ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】<終編>英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 

 おはようございます。という挨拶でいつも始めていますが、果たして朝に読んでくださっている方がどれだけいるのでしょうか。通知を見て「おもしろそうだから読もう」と思ってくださることもとてもありがたいのですが、だれかの毎日の習慣にこのブログが入り込めたら、それほど素晴らしいことはないだろうなと思います。毎日のコーヒー、毎日の新聞、そして毎日の『ツイートの3行目』。そんな人がひとりでも増えてくれるように、毎朝6時更新を続けていきたいと思います。あなたの毎日に、ツイートの3行目。どうも、インクです。

 

英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 同タイトルの記事が随分と長く続いてしまいました。本当は<前編><中編><後編>の3部作で終えようと思っていたのですが、謎の<終編>ができてしまいました。話の内容としては、もちろん続いているのですが、どこから読んでも内容は理解できるようになっています。少しでもおもしろがっていただけたのであれば、ぜひ他の記事にも足を運んでみてください。

 というわけで、この<終編>では「英語やプログラミングの授業よりも、お金やインターネットの授業をした方がいいんじゃないか」という意見の「インターネット」の部分についてお話をしようと思います。黙って俺についてこい(最後まで読んでいただけると嬉しいです)。

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(5)インターネット

 皆様にこのブログを読んでいただくことができているのは、インターネットのおかげです。LINEで連絡ができるのも、Twitterでつぶやくことができるのも、Amazonで買い物ができるのも、すべてはインターネットのおかげです。

 そんな便利なインターネットですが、学校で使い方を教えてもらうことはほとんどありません。せいぜい「Yahoo!キッズ」で知りたいことを検索して調べ物をするくらいです。学校教育でフォーカスが当てられるのは、「インターネットの危険性」ばかりです。「知らない間に個人情報が流出する」だとか「身に覚えのない請求書が届く」だとか「インターネットで知り合った人と実際に会ったら事件に巻き込まれる」だとか。過剰な注意喚起で、もはやインターネットを使うなと言っているようにさえ聞こえます。表面上は「おうちの人との約束を守って使いましょう」と締めくくられるんですけどね。

 インターネットは、とっくの昔に調べ物をするときだけに使うツールではなくなりました。大げさでもなんでもなく、人によっては「生きる意味」になり得るものだと思っています。正確に言うならば、インターネットを経由して繋がった「人」や「作品」が、その人にとってとても大切なものになる可能性があるということです。特に、閉鎖的な学校や会社という空間で息がしづらいような人たちにとっては、インターネットでなら自分の居場所をみつけられるということも大いにあり得るのではないでしょうか。

 インターネットを使用することを必要以上に制限してしまうと、このような世界を知ることもなく、現実でもがき苦しむことになるかもしれません。完全に持論でしかありませんが、人はひとつでも居場所をもっていれば生きていけると思っています。繰り返しになりますが、インターネットは十分に居場所になりうる存在だと思っています。 

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 では、そのようなインターネットをどのように子どもたちに利用させればよいのでしょうか。タブレット端末を与えて「ご自由にどうぞ」と言うのが一番な気もするのですが、なかなか現実的ではありません。「ゲームばかりする」だとか「視力が低下する」だとか、何かにこじつけて大人たちは、タブレットの使用を制限しようとするでしょう。大人が求めている「勉強」もその一台で済ませられると思うんですけどね。学校の連絡も宿題の送信もすべてインターネット上で行えたらとても便利だろうなと思います。

 仮に「学校でインターネットを教える」という形をとるとしたら、どんなことができるでしょうか。まずはやはりタイピングでしょうか。「寿司打ち」をつかって練習することもありますが、あまりにもその場限りすぎて効果がありません。やはりタイピングはチャットで慣れていくのが一番な気がします。自分よりもタイピングが早い相手と、チャットを通してコミュニケーションをとることで、「はやく返信しなきゃ」と必死になって練習するようになるのです。「今日の授業におけるコミュニケーションはすべてチャットの上で行う」という形をとってみてもおもしろいかもしれません。目の前に相手がいるので、その存在を意識しながらことばを選ぶ訓練にもなるのではないでしょうか。 

 他にも、ゴールだけを示して「ここまで辿り着け!」という授業もおもしろいかもしれません。たとえばひとつのウェブサイトを大きく映し出し、なんの説明もせずに「自分の端末に同じ画面を表示しなさい」と言うのです。手段はいくつかあると思います。検索窓にキーワードを入力する人もいるでしょう。URLを直接入力する人もいるかもしれません。はたまた、その画面を写真でとって「Yahoo!知恵袋」で質問する人もいるかもしれません。手段はすべて子どもたちに任せます。この試行錯誤や、手段の多様性こそ、まさに「インターネット」のような気がします。このゴールをウェブサイトではなく、アプリケーションのダウンロードを前提としたものだったり、いくつかのソフトを組み合わせたものにしたりすると、難易度はより高くなっっていくと思います。その過程でトライ&エラーを繰り返し、インターネットの使い方を覚えていってくれたらと思います。

 ここだけの話、多くの男の子は、いかがわしいサイトを渡り歩くことで、インターネットの歩き方を覚えていくような気がします。どこまでが危険で、どこまでが安全なのか。何が本当で、何が嘘なのか。この判断は、やはり使ってみて初めてわかることが多いのです。未だにわけのわからない迷惑メールが届くことがありますが、あんなメールが届くということは、世界のどこかにはそれに引っかかる人がいるということです。もう今の時代を考えると、インターネットリテラシーは子どものうちから身につけておくべき力のひとつであると言い切れるのではないでしょうか。

 

 

 はじめにリンクを貼った過去の記事のスター数を見ていただけたら分かるとおり、<後編>に近づくにつれて数字がぐんと減っています。やはり、タイトルに<中編>や<後編>とついていたら、なかなか読む気にはならないのでしょう。「前の記事の続き= はじめから読むには時間がかかる」という判断になりますからね。自分が読む側だったとしても、きっとクリックしないと思います。分かりやすい実験結果が出てくれたので、いい勉強になりました。

 ひとまずは、この長編「英語とプログラミングよりもお金とインターネット」もこの記事で終了です。明日からはまた、1記事完結のスタイルに戻していこうと思います。改めて各教科について考えてみて、やはり教師自身が、その教科の価値を模索することがとても大切だなと思いました。ほとんど思いつきで書いていたので、浅い考察になってしまったかもしれませんが、どこかのだれかが考え始める「きっかけ」として機能してくれたらいいなと思っています。このブログは、筆者の自己満足でありながら、同時に「提案」をしているつもりでもあります。ひとりよがりは寂しいですからね。一緒になって考えてくださると書き手冥利に尽きるというものです。これからも何卒宜しくお願いします。