ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】大人の約束は「また」「いつか」「いずれ」が多いから寂しい

 

 おはようございます。いつだって月曜日はやってきます。律儀なことに、時間通りにやってきます。数秒の誤差もありません。もしかすると、10分前にはやってきて待ち構えているのかもしれません。決まった時間になると突如姿を現します。たまには遅刻したってかまわないのに。どうも、インクです。

 

大人の約束は「また」「いつか」「いずれ」が多いから寂しい

  子どもたちと過ごしていると、「今日遊べる?」「遊べる!」「おっけい!じゃあ、〇〇公園な!」というような会話をよく耳にします。正直言って、うらやましい。学校から帰ったら、ランドセルを置いて(えらい子は宿題を済ませて)、自転車で公園に向かいます。公園に行くと、はじめから約束していたメンバー以外の友だちも遊んでいます。最終的にはみんな一緒になって、暗くなるまで走り回ります。なんてうらやましい。

 いつかからか、友だちと遊ぶときには財布を持つようになりました。今となっては財布を持たずに遊ぶことができなくなってしまいました。本来は彼らと同じように、お金なんかなくたって楽しく遊べたはずなのに。どうしてこうなってしまったのでしょう。

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1.今日遊べる?

 なかなか大人では難しいですよね。相手は忙しいんじゃないか。急に誘うのは失礼なんじゃないか。立場的に強要することになってしまうんじゃないか。こんなことを考えて、「今日遊べる?」は、よほど近い関係の人ではないと言いづらいことばだと思います。仮に言えたとしても、断られてしまうことが多いでしょう。どうやら大人の世界には「あぽいんとめんと」と呼ばれるものが存在するらいです。難しいですね。

 だからと言って、具体的な日付を決めようとすると、しつこいヤツだと思われてしまうかもしれません。しつこいなあ、本当は行きたくないのになあ。そう思われているかもしれません。だからこそ、誘うときはやんわりと誘うことになってしまいます。

またごはんにでも行きましょう!

いつかこうして集まれたらいいですね!

いずれタイミングが合えば遊びましょう!

  そして、これらの「また」「いつか」「いずれ」がやってくることはありません。これらのことばが意味するのは「さようなら」なのです。「I'ill be back」ということばを残して炎の中に消えていったシュワちゃんと同じです。ターミネーターですら消えていくのです。生身の人間である我々が生きて再会できるはずがありません。

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2.そこに行けば誰かがいる

 さらに、うらやましいのが「公園に行けば誰かがいる」という状況です。筆者も昔はよく、なんの約束もせずに公園に行ったものです。この公園にいなくても、あの公園に行けば誰かいるだろう、と公園をハシゴすることもよくありました。

 そのときは、それが当たり前だったのでなんとも思っていませんでしたが、大人になって振り返ってみると、なんてうらやましい状況なのだろうと思います。あそこに行けば誰かがいる。大人になった今、そんな場所の存在がとてもうらやましく思います。ある種、擬似的なソレがツイッターなのかもしれませんが、ツイッターはむしろ寂しさを助長するような気さえします。

 どこかのお店の常連にでもなれば、それが実現できるのかもしれませんが、なかなか勇気が出ません。行動しないと始まらない。そんなことは分かっているのだけれど、なかなか足が動かぬものです。

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 だいぶ暗くなってきました。そろそろ帰る時間ですね。現実の世界で「そこに行けば誰かがいる」という場所をつくろうと思えば、どうしても土地に縛られてしまいます。「気軽さ」が肝になるので、集まれる人は自ずと近くに住んでいる人に限定されてしまいます。

 そんな制限をなくすことができるのが、インターネットです。先ほど書いた通り、ツイッターではどうしても、人と人とが会っているというよりかは、同じ道をすれ違っているというような感覚になるので、もっと別のところでそんな場所をつくれないものかと考えています。そこに行けば誰かがいる。いつかそんな場所をつくりたいと思います。

 

それでは、くれぐれも門限には遅れないように気をつけてお帰りください。

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