ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】元気のいい返事にそこまでこだわる必要はあるか?

 

 おはようございます。家から原付で10分ほど走ったところに、100円均一のパン屋さんがあることに最近気がつきました。しかもふつうにおいしい。これはひとり暮らしの強い味方になりそうです。これからよろしくお願いします。どうも、インクです。

 

元気のいい返事にそこまでこだわる必要はあるのか?

  「元気のいい返事をしましょう」と先生たちはよく言います。元気がよくなければ、やり直しをさせる先生さえいます。反対に元気のいい返事をした子どもは褒められます。いやあ、〇〇さんいい返事だねえ。みんなも見習うんだよ。

 一体何のために?何のために元気よく返事をするのでしょう。返事とは本来、「ちゃんと聞こえていますよ」「理解しましたよ」という意思を伝えるために行うものです。極端なことを言えば、相手に聞こえればそれでOKです。たしかに、ボソボソとよく聞こえないような返事をしてしまうと、「ん、聞こえてる?」という無駄なやりとりが発生してしまうのであまりよろしいとは言えません。ただ、「はい!!!」と必要以上に大声で叫ぶ必要もありません。

 どうしてそこまで返事にこだわるのでしょうか? 「はい」なんてたった2文字なんだから、それくらい元気よく言わせようよと思っている方がいるかもしれませんが、この2文字を言うのが難しい子どもだっているのです。たしかに、大きな声を出すことが得意な子どももいますが、それと同じくらい苦手な子どももいるのです。

 もうすぐで自分が返事しなくちゃいけない順番が回ってくる。しかも大きな声を出さないといけないらしい。たった2文字なんだから誰でも言える。だからこそ、失敗したらどうしよう…。あと3人で自分の番...。あと2人...。あと1人...。

「...ひゃい!」

 クラス中が爆笑です。その子は、勇気を出して、大きな声で、元気良く返事をして、クラス中の笑い者になりました。

 そんなの極めて稀なケースだよと思っているかもしれませんが、往々にして起こり得ることだと思っています。一体その子はどう思うでしょうか。もう二度と大きな声を出したくないと思うのではないでしょうか。みんなの前で話すことさえ嫌になってしまうかもしれません。

 返事に限った話ではありませんが、教師の醸し出す「簡単」「誰でもできる」「できて当たり前」という空気感は、大人が思っている以上に子どもたちを苦しめます。そこまでのことを想定して、「元気のいい返事をしましょう」と言っていますか? なんとなく、見栄えをよくするためだけに言ってはいませんか。

 明確な目的があるのであればもちろんかまわないと思います。ただし、その目的が、これまでに述べたリスクを背負うだけの大きなものであるのかどうかは、常に天秤にかけ続ける必要があると思います。

 

 

 声の大きな人が苦手です。きっと自分の家族がそうだったからだと思います。この距離でそんなに大きな声を出さなくても聞こえるよ、といつも思いながら育ってきました。別に家族のことが嫌いなわけでも、悪く言うつもりがあるわけでもないのですが、やはり「声」って大切だなと思います。

 人を判断するときには、「外見」と「性格」がよく取り上げられますが、それと同じくらい「声」と「匂い」は重要な要素だと思っています。「声」も「匂い」も自分ではよく分からないというのが、またおもしろいところですね。自分の声って他者にはどう聴こえているのだろう。自分の匂い(香水や洗剤やシャンプーの匂いを除く)ってどんな匂いなのだろう。とても気になりますが、なかなか自覚するのは難しいですね。それでは、今日も1日がんばりましょう。