ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】先生も保護者も同じ教育を受けて育ったという事実が一番厄介

 

 おはようございます。土曜日は更新しなくてもいいかという悪魔の囁きが聞こえてきたのですが、せっかくなので曜日に関係なく続けていきたいと思います。あまり好きなことばではありませんが、今回に限っては「継続は力なり」を信じてみることにします。どうも、インクです。

 

先生も保護者も同じ教育を受けて育ったという事実が一番厄介

  子どものころから学校という場所が嫌いでした。気持ちの悪い綺麗事ばかりを語る先生が嫌いでした。みんなで同じことをしなければならないあの空気感が嫌いでした。だから、先生になりました。

 しかし、先生になった人のほとんどがそうではありません。子どもの頃に出会った先生に対する憧れや、その先生にお世話になった経験が、きっかけになっている場合が多いです。だからこそ、多くの先生たちは学校に疑いをもちません。自分の中で、学校生活が美しいものとして残っているからです。過去の「いい思い出」を子どもたちに投影しようとするのです。

 なんの疑いもなく宿題を出し、なんの疑いもなく板書をノートに写させます。そして、なんの疑いもなく明るい子どもを良しとし、暗い子どもを心配します。「いい思い出」の中で、自分がそうされてきたからです。何も「宿題」や「板書」そのものを否定しようとしているわけではありません。なんの疑いももたずに、胸を張って子どもたちの前に立つその姿を否定しているのです。

 さらに厄介なのが、保護者も「同じ教育」を受けているということです。「学校とはこうあるべきだ」というイメージが固定されており、そこから外れることを極端に恐れます。子どもたちの将来を心配している風を装いながら、本当は自分のイメージする学校像から外れていくことを心配しているのです。自分自身がそんな「教育」を受けて「ここまでそれなりにやってきた」という自負をもっているのです。

 ホリエモンの著書に「すべての教育は『洗脳』である」というタイトルの本があるのですが、本当にその通りだと思います。すでに洗脳を受け終えた保護者と先生が、真っさらな子どもたちを洗脳していくのです。大人たちは、自分が洗脳されていることにも、子どもたちを洗脳していることにも気がついていません。教育は尊く正しいものだと、本気で思い込んでいるからです。

 疑問を抱いたころには、時すでに遅し。まわりの友だちはすでに洗脳されてしまっています。どれだけ、学校のおかしさを訴えたところで、みんなは当たり前のように自分の席に座っています。親に言っても伝わりません。先生に言っても伝わりません。なぜなら、親も先生もとうの昔に洗脳されているからです。そんな教育に疑いを持ってしまった子どもに残された道はふたつです。自分の気持ちに嘘をついて洗脳されたふりをし続けるか、堂々とはみ出し者になるかです。どちらも辛い選択になるでしょうね。

 

 

あの太陽が偽物だってどうして誰も気づかないんだろう

youtu.be

 

バケツ持たされて廊下に立ってた あいつはきっと分かってた  俺は何も考えず椅子に座ってた 真っ黒な黒板に向かってた

www.youtube.com