ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】過程をいかにすっ飛ばせるか

 

 おはようございます。2日間の京都旅が終了しました。昨日の京都は朝から雪が降っていて、なかなかよい演出でした。高校生たちは入学試験で同志社大学へと向かい、小学生たちは大文字駅伝で一生懸命走っていました。そんな子どもたちをよそ目に、筆者はひとりで京都のまちをぶらり旅。今回の目的地は、グーグルさんに委ねるのではなく、フォロワーさんに聞いて決めました。インターネット上での繋がりといえども、やはり特定の誰かに聞くというのがいいですね。どの場所もとてもおもしろかったです。ただ、もう少し勉強してから来たいなとも思いました。歴史を学んでから来たらまたちがう見方ができておもしろいんだろうなと思います。前々から言っているのですが、やはり歴史はもう一度ちゃんと勉強しなおしたいなあ。大人になってから学び直せば、まちがいなく子どものころとは違うものが見えるはずです。さあ、次はどこのまちに行こうかな。どうも、インクです。

 

過程をいかにすっ飛ばせるか

  世の中には、誰もが一度は見たことがある「有名な写真」というものがいくつか存在します。たとえば、チャーチルスターリンルーズベルトの3人が並んで座っている「ヤルタ会談」の写真とか、1994年のピューリッツァー賞を受賞した『ハゲタカと少女』とか。ほかにも、ビートルズの『アビイ・ロード』のジャケット写真や、舌を出したアインシュタインの写真なんかも有名ですね。マイクロソフトが2億ドルで買ったと言われている Windows XP の壁紙写真なんかも、きっと誰もが見たことがある写真だと言えるでしょう。そんな「有名な写真」の中でも今日はこの写真について少しだけお話しようと思います。

 

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 ご存知でしょうか。きっと一度は見たことがあるでしょう。『Rising the Flag on Iwo Jima』こと『硫黄島星条旗』と呼ばれている写真です。第二次世界大戦中に行われた「硫黄島の戦い」において、ジョー・ローゼンタールという写真家が撮影しました。

 死闘の末、勝利を収めた4人のアメリカ兵が摺鉢山の頂上に星条旗を掲げようとしています。この写真もまたピューリッツァー賞を受賞しており、戦争の終結や輝かしい勝利を表した「アメリカの偉大さ」の象徴とも呼べるような作品になっています。しかし、この写真には裏話が存在します。

 実はこの写真、撮影までに2時間がかかっているのです。実際に星条旗が掲揚されたのは1945年2月23日の10:15でした。ところが、この写真が撮影されたのは12:15です。いくら当時のカメラが今のカメラよりも古いといっても、1枚の写真を撮るのに2時間もかかりません。一体この2時間に何があったというのでしょう。

 

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 実は10:15の時点ですでに写真は撮られていました。それがこの写真です。先ほどの写真と比べてみてください。どうでしょう。何か気がつきませんか。そうです。旗が小さいのです。先ほどの写真と比べると、星条旗がとても小さいです。大きさは131×71cm だったそうです。小さすぎて、海岸付近からはまったく見えないという問題が発生しました。これはまずいということで、旗を取り替えました。これが、2時間というタイムラグの原因です。

 つまり、よく知られている硫黄島星条旗」の写真は2枚目です。別にポーズを決めて撮ったとまでは言いませんが、ある意味「つくられた写真」なのです。当時は「やらせ」なのではないかと物議をかもしたそうですが、先ほども述べた通り、今では「アメリカの偉大さ」の象徴になっています。

 象徴になれば、撮られた過程がどんどんと薄まっていきます。なんならこの写真が、硫黄島の戦いの写真だと知らない人すらいるかもしれません。象徴になることで過程と切り離され、こんなことが起こるようになるのです。

 

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 いわゆるパロディです。1枚目はアメリカのアニメ「ザ・シンプソンズ」のワンシーン。2枚目はアンダーアーマーのTシャツです。シンプソンズの方は、実際にその話を観たわけではないので断言はできませんが、きっと両方とも「デザイン」としての借用であり「第二次世界大戦」「硫黄島の戦い」という過程とはまったく関係がありません。Tシャツの方なんてまさにです。「デザイン」としての借用であり、そこに過程はありません。ちなみにこのTシャツは、発表直後に大炎上しました。「犠牲者に対して無礼だ」というわけです。最終的に、アンダーアーマーはこの一件について謝罪し、販売を中止するにまで至りました。象徴化され、過程が切り離されると、このような現象が起こるのです。

