おはようございます。火曜日が休みっていいものですね。休みそのものよりも、月曜日に「1日がんばれば休み」という気持ちでいられることと、水曜日に「3日がんばれば休み」という気持ちでいられることがとてもいいなと思います。結局は何事もモチベーションですからね。別に今の仕事が嫌いなわけではありませんが、モチベーション維持にはやはり休日の存在が一番です。どうも、インクです。
曜日ごとにやることが決められていておもしろくない
曜日ごとにやることが決められていておもしろくない
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) October 10, 2019
小学校の先生が全教科を担当することの数少ない利点のひとつに「毎日の積み重ねがしやすい」ということが挙げられます。担任ひとりの意思で、ルーティーンを回すことができるので、反復学習にはもってこいだと言えるでしょう。
そして、その反復学習にもっとも適しているのが始業前の時間(朝)です。みなさんの記憶にも残っているのではないでしょうか。朝の準備を済ませて、1時間目が始まるまでの、10〜15分ほどのあの妙な時間です。この時間がなぜ存在するのかと言うと、職員朝集があるからなのです。先生たちは職員室で朝の打ち合わせをしているのです。その間に子どもたちを座らせて落ち着かせよう、ということです。
この時間を上手に使うことができたら、子どもたちにとってかなり大きな力になるのではないかと思っています。何せ「毎日」あるわけですからね。毎日続けることができたら実るものはたくさんあるはずです。
しかし、現状としてはあまり上手につかえていない学校が多いのではないでしょうか。何をすればいいか分からないから、とりあえずプリントをやらせておこうなんてことも十分に起こり得ます。だから、やることがガチガチに固められるのです。
今の勤務校は朝の時間を次のようにつかっています。
月曜日 → 全校朝会
火曜日 → 朝の読書
水曜日 → 朝の学習
木曜日 → 児童集会
金曜日 → 朝の学習
おそらく同じような学校が多いと思います。正直なところ、火曜日の読書や水曜日・金曜日の学習がどこまで子どもたちに還元されているのかは分かりません。そして、当たり前のように存在している月曜日の全校朝会や木曜日の児童集会の価値もいまいちピンときていません。「週のはじめに気持ちを整えるために」だなんて言われても、「本当に効果があるの?」と思ってしまいます。何よりも自分が子どものときに、朝会や集会が嫌いだったので、腑に落ちづらいのでしょう。校長先生の話っておもしろくないんですよね。それこそ前の記事にも書きましたが、全校生の時間を奪っているのだから、それ相応の興味深い話をもってこいよと思ってしまいます。一体だれのための集まりなのやら。
文句ばかり言っていても仕方がないので代案を出していきたいと思います。はじめに思い浮かぶのは、やはり漢字と計算です。たとえば、月曜日に1週間分の漢字をすべて学習し、火曜日から木曜日まで同じ漢字をひたすら練習、そして金曜日にテストをするというサイクルはどうでしょう。覚えられるような気がしませんか。計算を行うならば、やはり九九になるのかなと思います。躓いている子どもが、分かる単元までさかのぼれる時間としてつかえたらいいかもしれませんね。
読書をするにしても、1週間に1冊など時間的制約を設けて、金曜日にはクラスでビブリオバトルなんていうのもありかもしれません。朝の時間をつかって今日の宿題を進めるなんていうのもいいかもしれませんね。朝がんばればその分放課後の宿題が減るとなれば、きっと集中して取り組むことでしょう。家でだらだら適当にやるよりかはよっぽど効果があるのではないでしょうか。
といろんなことを言っていますが、朝の脳の動きがどうとか、集中力がどうとか、なんのエビデンスもなく思いつきで言っているだけなので、その点についてはご了承ください(エビデンスということばをつかいたかっただけ)。また、「うちの学校ではこんな取り組みをしているよ」とか、「こんな実践知ってるよ」ということがあればぜひ教えていただきたいです。よろしくお願いします。
せっかくなので最後に全校朝会の話をもう少しだけさせてください。全校朝会がおもしろくない原因は、子どもの思いと大人の思いのズレにあると思っています。ぶっちゃけたことを言うと、月曜日の朝から大人の長ったらしい話を真剣に聞いている子どもなんていません。先生に注意されないように聞いているふりをしているだけです。
先生も本当はそれを分かっているのでしょう?子どものころ同じように話を聞いていなかったでしょう?それなのに、どうしで同じことを繰り返すんだい?体裁だけを整えようとしていないかい?自分の話を大勢の人が聞いてくれることに快感を覚えて、自分のために全校生の時間を犠牲にしてはいないかい?
この世界で500人の人を集めようと思ったらまあ大変です。よほどの魅力がないかぎり、多くの人がひとつの場所に集まることはありません。しかし、学校ではそれがいとも簡単にできてしまうのです。だからこそ、先生は500人の前で話す体験を軽視します。500人の時間を消費しているんだということを忘れます。準備もろくにせずに、聞き手の思いも想像せずに、その場の思いつきで話をしはじめます。
そんなところに集められて、おもしろくない話を聞かされて、少し動けば注意をされる。なんだこれ。子どもたちがかわいそうだよ。