ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【月】困ることがない授業はあまり意味がない

 

 おはようございます。iPadでも文章を書けるようにBluetoothのキーボードを買ってしまいました。BOOKOFFで950円でした。BOOKOFFなのに本じゃねえじゃん。フィクションは本だけにしとけよ。どうも、インクです。

 

困ることがない授業はあまり意味がない

  学校の先生は「分かりやすい授業」を目指します。だからこそ、一生懸命説明しようとして、ついつい喋りすぎてしまいます。しかし、よく目にするラーニングピラミッドをもとにすると、一方的な「講義」は学習定着率が非常に低いとされています。

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 そのことをよく知っていて、一方的な「講義」にならないように気をつけている先生もたくさんいますが、そんな先生に限ってこんな風に思っている人がたくさんいます。自分の役割は「子どもたちの問題解決のサポートだ」と。どうすれば子どもたちが自分の力で解決できるだろう。あの子に理解させるためにはどうしたらいいだろう。こうして、解決させるための手立てを試行錯誤することに一生懸命になってしまうのです。

 そうではありません。違います。ここが一番の落とし穴なのです。先生の一番の役割は、子どもたちを手助けすることではありません。子どもたちを困らせることです。解決への手立てなんて二の次です。順序を考えれば当然だと思いませんか。はじめから困っていなければ、解決もへったくれもないのです。以下のようなケースがよくあります。

先生「今日から割り算の筆算の学習をはじめます」

子「オレもうやり方知ってる!できる!」

 必ずクラスにひとりはいます。学習塾に通っていたり、通信教育で予習をしていたり。もうこの時点で、この子の学習定着率はがくっと下がります。「自分は分かっている」「もう理解している」と思った瞬間から人の脳は動かなくなってしまうのです。

 そんな子どもたちを相手に、いくら問題解決の手立てを打ったところでなんの意味もありません。なぜなら、その本人が「すでに解決できている」と思っているからです。先生をされている方ならよく分かると思いますが、そういう子に限ってテストでは100点がとれません。そりゃそうですよね。授業が右から左に受け流されているのですから。

 ここで改めて本題に戻ると、やはり先生はそんな子どもを思いっきり困らせる必要があるのです。考えるとは困ることです。学習とは、その困難を解消するために試行錯誤することです。スタートは「困る」なのです。先生は子どもたち全員をこのスタートに立たせてやらなければなりません。本当に上手に困らせることができれば、子どもたちは生き生きと自分たちで問題を解決していきます。

 

 先日、イモニイこと井本陽久先生のお話を聞く機会があり、その流れで書籍も読ませていただきました。おおたとしまささんというジャーナリストの方がイモニイの実践をまとめた『今、ここで輝く。』という本です。

  この本の中で紹介されていた実践の中に「ことばでお絵かき」というものがありました。おもしろそうだったので、早速自分のクラスでも試してみました。概要としては「グループのひとりに、ことばだけで説明して、指定された図形を描かせる」というものです。たとえば、こんな図形をお題に出しました。

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  すると、子どもたちはまあ喋ること喋ること。ふだんは大人しい子どもも一生懸命になって説明していました。

「まずは、真ん中に正方形を書いて!」

「パックマンがふたりいて〜」

「丸をふたつ!斜めに書いて!」

「ああ!違う違う!そっちじゃなくて!」

 先生である自分はニヤニヤしながら、このような対話を聞いているだけです。どうしてこれほど活発に対話が行われたのかというと、やはりはじめに困ったからなんですよね。どうやってこの図形を伝えよう。どこから説明したら伝わるんだろう。自分が描く側だったらどう思うだろう。自然といろいろなことを考えます。はじめに困らせることさえできれば、あとは子どもたちが勝手に学んでいくのです。

 冒頭では、偉そうなことを書いていましたが、この実践をやってみて「先生の在り方」を改めて考えさせられました。何度も言いますが、困っていない子どもに解決方法を一生懸命伝えてもなんの意味もありません。まずは困らせよう。存分に困らせよう。そして、困った姿を見てニヤニヤしよう。そんな先生になりたいと思いました。

 

 

 いかに相手を困らせることができるか。そう聞くとなんだかすごく性格の悪いやつのように聞こえますが、この考え方はスポーツに通ずるところがあると思います。野球は、相手が困るとこをに球を打ち返すスポーツです。サッカーは相手が困るところに走りこんで得点を狙うスポーツです。バスケだってバレーだって同じです。どうすれば相手が困るのかを一生懸命考えるのです。

 これがまた楽しいんですよね。まんまと困ってくれたらこっちのものです。なぜこれが楽しいのかというと、やられた相手が気持ちのよい顔をしてくれるからです。「一本とられた!」というやつです。ときどきいますが、そこで相手が怒ったり不機嫌になったりすると、やっぱりその場はおもしろくなくなってしまいます。

 勉強も同じなのかもしれません、先生は子どもを困らせるように企み、子どもはよい顔をしてその企みに立ち向かう。そして、ときには先生の予想以上の力を発揮し、逆に先生を困らせる。勉強って本当は楽しいんですよ。勉強がおもしろくないものだと思い込んでいるのは、のび太くんやまる子ちゃんに洗脳されているだけなのです。