ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】悪口や陰口は「あなたを信用している」という意思表明なんだろうな

 

 おはようございます。街へ出て、映画を観て、本を読んで、記事を書く。これが最近の休日のすごし方です。有意義なように見えるかもしれませんが、これがルーティン化してしまうのは少しこわいなと思っています。結局、このすごし方をすれば「休日を無駄にしてしまった」と感じなくて済むというだけですからね。映画や本の中身が違えど、行動自体に変化がなければ新しいものは生まれません。だから、もっといろいろな場所に足を運ばないといけませんね。遠くに行くとなると、ついついそれ相応の対価を求めてしまいます。もっと気軽に、目的もなく、ふらっといろいろなところへ足を運んでみようかしら。どうも、インクです。

 

悪口や陰口は「あなたを信用している」という意思表明なんだろうな

  人の悪口を言ってはいけません。そう言う大人たちは、人の悪口を言っています。自分が陰口を言われたら嫌でしょ。そう言う大人たちは、人の陰口を言っています。悪口や陰口は誰かを傷つける可能性がある。だから言ってはいけない。子どもも大人もそんなことはわかっています。わかった上で言っているのです。だめだとわかっているのに言ってしまうということは、言うと何かいいことがあるのでしょう。一体どんないいことがあるのでしょうか。今日は「悪口」や「陰口」について考えていきたいと思います。

 

1.わたしはバカじゃない!

 ひとつ目に考えられる悪口・陰口のメリットは、自分の立場の確保です。「アイツはバカだ」と言うことで「自分はバカじゃない!」とアピールしているのです。そう考えると、少しかわいそうになってきます。人のことを蔑まないと、自分の立場を確保できないわけですからね。

 もしくは、人のことを蔑んでまでして、自分の安心がほしいのかもしれません。人のことを「キモい」と言うことで「わたしはキモくないよね?」と確認しているのです。「人のことを悪く言う人」というのは、同時に「人から悪く言われることを極度に怖れている人」でもあるのです。攻撃は最大の防御というやつですね。

 簡単に言ってしまえば、自信がないのです。不安で不安で仕方がないから、他人を傷つけてしまいます。そして、結果的に傷つくのは自分です。だから、また不安になって、また人を傷つけます。こうして、悪口は悪口を生み、みんな傷ついていくのです。

 だから、悪口や陰口を言っている人に対して「そんなことを言ったらだめだよ」ということばをかけるのは少し違うような気がします。はじめにも述べたように、言ったらだめなことくらいわかっています。わかっているけど、言うのです。自分を保つためには言わなければならないのです。本当に誰かの手助けが必要なのは、悪口を言われている側の人ではなく、言っている側の人なのかもしれません。

 

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2.手っ取り早く共感したい!

 人と仲良くなる上で大切なのは「共感」です。すきなアーティストが共通している。すきな作家が共通している。趣味が共通している。考え方が共通している。このように、人と人が仲良くなるためには「共感」が必要です。

 ときどき「まるで正反対な性格なのにいつも一緒にいるの」というようなことを言っている人をみかけますが、きっとその入り口には何かしらの「共感」があったはずです。本当にまるっきり「共感」がなかったとしたら、親密になることなんてありえないと思っています。それくらい「共感」は重要なのです。

 そんな「共感」を生むために、もっとも手っ取り早い方法が誰かの悪口や陰口です。「共感」ならぬ「共犯意識」が芽生えるからです。残念ながら、対象がはっきりしている分、悪事をはたらくときの方が人と人は結びつきやすいのです。批判的なツイートや攻撃的なツイートの方がバズりやすいのと同じですね。

 「アイツほんとバカだよね」と言うことで「あなたのことはバカだと思っていないよ」というメッセージを送ります。受け手も受け手で「わたしはバカだと思われていないんだ」と安心し、相手のことを信用します。

 要するに「ふたりだけの秘密」というやつです。秘密を共有することで、お互いに信用し合い、関係性を築くのです。まあ実際は「ふたりだけ」なんて幸せな世界は成立しないんですけどね。自分にはこう言っていたのにあの子にはああ言っていた、だなんてことが往々にして起こります。こうして、結果的に自分が傷つくことになるのです。

 この人たちもかわいそうな人たちです。人のことを悪く言わないと、友だちがつくれないわけですからね。やはり、同じように不安なのでしょう。人を傷つけてでも、誰かと一緒にいないと不安で不安で仕方がないのです。このままだと自分が悪く言われてしまうかもしれない。自分が悪く言われる前に、人のことを悪く言ってしまおう。よし、これで大丈夫。自分が悪く言われることはないだろう。え、あの子がわたしのことを悪く言っていたって本当?なんだよアイツ陰でこそこそ言いやがって。性格が悪いなあ。...こうして負の連鎖は続いていくのです。

 

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 間違いなく言えることとしては、人の「悪口」や「陰口」の先に幸せはありません。それにも関わらず、人々がそれをやめないのは、一時の喜びがそこにはあるからです。信用があり、共感があり、安心があります。だからこそ、手っ取り早い「悪口」や「陰口」に流れてしまうのです。

 反対に「悪口」や「陰口」を一切言わない人は、「自分」のことを信用しているのだと思います。人のことをとやかく言わなくたって、自分のことがよくわかっています。他人の評価に頼らずとも、自分の足で立つことができます。結果的にこのような人のまわりに、信用が集まり、共感が増え、安心感が備わっていきます。これらは一時的なものではなりません。その人の血となり肉となっていきます。

 それでもまだ「悪口」や「陰口」を言うというのなら、それは自由にしてください。言わなければ自分を保つことができない人も中にはいるはずですからね。ただし、何度も言いますが、その先に幸せはありません。相手を傷つけ、自分も傷つく。この繰り返しです。抜け出すならば、はやいに越したことはありません。「悪口」や「陰口」に頼らなければ生きていけなくなってしまうその前に。もう一度自身の人間関係をふり返ってみてもいいのかもしれません。