ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】<前編>英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 

 おはようございます。今日は神戸マラソンに出場してきます。人生で二度目のフルマラソンです。目標はとにかく完走。足切りに引っかからないように、何とか走り切りたいと思います。靴を履いて走っているのが筆者ですので、見かけたら声援お願いします。どうも、インクです。

 

英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 「道徳」に引き続き、「外国語(英語)」や「プログラミング」が本格的に導入されるということで、現場はてんやわんやです。「もっと他にやるべきことがあるだろ」だとか「文科省は現場を知らない」だとか、批判だらけです。何事も始まりには批判がつきものですが、現場にいる身としては、そりゃあ批判もしたくなるよという感じです。ただ、批判ばかりしていても、始まるものは仕方がありません。それこそ、子どもたちのためにも準備をしなければなりません。というわけで、今日はそれぞれの教科(ややこしいのでこの記事ではすべて「教科」と呼びますね)についての私見を述べていきたいと思います。

 

1.道徳

 たびたび言っているので、よく読みにきてくださっている方ならご存知かと思いますが、筆者は道徳が大嫌いです。子どものころから嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。気持ち悪いったらありゃしません。大人の顔色を伺いながら、それらしい「良いこと」を言わなければなりません。そのくせして「答えはないよ」「自由だよ」といったスタンスをとってきます。

 一言で言うなら、浅いんですよね。道徳のテーマになることが多い「人間関係」も「命」も、もっと複雑でもっと難解なはずなのに。気味の悪いコテコテな物語を読まされて、「仲間外れはよくないことだよね」「命は大切だよね」と言われておしまいです。そもそもはじめから、そのようなゴールに向かうためにつくられた物語です。その意図がスケスケに見え透いています。もはや露出狂です。何が多様性だよ。何が人それぞれだよ。はじめから答えがあるんじゃねえか。道徳の悪口を言っているとキリがありません。思わず口も悪くなってしまうものです。

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 だからこそ、自分が先生として授業をするときには苦労しました。自分に嘘をついているようで、子どもたちを騙しているようで、「いやあ、先生やってるなあ」という感じでした。そこから試行錯誤を重ね、今では割と楽しんで道徳の授業ができるようになりました。きっかけは、内容項目をゴールとして扱うのを辞めたことでした。

 内容項目とは、各教材に設定されている「キーワード」のようなもののことです。簡単に言えば、内容項目を理解させられたらそれでOKというわけです。いわゆる授業のゴールです。「生命の尊さ」や「礼儀」、「思いやり」「公正」など種類は様々です。話を戻しますが、これらの内容項目を「ゴール」ではなく「議題」として扱ってみたのです。そこから道徳はおもしろくなりはじめました。

 たとえば、先日「国際理解」「国際親善」という内容項目の教材をつかって授業を行いました。もちろんここで求められていることは「国による文化の違いを理解してみんなで仲良くしましょうね」です。口が滑ってもそんなことだけは言いたくありません。この授業では以下のような流れで話を進めました。

①「みんなと同じじゃないと不安?」

②「『ふつう』ってなんだろう?」

③「あなたは『ふつう』?」

 子どもたちの話を聞いているとかなりおもしろかったです。順番におおよその意見を紹介していきたいと思います。まずは、①の「みんなと同じじゃないと不安?」という問いに対してですが、ほとんどの子どもが「YES」と答えました。たとえばどんなときかと聞くと、「算数の答えがまわりの友だちと違ったとき」だとか「多数決で少数派になったとき」だと言っていました。学校で過ごす限り、多くの子どもが経験する感情なのでしょう。

 ②の「『ふつう』ってなんだろう?」という問いに対しては、「当たり前なこと」「みんなができること」「テストで平均点をとること」などという回答が並びました。そして、自分たちがふだんから「ふつう」ということばをよくつかっていることにも気が付きました。

 そして、最後の③の問い「あなたは『ふつう』?」です。ここでおもしろいことがおきました。自分のことを「ふつう」だと思う人に挙手させたのですが、ほんの数人しか手が挙がらなかったのです。一番はじめにこの質問をしていたら、もしかするともっと手が挙がったのかもしれませんが、改めて「ふつう」について考えた後だと、数人しか手が挙がらなかったのです。もうお気づきかと思いますが、この時点で矛盾が生じているわけです。「ふつう」が少数派なのです。あれ?「ふつう」って「みんな」に共通することなんじゃなかったっけ?「ふつう」の方が少ないっておかしくない?

 もうこのあたりから子どもたちのニヤニヤが止まりませんでした。「えー!じゃあ、『ふつう』って何!?」「『ふつう』って人によって違うのかな?」「もしかすると『ふつう』なんてないんじゃないか?」「でも、「ふつう」ってよく言うよ?」というように話は進んでいきました。

 そんな話をひと通りした後に、「国際理解」に関する教材を読ませたのですが「そんなことはもうすでに話し合ったよ!」「それより『ふつう』って何なんだ!」とツッコミをいれていました。本当にその通りです。人によって違うことなんてとっくの昔に気付いています。人によって違うのだから国によって違うのは当たり前、とこういうわけです。つまり、この段階でしれっと内容項目をクリアしているのです。

 他の内容項目でも同じです。「生命の尊さ」なら「命ってなんだ?」と問いかければいいのです。その上で、「命は大切?」と尋ねます。大抵は「ひとつしかないから大切」と答えますが、そういうときは手に持っているチョークを見せて、「このチョークも世界に一本しかないよ。磨り減り具合や長さが全く同じチョークは他にはない」と屁理屈をこねましょう。すると、子どもたちは分かりやすく困ってくれます。なんとか先生を黙らせてやろうと考え始めます。先生はとことん揺さぶり、子どもたちは「当たり前」だと思っていたことについて改めて深く考える。これが「道徳」なのではないでしょうか。

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 「1.道徳」とナンバリングしておきながら、語り始めると随分と長くなってしまいました。初の試みですが、前編・後編に分ける形をとりたいと思います。後編では「外国語」「プログラミング」、そして「お金とインターネット」について書きたいと思います。もしかすると、3部作になるかもしれませんね。読みづらくなるかもしれませんが、気長にお付き合いください。それでは、完走目指して走ってきます。よい日曜日をお過ごしください。