ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】「そんな意見もあるんだね」の先に生まれるものに価値がある

 

 おはようございます。昨日、前任校のクラスの子どもから年賀状が届きました。まだ1年も経っていないのに、とても懐かしかったです。基本、年賀状なんてなくなってしまえばいいと思っているのですが、思わぬ相手からだったのでとても嬉しかったです。

 やはり、ふだん会うこともなければ連絡先も知らない、そんな相手だからこそ、こんなに嬉しかったのだと思います。「空腹は最高の調味料」というやつですね。不便さや不自由さが、かえって効果的にはたらくこともあるわけです。さっそくお返事を書いたので、出勤前にポストに投函してしまおうと思います。どうも、インクです。

 

「そんな意見もあるんだね」の先に生まれるものに価値がある

  学校ではよく子どもたちどうしでの話し合い活動を行わせます。自分が子どものころも、よくやらされた記憶があります。正直あんまりおもしろくないんですよね、あの話し合い。先生は簡単に「さあ、グループごとに話し合いましょう」だなんて言うけれど、子どもからすれば「何を話し合うの?」というかんじです。

 先生側の意図としては「他の人の意見も聞いて考えを広げよう」なのですが、そもそもの議題が浅すぎて、ほとんど話すことがないのです。僕は〇〇だと思います。俺も!私も!僕も同じです!終わり。これ以上話すことがありません。しかし、話していなかったらまるでやる気がないグループだと思われてしまいます。いやいや、単純にこれ以上話すことがないんだよ。話すことがないのに何を話し合えってんだ。という状態に陥ります。そこで先生が変に注意でもしようものなら、先生に不信感を抱くきっかけになってしまうかもしれません。

 このように、先生の「とりあえず話し合わせておけばいいや」という安直な思いから始まる話し合いでは、ほとんど効果がありません。むしろ、子どもたちは、数を重ねるごとに話し合いが嫌いになっていくかもしれません。そんなつまらない話し合いの特徴としては、大きく以下のふたつが挙げられます。

 

 ① はじめから言いたいことがない

 ② 話し合う必然性がない

 

 要するに、子どもたち自身が「話し合いたい」と思っていないということです。そりゃあ、ごんぎつねの気もちなんて別に話し合いたいとは思いませんよ。算数の問題の解き方だって自分が分かっていればいい話ですし、理科の予想なんてどうせこのあと実験をして結果を出すのだからなんだってかまいません。社会の資料を見比べながらちがいを話し合うにしたって、見たままのことを言うだけです。これ以上深まることなんてめったにありません。

 先生が「話し合え」と言うからとりあえず話そうか。これが子どもたちの本音です。別に話し合いたいだなんてこれっぽっちも思っていないのです。このような状態に陥ってしまう原因は間違いなく先生にあります。先生の想像力が圧倒的に不足しています。先ほどは「とりあえず話し合わせておけばいいや」と表現しましたが、さすがになんのねらいもなく話し合わせるような先生はいないと思います。何かしらの意図をもって話し合わせるはずです。しかし、そんな「意図」だけでは不十分なのです。そんな「意図」を実現させるための「仕掛け」が必要なのです。簡単に言えば「どうすれば話したくなるかを考える」ということです。

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 たとえば先日、このような形で算数の授業をしました。うちのクラスは机が4列に並んでいるのですが、1列目と3列目にはAのプリントを、2列目と4列目にはBのプリントを配りました。この時点で、子どもたちからすれば「あれ?配られているプリントが違う。何かが始まるぞ...」という気もちになります。その上で説明を始めます。流れはこうです。

① 配られたプリントの問題を解く

② 前後の列でペアになり自分が説いた問題を教える

 形はいたってシンプルです。自分が解いた問題を、その問題を解いていない友だちに教えます。しかし、これだけではうまくいかないと思うので少しずつ条件を加えていきます。まず ① は、15分間という制限時間を設けます。② のためにも、その15分間の間に人に教えられる状態をつくらなければなりません。ただし、先生は答えを教えません。だからこそ、いかにこの15分の間に不安を解消しきるかが鍵になります。そのために友だちがいます。自分と同じ列の友だちは、自分と同じ問題を解いているわけですから、教え合うことができます。この15分の間なら別に立ち歩いても構いません。自分の不安を解消しておくためにも、同じ列の人たちどうしで答え合わせを始めるのです。

 ここでポイントになるのが、先生は一言も「話し合いましょう」だなんて言っていないというところです。先生がやったことは「話し合いたくなるような状況づくり」です。話し合わなければ、② で困るのは自分ですからね。言うまでもありませんが、ここで効いているのが「答えを教えない」という条件です。これがあるおかげで、子どもたちはいいかんじに不安になります。不安を解消するためには友だちを頼るしかないのです。しかも、列ごとに配られているプリントが違うわけですから、頼るべき相手が明確です。

 そして、その15分が終わったら ② に移ります。② では、同じプリントをもう1枚配布し、それを相手に解かせていくという形をとります。ここでも、いきなり「さあ、教えましょう」と言うのではなく最低限の条件を設定します。それは「教えられる側は教えられるがままに解く」という条件です。「オレもうわかってるから教えられなくてもいいし」とか「これはこうやって解くんでしょ」とか言って、どんどんと解き進むのではなく、相手に教えられるがままに問題を解きます。相手が間違っていても間違った答えを書きます。あくまでもこれは教える側の練習なんだということを徹底させます。つまり教えられる側は、相手に付き合ってあげるのです。

 この条件を設定することで、一気に優しい話し合いが生まれます。教えるのが下手なペアでも、教えられる側が上手に手助けをし始めるのです。当然のことながら、手助けをするということは「問題を理解している」ということが前提になります。先に問題の意図を汲み取ってから、お互いに「教える/教えられる」という役割を果たしていくことになるのです。だから、先ほどは「教える側の練習」だと書きましたが、実際に高度なことをしているのは「教えられる側」なのです。「問題の意図」と「教える人の意図」の両方を汲み取りながら、「教えられる人」を演じなければなりませんからね。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 

 先生という立ち場から、ここでの子どもたちの話し合いを見ていると、まあおもしろかったです。とにかくよく話していました。やっぱり「人に教える」っていい勉強になるのだろうなと思いました。

 そして何よりも先生が楽です。ニヤニヤしているだけで、授業が進んでいきます。それと同時に「先生はこれでいいんじゃないか」とも思いました。徹底的に仕掛けを組み立てて場を用意する。そして実際の授業ではニヤニヤしながら見守る。これからもニヤニヤし続けられたらなと思います。

 なんだか記事のタイトルとは少しズレてしまいましたね。まあそんな日もあります。なぜなら、寝坊したからな!