おはようございます。カレーのつくり方を説明します。まずは、お肉・じゃがいも・にんじん・たまねぎをひと口サイズに切ります。野菜の皮は丁寧に剥きましょう。じゃがいもの芽を取り除くことも忘れずに。お肉はお好みでかまいません。鶏肉を選べばチキンカレーに。牛肉を選べばビーフカレーに。豚肉を選べばボークカレーに。フィッツジェラルドをを選べばギャツビーカレーになります。質問は受け付けません。続けます。
これらを鍋に入れて軽く炒めたあとに、具材が浸る程度の水を入れます。まずは中火で、グツグツするまで煮込みましょう。このとき灰汁が浮いてきます。「灰汁」と書いて「あく」と読みます。漢字って難しいですね。読み方から想像できるとおり、灰汁は体に悪いです。とてもとても悪いです。小さじ1杯の灰汁を飲んだら、寿命が3年になってしまいます。3年短くなるのではありません。3年になります。小さじ1杯飲んだなら、3年きりしか生きられぬ。だから念入りに取り除きましょう。カレーづくりは命がけです。
ひと煮立ちしたら、クミン・コリアンダー・カルダモン・ターメリック・チリペッパー・キーディス・フリー・チャド・フルシアンテを入れます。ついこの間まではフルシアンテの代わりにクリングホッファーを入れていたのですが、やっぱりフルシアンテに戻しました。お好みに合わせていろいろと試してみてください。ひと通りスパイスを入れたら弱火でコトコト煮ます。このときに、おたまで混ぜ続けるところがポイントです。混ぜることを止めてしまったら、寿命が3年になります。言ったでしょう。カレーづくりは命がけだって。マゼツヅケルンダヨ。カレーガアルカギリ。
実を言うと今もカレーを混ぜながらこの記事を書いています。ずっと前からカレーのいい匂いがしています。じゃがいもも、いい具合に溶けて小さくなってきました。コクも随分と深くなってきたことでしょう。混ぜはじめてからどのくらいが経ったのでしょうか。今日でちょうど3年くらいでしょうか。どうも、インクです。
もっと気軽に挑戦して失敗してみんなが笑って許せばいいのに
もっと気軽に挑戦して失敗してみんなが笑って許せばいいのに
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年2月5日
長々と書きすぎました。今日の記事は「カレーのつくりかた」が本編になってしまうかもしれません。すみません。許してください。
「許す」と言えば、真っ先にこのセリフが思い出されます。と、このようにして半ば強引に今日の話題にもっていこうという寸法です。強引なやり方をどうかお許しください。
この兄ちゃん、めちゃくちゃ強いんですよね。男子中学生は、全員が一度は真似をしたはずです。もちろん最後のシーンもいいのですが、どちらかと言えば、その最後に繋がっていくこの日常のひとコマがいいんですよね。 許せサスケ...。また今度だ......。
同じく『NARUTO』から引っぱってくるなら、このシーンが対照的で、比べるにはちょうどよいかもしれません。
このおっちゃんもまた、めちゃくちゃ強いんですよ。さすが、眉毛が太いだけあります。現実世界にこんな人がいたらたぶん嫌になってしまうのでしょうが、なんだかんだで結構すきなんですよね。この大胆なかんじがたまりません。構わーん!オレが許す!!!
すこし『NARUTO』の世界から離れて現実世界に戻ってきましょうか。現実世界で「許す」と言えばやっぱりこの人です。まさに「許す」を体現化したような人物ですね。
このおじいちゃんもまた、めちゃくちゃ強いんですよ。もう説得力が段違いです。とてもじゃないけど、反論なんてできません。許すということは強さの証だ。一度でいいから言ってみたいですよね。ただ、このことばが言えるのもこの人だからこそです。筆者が言ったところでぺらっぺらの紙になって風に飛ばされてしまうでしょう。
というわけで、今日のテーマは「許す」なのですが、上で紹介した人たちが強すぎてもはや答えが出てしまっているような状況です。許すということは強さの証。まったくもってそのとおりだと思います。もう何も言えません。
しかし、我々は彼らほど強くはありません。きっとこのブログを読みに来てくださっている方は、よわよわのよわちゃんでしょう。弱小チームに所属する弱虫の中の弱虫でしょう。だから、今日は「弱い人にとっての許す」について書こうと思います。もし、先ほど紹介した3人よりも自分の方が強いぞという方がいらっしゃいましたら、今日の記事はここまでです。ありがとうございました。弱者の皆様だけ、どうぞ先へとお進みください。
「相手を許す」とはどういうことなのかというと、無関心でいるということだと思っています。どうでもいいと思っている相手に固執することはありませんからね。どうでもいい相手なら、めんどくさいのでさっさと許して終わりにしてしまった方が簡単です。つまりは、無関心であれば簡単に許すことができるというわけです。
では、どうすれば無関心になれるのでしょうか。それは、大切なものがハッキリとしているかどうかで変わってきます。大切なものがハッキリしているということは、裏を返せば、大切ではないものがハッキリしているということでもあります。大切ではないものに対してなら、無関心になることができるでしょう。だって大切じゃないんだもの。どうでもいいやと思えるはずです。
反対に大切なものに関することなら、許す必要なんてありません。とことん許さなければいいと思います。ただし「それが本当に大切なものなのか」は常に問い続けなければなりません。多くのものを抱えたままだと前に進めませんからね。
目の前にあるものが、自分にとって、本当に「許せない」ほど大切なものなのか。もしも大切ではないのなら、遠慮なく許してしまいましょう。そんなものに限りある時間を費やす必要なんてありません。本当に大切なものにだけ時間をつかっていけばいいのです。本当に大切なものが危険にさらされそうになったときにだけ「許さない」という選択肢をとればよいのです。もしかするとそのように考えられることこそが「強さ」なのかもしれません。
この「許す/許さない」という話は、言わば「イライラする/イライラしない」という話とよく似ています。ひとことで言うならば「アンガーマネジメント」というやつです。人生においてイライラしている時間ほど無駄なものはありません。だれかに対してイライラしている時点であなたの負けです。相手のために時間をつかってしまっているわけですからね。
そのイライラの対象は、本当にあなたの貴重な時間を割かなければならないほど大切なものですか。イライラしてまでなんとかしなければならない重要なものですか。あなたにとって大切なものはなんですか。そして、大切ではないものはなんですか。