ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】嬉しいときに誰もが大きなガッツボーズをするとおもうなよ

 

 おはようございます。京都旅1日目が終了しました。寄り道をしすぎて京都に到着したのは夕方でした。京都の道は本当にまっすぐですね。ちょっとくらい曲がったっていいのにね。グーグルマップを見ながら歩いていたのですが、まっすぐすぎて、なんだか想像以上に距離を感じました。目印を知らない外からやってきた人間からすれば、まっすぐな道の方が難しいのかもしれません。昨日お会いしてくださった方々はありがとうございました。今日は時間の許す限りまっすぐな道を楽しもうと思います。どうも、インクです。

 

嬉しいときに誰もが大きなガッツボーズをすると思うなよ

 中学生のころ、部活動の顧問の先生に「もっと喜べ」と言われたことを今でもはっきりと覚えています。当時はサッカー部に所属しており、こう見えてレギュラーを務めていました。サッカー部、だからといって、モテはしない。はい、はい、はいはいはい。あるある探検隊あるある探検隊

 それは、チームのひとりがゴールを決めた場面でした。試合も終盤。1−1の状況でのゴールでした。当然、みんな大喜びです。チーム全員がその子のもとに集まり、肩を抱き合って喜んでいました。そんなときに自分だけが、輪の外で「ナイスシュート!」と声をかけながら手を叩いていたのです。別にチームメイトと仲が悪かったわけではありません。いじめられていたわけでもありません。なんなら、別に他の人たちとなにも変わらず、そのゴールを素直に喜んでいました。しかし、外から見たら、そのようすがまるで喜んでいないかのように見えたのでしょう。

 

 「もっと喜べ」

 

 だからこそ、顧問の先生はこんなことを言ったのだと思います。このことばを聞いたとき、純粋にこう思いました。え、喜んでいるんだけど。そうです。先ほども述べた通り、そのときは間違いなく喜んでいました。だってチームの仲間がゴールを決めたんですよ。しかも1−1の状況で。そりゃ、喜ぶでしょうよ。それにも関わらず、顧問からは「もっと喜べ」と言われたのです。もはや、そのことばのせいで喜びも半減です。なんでこの人に喜び方を決められなければならないんだ。そう思いました。さすが中学生。生意気ですね。

 きっとこれが始まりだったと思います。今思えば「よくあの時代にあそこまでできたな」と思うくらい厳しい先生だったのですが、この一件以降、こんなことをよく言ってくるようになりました。

 

 「自分を出せ」

 「殻をやぶれ」

 

 こう言われるたびに「この人にはわかってもらえない」という思いが増していきました。「自分を出せ」ということばは、前向きに聞こえるかもしれませんが、要は「今のあなたはダメだ」と言っているのと同じですからね。ただの人格否定です。「殻を破れ」も同じです。そもそもお前は何様なんだという話です。なんでお前に「自分」を定義されなければならないんだ。なんだよ殻って。お前にとって都合がいいか悪いかの違いだろ。

 要するに何が言いたいのかというと、嬉しいときに誰もがガッツポーズをすると思うなよということです。きっとあの場面で、みんなの輪に入って、大きくガッツポーズをしながら、飛び跳ねて喜んだとしたら、多くの嘘を孕むことになります。やってやれないことはないのでしょうが、かなりの無理を自分に強いることになります。結果的に「本来の喜び」は薄れてしまっていたでしょう。

 

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 このころから、自分を装うことを諦めました。喜んでいるフリをすることが苦手なのは昔からわかっていました。なんとかがんばらないとと思っていたこともあったのですが、結果的にしんどくなるのは自分です。生きやすくするために自分を装って、結果的にしんどくなっていては意味がありません。むしろ、より生きづらさを強く感じるだけになってしまいます。だから、今でも装うことは苦手です。プレゼントをもらったときのリアクションなんて本当に苦手です。もちろんプレゼントをもらったら嬉しいですよ。嬉しいですけど、いろいろなことを考えてしまいます。もっと大げさに喜んだ方がいいんだろうなあとか。大きなリアクションをとったら嘘になるしなあとか。

 だからやめました。話したくなければ話さないし、おもしろくなければ笑いません。逆に言えば、笑っているときは本当におもしろいと思っています。だから、わかってもらえるまでに少し時間がかかります。しかし、一度わかってもらえればそこからは早いです。きっとこの感じはこのブログにも表れているのだろうなと思っています。決してバズることもないし、万人に好かれることもない。しかし、一度わかってもらえたら、それをおもしろがって来てくれる。きっとこれでいいのだと思います。

 無理をしてまで自分を装う必要なんてありません。自分を出すとか出さないとか、そういう問題ではないのです。殻なんてものも初めからありません。変わらなきゃいけないだなんてバカげたことを言うのはやめてください。そもそも、変わることを要求してきたその相手は、あなたにとってそんなに大切な人ですか。そんなやつどうだっていいでしょう。自分を出せ。殻を破れ。そんなものはくそ喰らえ。

 

 だからといって「あなたはそのままでいいんだよ」という優しい人ぶったメッセージも、それはそれで虫酸が走ります。結局やっていることは同じですからね。なんでお前に評価されなければならないんだという話です。いいとかわるいとか、なんでお前に決められなければならないんだ。なんなら優しさのつもりで言ってきている分、こちらの方が厄介かもしれません。

 「求めていないのにアドバイスをしてくるやつ」には気をつけなければなりません。あと「求めていないのに励ましてくるやつ」にも注意が必要です。やつらは、本気で相手のためになっていると思い込んでいますからね。もちろん、どんな道を選ぶのかはすべてあなたの自由ですが、くれぐれもついていく人間を間違えないようにお気をつけください。