ツイートの3行目

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【火】迷惑をかけてはいけないのではなく、迷惑をかけてでもやりたいことなのかどうか

 

 おはようございます。学校から持ち帰ったたくさんの教材を、次の日にそのまま学校へ持って行く。そして、それをまた持ち帰り、次の日にまた持って行く。パンパンに詰まったリュックの中身は、きっと家で頑張ってやるだろうという自分への「過信」と、万が一必要になったときのためという「安心」です。そんな重い荷物を運ぶのは、筋力トレーニングのためでもあります。先生は日々、過信と安心を背負って、筋トレをしながら学校に通っているのです。どうも、インクです。

 

迷惑をかけてはいけないのではなく、迷惑をかけてでもやりたいことなのかどうか

 お待たせしました。いや、お待たせしすぎたのかもしれません。毎度お馴染み、大人気企画「学校でよく耳にすることばを疑ってみよう!」のコーナーです。ちなみに前回のテーマは「自分がやられて嫌なことは人にもしない」でした。まだ読んでいない方がいらっしゃいましたら、ぜひ読んでみてください。

taishiowawa.hatenablog.com

 それでは、早速ですが、本日のテーマに移りたいと思います。準備はよろしいですか?いきますよ?......本日のテーマはこちら!

 

「人に迷惑をかけてはいけません」

 

 まあ、よく聞くことばですよね。なんなら学校以外で耳にすることも多いかもしれません。逆に、自分が言ったことがあるという人もたくさんいるのではないでしょうか。今日はこのことば「人に迷惑をかけてはいけません」について疑っていこうと思います。 一緒になって考えていただけたら幸いです。

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1.人に迷惑をかけない人生

 そもそも「人に迷惑をかけない人生」ってどんな人生でしょうか。朝起きて、リモートワークで働いて、お腹が空いたらUber Eatsを頼んで、Amazon Primeで映画を観て、そして寝る。この人は誰にも迷惑をかけていないと言えるのかもしれません。

 「Uber Eatsの配達員を自分の都合で動かしているのだから、配達員に迷惑がかかっている」だなんて言い始めたらキリがないので、さすがにそこまで言うのはやめておきましょう。一応、配達員も報酬という対価をもらっているわけですから、「迷惑」と捉えるには少し無理がありますしね。

  仮にこんな生活が、一週間続き、一ヶ月続き、一年続き、ついには一生続いたとしましょう。果たしてこの人は幸せなのでしょうか。人と関わらず、変化もせず、ただ同じ「人に迷惑をかけない」日々を繰り返す。もちろん幸せの形は人によって違います。だから、もしかすると、このような生活を幸せだと感じる人もいるかもしれません。しかし、筆者からすれば、なんてつまらない人生なのだろうと思います。

 何も変えない。何にも変えられない。ありきたりな言い回しになってしまいますが、この人は一体なんのために生きているのでしょうか。何に向かって進んでいるのでしょうか。何が楽しいのでしょうか。果たして「人に迷惑をかけない人生」にどこまでの価値があるのでしょうか。

 

2.迷惑をかけてでもやりたい

  お分かりかとは思いますが、前述したような現代的なリモートワーカーはかなり極端な例です。実在する人の人生を辿るのであれば、本当の意味で、人に迷惑をかけずに生きることなんてできません。必ずどこかで、誰かには迷惑をかけることになるでしょう。それは親かもしれないし、先生かもしれないし、はたまた友だちかもしれません。

 そんな「迷惑をかける」という行為が、それほどダメなことなのでしょうか。学校で「人に迷惑をかけてはいけません」ということばがよく登場するのは、子どもが何か間違ったことをしてしまったときです。「自分だけが困るのなら好きにしたらいいけれど、人に迷惑がかかることはしたらダメでしょ!」と、こう言うわけです。本当にそうなのでしょうか。

 先ほど述べた通り、人が生きていくためには、必ずどこかで誰かに迷惑をかけなければなりません。迷惑をかけずに生きていくことなんて不可能です。だからこそ、子どもが何か間違ったことをしてしまったときに、かけることばは「迷惑をかけてはいけません」ではなく、「迷惑をかけてでもやりたかったことなの?」という問いかけなのではないでしょうか。 

 たとえば、みんなが真剣に作文を書いている途中に、隣の友だちにちょっかいをかけた子どもがいたとします。 きっと、集中力が切れて、少し構ってほしかったのでしょう。しかし、隣の友だちは真剣に書いているわけですから、その行為は「迷惑」です。そんなときに先生は「迷惑をかけてでもやりたかったことなの?」と問いかけます。この例に限らず、ほとんどの場合においてはNOという返事がかえってくるでしょう。

 「迷惑をかけてはいけません」だと、漠然としていて、よく分からないのです。「いけません」ということばは一方的な禁止ですから、言ってしまえば考える余地がありません。だから同じことを繰り返すのです。一方で「迷惑をかけてもやりたかったことなの?」と問えば、聞かれた側は考えます。自分の行動をふり返ります。その上で、判断するので、同じことを繰り返すことがなくなるのです。

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3.迷惑をかけても許される人 

 「迷惑をかけてでもやりたかったことなの?」という問いに対して、堂々とYESと答えられるのであれば、それはもう遠慮なく迷惑をかければいいと思います。本気で「野球選手になりたい」と努力している人に、多少の迷惑をかけられても、嫌な顔をする人なんていません。むしろ、そんな場での「迷惑」は「応援」に姿を変えていきます。

 ここで必要になるのが「信用」です。あの人は本当によくがんばっているから、迷惑をかけられても別になんとも思わないよ。と、こう思ってもらえる人であるかとうかです。これらの「信用」は、もちろん日頃の態度で形成されます。

 つまり、日頃から「迷惑をかけてでもやりたかったことではないこと」で迷惑をかけていると、いざ本気で何かをやりたいと思ったときに、誰にも協力してもらえなくなるのです。だからこそ、大人たちは、スモールステップを飛び越えて、「人に迷惑をかけてはいけません」と言うのです。大人は子どもに「迷惑をかけても許される信用のある人」になってほしいと思っているのです。「迷惑をかけてはいけません」ということばは、この思いをすっとばしてしまうから、少し気をつけなければならないことばだなと思いました。

 

 

 改めて本当にことばというものはおもしろいですね。特に「習慣」の中に紛れ込んで、誰もが何も考えずにつかっている「話しことば」は、疑ってみるといろんなものが出てきます。化石を発掘しているようです。もし「このことばもよく聞くけど、改めて考えてみるとおかしくね?」というようなことばがあれば、ぜひ教えてください。それでは、よい火曜日をお過ごしください。