ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】炎上騒動に関する発言を見ているとサカナクションの『エンドレス』を思い出す

 

 おはようございます。暗くなるのがずいぶんと早くなってきました。子どもの頃は、だんだん暗くなっていくようすを目で見て知っていましたが、最近はふと外に出ると「もうこんなに暗いの!?」と驚くことが多くなりました。だんだん日が暮れていき、真っ暗なのにまだまだ遊び続けるあの感じをとても懐かしく思います。何も見えないのに声だけが聞こえるんですよね。決して戻りたいとは思わないけれど、忘れてはいけない感情のような気がしています。楽しいけれど、くれぐれもよい子のみんなは暗くなる前におうちに帰るんだよ。どうも、インクです。

 

炎上騒動に関する発言を見ているとサカナクションの『エンドレス』を思い出す

  最近よく教育業界が燃えていますね。賞味期限の短い時事ネタを取り扱うつもりはないので、具体的な話はしませんが、読んでくださっている方の中にはいくつかのニュースが思い浮かんでいるのではないでしょうか。

 炎上しているニュースについての発言は、安易であまり好きではありません。加害者・被害者がはっきりしているものならなおさらです。被害者に寄り添った発言さえしていれば、みんなが仲間になってくれます。事実かどうかもよく分からない記事を読んで「それはひどい!」「信じられない!」「被害者がかわいそう!」と叫んでいればいいのです。

 外野の人間が何を言ったところで、責任を負わなくても済みますからね。ひどい言い方をするならば、被害者を犠牲にして、共感を集め、仲間づくりをしているようなものです。ニュース番組も新聞も結局は同じです。こんなことを言ったら、いろんな人に怒られそうですね。

  たしかに、炎上騒動に対する発言そのものは正論なのかもしれません。だから、発言そのものをとやかく言うつもりはありません。問題はその前後です。まずは、発言の前ですが、先ほども言った通り、あなたが入手したその情報は本当に事実ですか。十分に信頼できるソースですか。大抵の記事は、読者を煽るように書かれるものです。言わば炎上が目的です。 嘘とまではいかずとも大げさに表現されます。そんな記事を元に騒いだところで、相手の思うツボでしかありません。

 次に、発言の後ですが、その発言をしたことで何かが変化しましたか?あなたの怒りで被害者は救われましたか?炎上を助長して、物事をおかしな方向へと進めてしまってはいませんか?もちろん発言は自由ですよ。思ったことを好きなように言えばいいと思います。ただ、その発言は本当に必要だったのでしょうか。たとえ意図していなくても、結果的に、被害者の思いを踏み台にするようなことになってはいませんか。

 結局、炎上騒動に乗っかって何かに噛み付いている人はいずれにせよださいのです。そんな人をださいと言っている人もださいのです。そして、こんな記事を書いている私もださいのです。みんなちがって、みんなださい。

 

 そんなことを考えていると、ふとサカナクションの『エンドレス』という曲を思い出しました。

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誰かを笑う人の後ろにもそれを笑う人

それをまた笑う人と悲しむ人

悲しくて泣く人の後ろにもそれを笑う人

それをまた笑う人と悲しむ人

  だれかを笑う人の後ろにもそれを笑う人。それをまた笑う人、悲しむ人。まさにエンドレスです。厨二病や大二病と呼ばれる現象とも似ているかもしれません。このエンドレスが輪を広げ、ものごとは炎上するのです。

 輪を広げているのはあなたです。「ただ思ったことを言っただけだよ」と思っているそこのあなたです。「かわいそうだから」「だめなことだから」と正義感を振りかざして、「自分はまともな人間だ」とみんなにアピールしたかったそこのあなたです。あなたの無責任なエゴが、炎上に拍車をかけているのです。

 良くも悪くも被害者の声は大きくなります。たしかに被害者は守られるべき存在なのかもしれません。他者の声に救われることもあるのかもしれません。しかし、そんな本来あるべき人間のあたたかさのようなものが、マスメディアによる発信やSNSにおける気軽な同調でおかしなことになっているような気がします。

後ろから僕はなんて言おう

後ろから僕はなんて言われよう

見えない世界に色をつけるのは誰だ

AH この指で僕は僕をさす

その度にきっと足がすくむ

見えない世界に色をつける声は僕だ

 この曲のおもしろいところは「笑う人」も「泣く人」も「悲しむ人」も、ぜんぶ「自分」というひとりの人間だという解釈ができるところです。そしてそんな世界に色をつけるのも「自分」だというわけです。

 他人事として、無責任に同情することは簡単ですが、もう一度考えてはみませんか。色のない世界に黒色を塗り足しても、黒の面積が増えるだけです。みんなと同じように黒い筆をもっていると安心しますか。「やっぱり黒だよね!私も一緒!」と共感してもらえて嬉しいですか。

 そのせいでまた、赤い筆をもった人が集団から排除されてしまいます。空気を読んでサッと黒に持ち変えられない、そんな人が追い出されるのです。それを見て、遠くから笑う人、遠くから悲しむ人、遠くから同情する人。これぞまさにエンドレスですね。

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 その一方で、村上春樹は、他者への発言について、『スプートニクの恋人』という作品の中で次のように述べています。

他人のことがなんとでも簡単に言えなくなったら、世界はすごく陰鬱で危険な場所になる

 この考え方にもとても共感することができます。だれかひとりが嫌な思いをして、まわりの人が口をそろえて「かわいそうだ!」と言うことで、まわりの人同士の仲間意識が生まれ、満たされ、結果的には平和になるというパターンです。日本代表を応援して盛り上がるときのあの一体感と似ているかもしれません。

 ただ忘れてはならないのが、そこにはひとりの犠牲者がいるということです。犠牲者を真ん中にみんなが手をつないでいるけれど、犠牲者の近くには誰一人として寄り添っていない。そんな状態になってしまっているのではないでしょうか。