 これを踏まえて、アメリカの作家ダニエル・J・ブーアスティンは「読者や観客は、報道の自然さよりも、物語の迫真性や写真の〈本当らしさ〉を好むようになった」と述べています。この傾向は今の報道にも通ずるところがあるのではないでしょうか。

 そして、この写真においては、そんな過程を取り戻すためにも、3本の映画がつくられました。ひとつ目はアラン・ドワン監督の『硫黄島の砂』という映画。ふたつ目はクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』という映画。そして3つ目は、まだ記憶に新しい『硫黄島からの手紙』という映画です。ちなみにこの映画も監督はクリント・イーストウッドが務めました。この3本の映画がどこまで「過程」をとり戻すことに成功したのかはわかりませんが、今でも「硫黄島星条旗」は「有名な写真」として存在し続けていることは事実です。

 

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 きっと、ふだんからこのブログの記事を読んでくださっている方は、急に写真の話を始めてどうしたんだと思っていることでしょう。この「硫黄島星条旗」に関する一連の話は、ふだんのコミュニケーションに通ずるところがあると思いませんか。

 過程をすっ飛ばして、表面的なところだけで判断してしまったせいで、まったく話が噛み合わなかったとか。自分の頭の中では繋がっているのだけれど、相手からすれば急に話が変わったように聞こえていたとか。よくあることですよね。

 もっとも理想的なコミュニケーションとは、発信者と受信者がまったく同じ過程をたどることだと思っています。まったく同じ道筋をたどって、発信者の思考のコピーが受信者の思考にペーストされる。これがもっとも理想的なコミュニケーションです。

 ところがおもしろいことに、その過程を逐一丁寧に説明しているようではまったく前には進めません。言わなくてもわかるであろう過程はわざわざ言わない。これがことばのもつ大きな性質です。だからこそ、逆にすっ飛ばしすぎて受信者が同じ道をたどれなくなることがあるのです。この「すっとばす距離」というものは、相手によって多少の調整が必要です。遠くに飛ばしても同じ道をたどってついてきてくれる人もいますし、近くに飛ばしたのにまったく違う方向へと進んでいってしまう人もいます。

 ちなみに「冗談」とは、意図的にすこし遠くに飛ばすことを言います。相手が同じ道をたどってこれるか、ギリギリのところを攻めます。受信者は受信者で、どのような過程でそのことばが生まれたのかを推理します。その道筋をみつけられたとき、大きな喜びが生まれます。発信者も発信者で、意図を汲み取ってくれたことに対して喜びを感じます。ときどき遠くに飛ばしすぎて、過程を共有できないこともありますが、それもまた経験です。

 話を戻しましょう。要するに、表現されている「ことば」とは「飛んだ先」であり、その過程は目に見えません。だからこそ、その過程を想像し、発信者と受信者ですり合わせることが大切です。どちらか一方の能力だけでは成り立ちません。両者の協力が必要です。その上で、お互いに過程を共有できたら、はじめてコミュニケーションは一歩前へと進むのです。

 「硫黄島星条旗」の写真のように、一度過程を失ってしまったら、なかなか取り戻すことはできません。切り離された「形式」だけがひとり歩きを始め、まったく異なる物語を生み出してしまうことになるからです。特に「写真」というメディアは切り取られやすいのだろうなと思います。写真とことばの関係性、なかなか奥が深そうですね。

taishiowawa.hatenablog.com

 

  月曜の朝から一体なにを長々と書いているんだろう。どうですか。ちゃんと伝わっていますか。なんだかよくわからなかった人は、また読みにきてください。それまでにちゃんと推敲しておきます。なによりも明日はお休みですからね。1日行って、1日休む。1−1=0。これが正しい計算です。さあ、たったの1日です。はりきっていきましょう。