ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】できていない子どもが悪者にならないシステムを

 

 おはようございます。今や当たり前のように書いていますが、自分のツイートをネタにブログの記事を書くって、なかなかにナルシストなシステムですよね。このシステムのおかげで、ネタ切れに陥ることがありません。ツイートの数だけネタがあるわけですからね。記事の更新がツイート数を上回ることなどまずありえないので、言ってしまえばほとんど永久機関です。我ながらグッドアイデアだったと思います。もしかすると天才なのかもしれません。どうも、インクです。

 

できていない子どもが悪者にならないシステムを

 怒り出すヤツがいたらおもしろくなくなる。これはあらゆる集団に共通することだと思います。誰が悪いだとか、理由があるだとか、そんなことは関係ありません。誰かが怒り始めたその時点で、その集団はつまらない方向へと進んでいきます。怒っている本人はもちろんのこと、怒りをぶつけられている周りの人たちもおもしろいはずがありません。

taishiowawa.hatenablog.com

 だからこそ、うちのクラスの体育では、どんな理由があっても怒り出したら即退場です。...というような話を上の記事に書いていますので、まだ読んでいない方がいらっしゃいましたらぜひ読んでみてください。今日は、教室内で起こり得るこのような現象について考えていきたいと思います。

 学校にいると、よくこんなことばが聞こえてきます。

 

  静かにしてください!

 

 これは先生のことばではありません。 子どもたちのことばです。俗に言うところの「注意」です。おしゃべりをしているクラスメイトに対して注意をしているのです。一見、子どもたちどうしで声をかけ合っていて、素晴らしいことのようにも思えるのですが、「注意」には気をつけなければならないポイントがいくつもあります。パターンごとに考えてみましょう。

taishiowawa.hatenablog.com

 ひとつ目は「いちいちうるさいなあ、アイツ真面目かよ」というパターンです。ちびまる子ちゃんで言うところの前田さんです。ひとりだけ熱量が高く、自分の正義感がまわりとズレていることに気がつきません。一生懸命注意しているのに、聞いてもらえない。むしろ注意している側が煙たがられてしまう。正しいことを言っているはずなのにどうして...というパターンです。

 クラスの状態によっては、「アイツは先生に媚びている」だとか「アイツの言うことはもう無視しようぜ」というようなことへと発展していく可能性も十分に考えられます。こうなってしまってから、その子の立場を回復させるのはかなり難しいと言えるでしょう。

 ふたつ目はその逆。できていない子が責められてしまうパターンです。「〇〇さん静かにして!」「〇〇さんちゃんとやってよ!」「〇〇さん早くして!もう!」という具合です。このような声かけは、明らかにできていない子どもに対して行われます。ドラえもんでいうところののび太くんです。だから、注意している側は自信満々に発言します。しかも、あの子に対してなら自分も言えると、ここぞとばかりにいろんな子どもが注意をし始めます。たしかにできていなかったかもしれないけれど、そこまで言わなくても...というパターンです。

 クラスの状態によっては、「アイツのせいで遅れた」だとか「アイツなんかいなければいいのに」というようなことへと発展していく可能性も十分に考えられます。こちらも同様に、こうなってしまってから、その子の立場を回復させるのはかなり難しいと言えるでしょう。

f:id:taishiowawa:20191212041108p:plain

 両方に共通していることはふたつ。誰かが怒っているということ。そして、誰かが悪者になってしまっているということです。ひとつ目のパターンは、注意している人が怒り、そのまま注意している人が悪者になってしまっています。ふたつ目のパターンは、注意している人が怒り、注意されている人が悪者になってしまっています。
 はじめにも述べたように、怒る人が出てくると集団はおもしろくなくなります。悪者がいるとなるとなおさらです。自分たちは正しいことを言っているんだと正義感を振りかざし、いじめへと発展する可能性も十分に考えられるでしょう。
 そうならないためにも、まずは原因を探らなければなりません。実は、パターンは違えど、どちらも原因は同じです。それは、集団として「目的」が共有されていないということです。 全員が同じところへ向かっていないからこそ、このようなズレが生じてくるのです。

 たとえば、「笑顔であふれるクラスにする」という目的を、同じ熱量で共有できている集団があるとしましょう。すると、ひとつ目のパターンの前田さんのような子どもは、「クラスを笑顔にするためにがんばっている人」に姿を変えます。仮に、なにか的外れなことを注意をしていたとしたら「その声かけで本当にクラスが笑顔になると思う?」と問いかければいいのです。「目的」は本人が考えるための指標になります。指標さえはっきりとしていれば、間違っていることにも自分で気が付けるようになるはずです。

 一方で、ふたつ目ののび太くんのような子どもは「手伝ってあげるべき人」になります。何かが上手にできないということは、もうその時点で笑顔からは遠ざかることになりますからね。それなのに、さらに多くの人たちから責められようものなら、涙目になって当然です。まわりの友だちがかけるべきことばは「ダメだよ」「違うよ」ではなく「手伝うから一緒にやろう」なのです。

 このように、同じ熱量で「目的」を共有することができれば、その集団から「悪者」がいなくなります。これは、子どもたちの性格うんぬんの問題ではありません。システムの問題です。先生が早い段階で「目的」を明確にし、熱量の共有を行なってこれたかどうかです。先生がこのシステムの構築を怠ってきたのに、そこから生じるヒューマンエラーに対して、表面的な指導を行っても結局は何も変わりません。きっと学級経営に苦しんでいる先生の多くはここだと思います。

 責められている悪者を守ろうと動いても、責めている悪者を指導しようと動いても、もうその段階ではすでに後手を踏んでいるのです。しつこいですが、必要なのは「目的」の共有です。なんのために声をかけるのか。ここがはっきりすれば、子どもたちの「注意」の声は、嫌味でも押し付けでもなく、目的に向かうための「励まし」へと変わっていくはずです。

 

  

 自分のツイートをネタにするだけでなく、自分の過去の記事までをも引っ張ってくるようになってしまいました。これぞ自給自足。地産地消です。同じ人間が書いていることなので、結局中身はぜんぶ同じだったりするんですよね。何を材料にしているかの違いです。

 今日の記事も「子どたちの注意」を材料にしているだけであって、別に学級経営の話をしているわけではありません。すべては自己紹介です。こういう考えをしている人間がここにいるぞ!というアピールです。だからこそ、ひとつの記事を読んでくださったときに、そのまま他の記事にも流れてくださる方がいるととても嬉しく思います。

 このブログで提供しているのは、お役立ち情報ではありません。すべて自己紹介です。この人の考えにもっと触れてみたい。そう思っていただけるような人間になりたいものです。それでは、今週も残すところあと2日。少しずつお正月も見えてきました。ともに笑顔であふれるお正月を迎えられるように励ましあっていきましょう。