづく」だとすぐに判断することができます。
しかし、先ほど例にあげた「躓く」はひとつの単語として成立しているので「つまずく」である根拠を推察することができません。「つまがすく」でも「つまがつく」でもないのです。やっぱり日本語ってむづかしいですね。どうも、インクです。
教材研究がおもしろくないのに授業がおもしろくなるわけがない
教材研究がおもしろくないのに授業がおもしろくなるわけがない
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年11月21日
会話文や情景描写から登場人物の気もちを読み取って、ただただ表にまとめていく国語の授業。あれ、何がおもしろいのでしょう。
そもそも、登場人物の気もちを1行や2行でまとめるだなんてあまりにも失礼です。作家に対しても失礼ですし、登場人物に対しても失礼です。「うれしい」や「かなしい」だなんてことばで表せるのなら、物語なんてはじめから必要ありません。
それにも関わらず、未だに黒板には縦線と横線が引かれ、場面ごとの登場人物の気持ちがキレイに整理されています。子どものころに同じような授業を受けて「つまらないな」と思ってこなかったのでしょうか。「登場人物の気もちなんて考えて何になるのだろう」と疑問を抱いてこなかったのでしょうか。
上の記事は、小学4年生の教科書に載っている椎名誠さんの『プラタナスの木』という物語の教材研究をまとめたものです。このお話を知っている人も知らない人も、とにかく騙されたと思って読んでみてください。まあおもしろいですから。
国語の授業って本当はおもしろいはずなのです。もっともっとおもしろいはずなのです。先日もどこかの記事で引用したような気がしますが、スピードワゴンの小沢さんがネタを書いているときに、おぎやはぎの矢作さんから「そのネタおもしろくないでしょ」と言われたことがあったそうです。「どうしてそんなことを言うんですか?」と小沢さんが尋ねると、矢作さんはこう答えました。
みなさんは難しい顔をしながら教材研究をしてはいませんか。眉間にシワを寄せながら教科書をひらいてはいませんか。矢作さんから「その授業おもしろくないでしょ」と言われてしまいますよ。
掲示物をたくさんつくって、黒板をキレイにまとめて、ノートをキレイに書かせて、それで満足してしまってはいませんか。掲示物や黒板やノートは、あくまでもひとつの手段です。本来の目的がぐらぐらであれば、どれだけ立派な見た目をしていてもその手段は意味をなしません。
ニヤニヤしながら教材研究をしましょう。子どもたちがおもしろそうに学ぶ姿を想像しながら教材研究をしましょう。今日は『プラタナスの木』に引きつづき、国語の教材研究パート2です。いっしょに考えながら読み進めていただけると幸いです。
学校の先生なら、この挿絵を見ただけでなんの教材かわかるのではないでしょうか。そうです。3年生の教科書に載っている林原玉枝さんの『きつつきの商売』です。文章構造がとてもわかりやすいので、この教材を選びました。順番に考えていきましょう。
この物語は、森の中で「おとや」というお店(音を売るお店)を開いたきつつきのお話です。2つの場面から構成されており、第1場面では「野うさぎ」が、第2場面では「野ねずみの家族」が、お客さんとして登場します。この時点ですでに、ひとつの問いが浮かび上がります。
どうして野ねずみは「家族」なの?
野うさぎは1羽で来店するのに、野ねずみは家族で来店します。ちなみに家族構成は、母さんねずみ、父さんねずみ、そして10匹の子ねずみです。どうしてこんなにも大勢で登場するのでしょうか。これから第2場面のようすをもうすこし詳しく説明しますので、どうしてなのかを考えながら読んでみてください。
第2場面は「ぶなの森に、雨がふりはじめます」という一文ではじまります。きつつきはその雨をヒントに新しいメニューを考えました。そこへ野ねずみの家族がやってきて、新メニューは「ただ」だということをきつつきから知らされます。
「よかった。ますますうんがいいぞ。ここに、おとやが開店して、すてきないい音を聞かせてもらえるってことは、もうずいぶん前から聞いていたんだけどね。今日やっと、はじめて来てみたんですよ」
「朝からの雨で、おせんたくができないものですから」
母さんねずみが言うと、
「おにわのおそうじも」
「草がぬれてて、おすもうもできないよ」
「かたつむりたちは、できるけど」
「かたつむりじゃなくて、あまがえるだってば」
「どっちもだよ」
子どもたちは口々に言いました。
「だから、ひとつ、聞かせてください」
野ねずみの家族は、そろって、うれしそうに言いました。
「しょうちしました」
そしていよいよ準備が整ったころ、きつつきが「さあ、いいですか。今日だけの特別な音です。お口をとじて、目をとじて、聞いてください」と野ねずみの家族に声をかけます。みんなは、しいんとだまって、目をとじます。すると、そこら中のいろんな音が、いちどに聞こえてくるのです。
ぶなの葉っぱの、
シャバシャバシャバ。
地面からの、パシパシピチピチ。
葉っぱのかさの、
パリパリパリ。
そして、ぶなの森の、
ずうっとおくふかくから、
ドウドウドウ。
ザワザワザワワ。
これが第2場面の概要です。どうですか。野ねずみが「家族」で登場した理由がわかりましたか。そうです。静けさの前の喧騒を生み出すためです。引用箇所 だけを見てもわかるとおり、会話文がとても多いです。「子どもらしさ」という文脈にのせながら会話をつなぎ、読者になんの違和感も与えることなく喧騒を発生させています。
そこで、急に目をとじてしいんと黙るからこそ「森の音」が際立って聞こえてきます。静と動のコントラストというやつです。作者はこの場面を描くために、野ねずみを「家族」で登場させ、意図的に騒がしい環境をつくり出しました。先ほどリンクを貼った『プラタナスの木』の記事でも書きましたが、物語には偶然なんてひとつも存在しないのです。
このような第2場面とくらべて、第1場面は限りなくシンプルです。「おとや」にやってきた野うさぎが、百リルを払い「ぶなの音」を「四分音符分」買っていきます。ちなみにその「ぶなの音」とは、きつつきが、ぶなの木のみきを、くちばしで力いっぱい叩いたときに出る「コーン」という音のことです。
ぶなの木の音が、ぶなの森にこだましました。
野うさぎは、きつつきを見上げたまま、だまって聞いていました。きつつきも、うっとり聞いていました。
四分音符分よりも、うんと長い時間がすぎてゆきました。
第1場面はこのように締めくくられています。では最後に、読者のみなさまに問いを投げかけて今日の記事を終わろうと思います。もちろん細かいポイントはいくらでもありますが、この問いの答えがみつかれば『きつつきの商売』の全容を捉えたと言えるのではないでしょうか。ぜひ考えてみてください。
野うさぎはなんのために登場するの?