ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】ことばの意味合いは状況で決まる

 

 おはようございます。最近部屋のWi-Fi環境がすこぶる悪いです。通信速度って一体何によって決まるものなのでしょう。ルーターを変えれば速くなるものなのでしょうか。はたまた契約そのものを変更しなければならないのでしょうか。いい加減、通信速度でストレスを抱える時代は終わりにしてほしいものです。もういくつ寝ると5G。どうも、インクです。

 

ことばの意味合いは状況で決まる

  ことばには「強いことば」と「弱いことば」があります。たとえば「うんこ」ということばは強いです。低学年が相手ならこのことばだけで爆笑を生むことができます。他にも「死ね」ということばも強いです。たったの2文字で相手を傷つけることができます。一方で「相手」ということばは弱いです。「行為の対象になる人」という意味を伝えているだけで、人の心を動かすことはありません。他にも「そうですね」ということばも弱いです。相手に同意しているという意思表示をしているだけで、人の思考に大きな影響を及ぼすことはありません。しかし、そんな「弱いことば」が状況によってはとてつもなく大きな力を発揮することがあります。 

 

「超気もちいい」

 

「なんも言えねぇ

 

 きっとこのことばを聞けば、誰もがひとりの男を思い浮かべると思います。そうです、北島康介です。ひとつ目の「超気もちいい」は、2004年アテネ五輪の100メートル平泳ぎで優勝した際に、テレビカメラの前で発したことばです。その後の囲み取材ではボロボロと涙を流しており、どれだけ大きなプレッシャーを抱えていたのかを感じることができたインタビューでした。

 ふたつ目の「なんも言えねぇ」は、次大会である2008年北京オリンピックの100メートル平泳ぎで優勝した際に発したことばです。のちのインタビューでは「実は山ほど言いたいことはあった」と述べており「嬉しくて泣いてなにも言えなかった」という事実を明かしていました。

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2004年アテネ五輪

 もうおわかりかと思いますが、上記のふたつのことばは決して「強いことば」ではありません。たしかに「超」がついていたり、語尾が「ねぇ」になっていたりと、多少の強化はされているかもしれませんが、「うんこ」や「死ね」と比べれば、ことば自体の強さはほとんどありません。

 それでも、流行語としてたくさんの人の記憶に残ったことばでした。一体、なぜこのことばが、これほどまでに人々の印象に焼きついたのでしょうか。それは、言うまでもなく「オリンピックという大舞台で金メダルを獲る」という感動的な状況と結びついていたからです。これがもし、温泉に入った後の一言だったとしたら、きっと誰の記憶にも残らなかったでしょう。温泉に入って「超気もちいい」、温泉に入って「なんも言えねぇ」。きっとこの温泉はすてきな温泉だったのでしょう。

 このようにことばの意味合いは、そのことばが発せられる状況によって大きく変わります。状況次第では「弱いことば」が、大爆笑をかっさらったり人の心を突き動かしたりすることがあるのです。これをよく理解して、ことばをつかっているのが、このブログには度々登場するラーメンズ小林賢太郎です。彼はひとりの劇作家として「誰かを傷つける可能性のある笑いをつくりたくはない。そのためにも強いことばはつかわない」というようなことを述べています。

 ふつうの立ち振る舞いの中に「面白い」は充分に潜んでいます。的確に表現できていれば、面白さは真面目に演じるほど強まります。不真面目にやっては、その面白さはぼやけてしまいます。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎、P.71

 先ほどの北島康介のことばにあてはめて考えてみましょう。彼がことばを発した状況は、間違いなく「真面目」な状況でした。全世界が注目するオリンピックです。しかも「これまでの練習」という背景も積み重なっています。そんな状況で金メダルをとったのです。ことばに力をもたせるために、これほど整った状況はありません。そりゃあ、発したことばが「弱いことば」だったとしても、人々の心には強く影響を及ぼすことでしょう。

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ラーメンズ(左:小林賢太郎、右:片桐仁

 そのような状況を意図的につくりだし、笑いを生み出しているのが「ラーメンズ」です。「ラーメンズ」について詳しく知りたい方は自分で調べてみてください。今日のテーマは「ことばの強弱と状況の関係性」ですので、そこに注目しながら実際の舞台を観てみたいと思います。たとえば、「不透明な会話」という作品には次のようなセリフが登場します。

 つまりだ、赤だから止まるんじゃない。赤のときは、危ないから止まるなんだ。青だから進むじゃない。青でも危ないなら進んじゃだめなんだ。路上駐車をしないのは、駐禁のマークがあるからじゃない。迷惑だからだ。酒飲んだら運転しないのは、検問をやってるからじゃない。危ないからだ。ルールを守るということは、そのことばの表面にだけ従うという意味ではない。大事なことは、そのルールがもってる意味を理解するということなんですよ。

 読んでいただければわかるとおり、何もおもしろくはありません。とても真面目にまっとうなことを言っています。しかし、ラーメンズの舞台ではこのようなセリフから笑いが生まれています。1分後にこのセリフが登場するので、お忙しい方も多いかもしれませんが、少しだけでも観てみてください。

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 いかがでしょう。筆者の言いたいことが少しでも伝わったでしょうか。いろいろなことをやっている人たちなので、この一本で「ラーメンズ」を語ることはできませんが、会話劇として今日のテーマに適しているかと思い、この作品を選びました。観ていただいたらわかる通り、通常の「ボケとツッコミ」という形ではありません。おもしろい動きをするわけでも、おもしろい「強いことば」をつかうわけでもありません。ふつうの会話を通して、ことばが「笑い」という力をもつ状況をつくりだしているのです。

 このようなやり方は、人前で話す先生として、コミュニケーションをとる人間として、学ぶところが多いのではないかと思っています。やはりどうしても「強いことば」は、誰かを傷つけてしまったり不快な思いをさせてしまったりする可能性をもっています。「弱いことば」が最大限に生きる状況をつくりだす。これもまさにアフォーダンスです。おもしろい動きをしなくたっておもしろい。おもしろいことばを言わなくたっておもしろい。そんな大人になりたいと思います。

 

 

 「お笑い」という文化は、どうも軽視されがちです。「お笑い」から学べることは山のようにあるはずです。そこに気づくためにも大切なことがあります。それは「テレビがすべてではない」ということです。どうしても「テレビに出ている芸人には力があって、テレビに出ていない芸人には力がない」というイメージをもっているかもしれませんが、決してそうとも限りません。テレビの中で繰り広げられている「お笑い」はあくまでも「テレビ向けのお笑い」であって、あらゆる「お笑い」の最上位に位置しているわけではありません。

 「テレビ向けのお笑いが得意な人たち」がテレビに出演しているだけのことです。この偏見を取っ払うだけでも、見えてくるものがたくさんあると思います。先ほど述べたとおり、笑いを狙ってとりにいくなんてまさにアフォーダンスです。芸人ほどアフォーダンスを意識している人はいませんからね。これからも大いに笑い、大いに学んでいきたいと思います。

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