ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】学級経営に関する取り組みにはすべて賞味期限がある

 

 おはようございます。コーヒーが常にあるお家で育ったので、今でもよく飲みます。夏場は暑くてあまり淹れていなかったのですが、そろそろ飲み始めてもいい季節になってきました。やっぱりコーヒーの香りって落ち着きますよね。後味がすっきりしないことだけが唯一の欠点かもしれません。本当においしいコーヒーを探し求めてみようかな。どうも、インクです。

 

学級経営に関する取り組みにはすべて賞味期限がある

  「クラス」はいろいろなものに例えられますが、その中でも実際に先生になってみて納得できたのは「鏡」と「生物」でした。クラスは鏡のようなものだ。クラスは生き物のようなものだ。順番にお話していきたいと思います。

 まずは、「鏡」についてですが、恋愛ともよく似ているなと思いました。自分以外の人と向き合っているつもりが、結果的にそこで知るのは自分の姿なのです。先生になりたてのころに真っ先に感じたことは、子どもたちへの申し訳なさでした。テストの丸つけひとつをとっても「自分がもっといい授業をしていれば100点をとらせてあげられたのにな」と思っていました。

  もちろん学級経営においても同じです。弊ブログを読んでくださっている方ならお分かりかと思いますが、学校のやり方にはつくづく疑問をもっていたので、基本もままならないまま中指を立ててしまっていたところがありました。「給食」や「掃除」の時間がいかに大切なのか等は、先生になって初めて分かったことでした。子どものころに疑問に思っていたことでも、先生の立場から見ると理屈が通っていることもあったのです。

 やはり、先生の中で戸惑いがあると、それは子どもたちにも伝染します。先生が不安なら子どもたちも不安なのです。以前「教師は役者であれ」ということばはあまり好きではないと書きましたが、「子どもたちに不安を見せないようにする」という点で言えば役者でなければならないのかもしれません。どれだけ自信がなくとも、どれだけ不安だろうとも、子どもたちの前では堂々とする。そんな姿を見せることが、子どもたちに嘘をついているようで、嫌になることもあるんですけどね。子どもたちの前に立つ先生には大切なことだと思います。

 次は、「生物」についてです。流動的に変化するという点で言えば「鏡」と重複しているところもありますが、今回はその中でも「賞味期限」という点についてお話しようと思います。読み方としては「いきもの」よりも「なまもの」の方がイメージしていただきやすいかもしれません。

 学級経営にはやはり子どもたちのモチベーションが大切です。もちろんそれぞれの子どもの性格もありますが、集団心理というものはやはり大きな影響を及ぼします。そんなクラスの空気感がいい方向に流れるのか悪い方向に流れるのかは、先生の腕にかかっています。だからこそ、先生は子どもたちのモチベーションを高めるために様々な工夫を凝らします。模範になるような子どもをみんなの前で褒めてみたり、クラス全員で達成する目標をつくってみたり、お楽しみ会を企画してみんなで盛り上がれる機会をつくってみたり。言うまでもありませんが、それらの前には毎日の授業があります。「授業で学級をつくる」だなんてことばもよく耳にしますね。

 このような先生の取り組みですが、すべてに「賞味期限」が存在します。ひとりの子を褒めることで、まわりの子のモチベーションも高まるかもしれませんが、それがいつまでも続くわけではありません。また同じように褒めたら、前と同じ結果が得られるわけでもありません。適切なタイミングで実行することで、初めて効果が得られるのです。「賞味期限」があることを知らずに、同じことを続けて、「どうして子どもたちは言うことを聞いてくれないのだろう」と悩んでいても仕方がないのです。マズい料理を食べたい人なんていませんから。

 つまり、学級経営を行なっていく上で先生に必要なのは、「賞味期限を見極める眼」と「賞味期限が切れたときの次の手」です。やはり、このふたつに関してはどうしてもベテランが強いです。知識量なら努力次第でまかなえるところもあるかもしれませんが、実践経験ばかりはどうしようもありません。そんな中で、若手だからこそできることって何だろう。自分だからこそできることってなんだろう。すてきな先生は常にそんなことを考えているような気がします。

 これまでは、どこかで「他の先生は全員ライバルだ」と思っていたところがあったのですが、最近は「わざわざたたかう必要なんてないのかもしれない」と思うようになりました。たしかに、いいものは真似すればいいし、どんどん盗めばいいと思うのですが、やはり本当にいいものって「その先生だからこそ」であることが多いんですよね。そういう意味ではやはり、「鏡」を通して自分の姿をよく知り、「賞味期限を見極める眼」を少しづつ成長させていくしかないのかもしれません。

 

 

 当たり前かもしれませんが、「子どもが見ているクラス」と「大人が見ているクラス」は違います。先生はその両方を知っておかなければなりません。先ほどベテランの強みについて話しましたが、弱点としてはこの「子どもが見ているクラス」を想像しづらくなっていくことにあると思います。

 「経験」は武器にもなりますが、自分の思考をせばめる壁にもなりうるのです。まだまだ若手ですが、すでにここへの危機感を覚えるようになりました。せまい学校の中で大人として生活していると「子どもが見ているクラス」が見えなくなっていくような気がしてならないのです。

 どうすれば「子どもが見ているクラス」を忘れないままに、「大人が見ているクラス」 を洗練させていくことができるのでしょうか。ある意味このブログも、忘れないようにするための記録だと言えるのかもしれません。