ツイートの3行目

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【火】概数にするときの「上から◯けた」とか「△の位まで」とか禁止にしたらいいのに

 

 おはようございます。休日であることは喜ばしいことですが、「本当に今日って休みだよね?」となんだか不安になりませんか。結局朝もいつもの時間に目が覚めて、カレンダーを確認してしまいます。どうやら休日で間違いないようですね。存分にゆっくりしたいと思います。どうも、インクです。

 

概数にするときの「上から◯けた」とか「△の位まで」とか禁止にしたらいいのに

  「概数」は4年生の算数で学習する単元です。これまでは一の位まで細かく計算して求めてきたのに、突然おおよそでいいだなんて言われてびっくりする単元でもあります。しかし、生活を振り返ってみると、概数を用いる場面が非常に多いことが分かります。買い物なんてほとんど概数ですよね。これだけ買えば、だいたい1000円くらいだろう。表示されているのは税抜価格だから、税込でだいたいこのくらいだろう。今月はこのくらい買い物をしたから口座の残高はだいだいこのくらいだろう。これらはすべて概数です。

 服のサイズや靴のサイズだって概数です。自分はMサイズがピッタリだと思っているかもしれませんが、正確に言えば「Mサイズがぴったりに一番近い」ということに過ぎません。靴のサイズだって26.0cmに一番近いだけであって、本当に自分の足が26.0cmなわけではないのです。おおよそこれくらいだろう。まさに概数です。

 そんな概数ですが、テストで出題されるときには、3パターンの問われ方をします。ひとつ目は「◯の位を四捨五入して概数にしなさい」です。これがもっともシンプルな問われ方ですね。素直に◯の位を四捨五入すれば概数にすることができます。ふたつ目は、「上から⬜︎けたの概数にしなさい」という問われ方です。これは、上から⬜︎けたは触るな!という意味なので、その次のけた(⬜︎+1けた目)を四捨五入して概数にします。みっつ目は「△の位までの概数にしなさい」という問われ方です。これもふたつ目と同様、△の位までは触るな!という意味なので、その次の位を四捨五入して概数にします。

 もうお分かりかと思いますが、子どもたちは後ろふたつの問われ方に躓きます。文字として目に見えているところとはひとつズレたところを四捨五入しなければならないからです。具体的に例をあげて考えてみましょう。

① 百の位を四捨五入して概数にしなさい

12680 →  百の位の「6」を四捨五入して切り上げる

→ 約13000

 

② 上から2けたの概数にしなさい

12680 → 上から3けた目の「6」を四捨五入して切り上げる

→ 約13000

 

③ 千の位までの概数にしなさい

12680 → 百の位の「6」を四捨五入して切り上げる

→ 約13000

 当たり前ですが、問われ方が違うだけで、同じ概数をつくることはできます。それならば、①の問い方に統一して、②と③は禁止にしてしまえばいいと思いませんか? 変にパターンを増やして、子どもたちを惑わせる必要はあるのでしょうか。

 たとえば、②のような問い方は、大きな数を概数にするときに役立ちます。わざわざ位を数えていたら時間がかって仕方がないほど大きな数です。上から⬜︎けたと言われれば、一の位から順に数えていく手間が省けます。だとしてもですよ。「上から⬜︎けた目四捨五入しなさい」でいいではないですか。どうしてわざわざ次のけたを四捨五入させるようなややこしい問い方をするのですか。③のパターンも同じです。①に統合してしまえばいいではないですか。どうして「△の位まで」だなんてややこしい問い方をするのでしょう。

 子どもたちの理解力云々より、出題者側が合理的に省くべき手間なのではないでしょうか。しかし、所詮はぺーぺー教師の思いつきですので、きっと②や③が存在し続けている理由が何かあるのだと思います。そうでなければ、とっくの昔になくなっているはずですもんね。算数に詳しい方、どうか②と③の存在理由を教えてください。よろしくお願いします。

 

 

  文系として生きてきたので、数学はII・Bまでしか履修していませんが、算数や数学にはずっと興味があります。問題の解法そのものではなく「考え方」を学ぶという構図が、学習者にもっとも伝わりやすい教科だと思っています。

 算数は実生活に結びついたところから始まりますが、数学へと姿を変えるにつれて生活からはかけはなれていきます。よく塾の生徒が「二次関数なんてふだん使わない!」と文句をたれていました。たしかにその通りだと思います。二次関数をつかって買い物をすることはありません。つまり、あらゆる学習の目的が「役に立つかどうか」ではないということです。

 昨日の記事にも少し書きましたが、私たちはなぜか「必要なもの=役に立つもの」だと思い込んでいます。プラグマティズムというやつです。本当に「役に立つかどうか」であらゆるものを判断してしまってもよいのでしょうか。一番分かりやすくここに立ち返らせてくれるのが算数・数学だと思っています。時間をかけてゆっくり勉強し直してみたいなあ。それでは、皆様よい休日を。