ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】自己肯定感の有無というよりかは自他がより幸せになれる道を選べるかどうか

 

 おはようございます。目が覚めたら朝の5時半でした。30分1本勝負で書き上げます。たまにはそんな日もあるさ。30分クオリティをお楽しみください。どうもインクです。

 

自己肯定感の有無というよりかは自他がより幸せになれる道を選べるかどうか

  最近よく耳にするようになったことばに「自己肯定感」というものがあります。一体どこから生まれたことばなのでしょう。自己肯定感、自己肯定感。自分を肯定する感情。日本人は自己肯定感が低い。自己肯定感が低いのはダメなこと。本当にいろんな場所でよく聞きます。

 

 ほんまかいな

 

 と思います。確かに日本人の国民性を考えると、自己肯定感が低いと思われても仕方がない部分はあると思います。謙遜や遠慮が美徳とされる文化ですからね。そりゃあ「おれはすごいんだ!」とは言いづらい環境ではあるでしょう。ただ、本当に「おれはすごい!」と言えるようになるべきなのかと聞かれると、ただただ疑問でしかありません。本当に自己肯定感は高い方がいいのでしょうか。本当に「自分大好き!」が正しいのでしょうか。

 

 自分のことが嫌い

 

 時々こんなことを言う人に出会いますが、どうしてわざわざそんなことを言うのだろうと思います。別に自分のことが好きだろうが嫌いだろうが、その人の自由なのですが、どうしてわざわざそれを言うんだろう。結局は「いやいや、あなたにも素敵なところはたくさんあるよ」と言ってほしいのでしょうか。「そんなこと言わないで」と慰めてほしいのでしょうか。

 嫌いなのであれば変わればいいし、変われないのなら好きになるしかありません。変われない原因は、変わろうとしていないか、変わる必要がないかのどちらかです。

taishiowawa.hatenablog.com

 上の記事にも書いたとおりです。変わらない部分というものは、精選された上で残った部分だということができます。急に軽くなってしまいますが、簡単に言えば「個性」です。自分が自分である所以、アイデンティティです。映し鏡、ショーウィンドー。

 

 幸せになれる道を選べるか

 

 正直なところ、自分のことを好きだとか嫌いだとか、どうでもいいと思っています。勝手に思っておけばいい。本当にどうでもいい。結局は幸せになれる道を選べるかどうかです。心と行動は別々です。心でどれだけ自分を嫌いだと思っていようが、行動で幸せになる道を選ぶことはできます。もちろん自他どもに。

 ここです。教育業界も含めて「心」に焦点を当てすぎているような気がします。人の心なんてそう簡単には変わりません。昨日の記事にも書きましたが、他者の心を変えることなんてできないので、人を動かしたかったら環境を変えるしかありません。そして、その環境を変えるのは行動でしかありません。「心」なんて二の次、三の次です。もし「心」を変えることを最終目的にするのであれば、その前に変えなければならない箇所がいくつもあるはずです。急に「心」は無理ですぜ。

 

 

 これぞ、毎日更新という自分ルールに縛られたやっつけ仕事というやつです。もしかするとまた書き直すかもしれません。まあ、たまにはこういう日もあるさ。寝ちゃったんだもの。しかたねえさ。それを許してやることこそが幸せになる道なのです。