ツイートの3行目

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【金】B評価にあたるものをと思いながら成果物見本をつくる作業がつまらない

 

 おはようございます。音楽会に向けて毎日ひとり、部屋で指揮を振っています。少しずつ指揮を振ることのおもしろさが分かってきたような気がします。子どもの頃は「指揮なんているのか?」と思っていましたが、いりますね。指揮ひとつで、子どもは変わるものです。指揮者になれる職業なんてまあありません。存分に楽しもうと思います。どうも、インクです。

 

B評価にあたるものをと思いながら成果物見本をつくる作業がつまらない

 子どもたちを評価するのも学校の先生の仕事のひとつです。それぞれの単元で定められた評価規準に従って、A・B・Cの評価をつけていきます。新学習指導要領より、相対評価から絶対評価に変わったという話は聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。「他の人と比べてどうか」ではなく「評価規準を超えていればOK」という形になりました。

 評価する分、先生には説明責任が生じます。保護者から「どうしてここはCなのですか」と訊かれたら、当たり前ですが答えなければなりません。もちろん何を訊かれても説明ができるように評価をするのですが、成績表を配布した日の放課後は、みんな職員室でそわそわしています。評価する側も心穏やかではないのです。

 そんな評価をとるために、授業では成果物を作ることがよくあります。評価をとることが目的になっている時点でおかしな話なんですけどね。現場ではよく「この単元は何で評価をとろう」「これで評価がとれるね」だなんて会話が行われています。みなさんも子どものころにきっと作ったはずです。国語で物語文を学習したあとにその作品の紹介カードを作ったり、理科で植物を観察してわかったことをワークシートにまとめたり。子どもの動機がないままにつくった作品に本当に価値があるのかは疑問でしかないのですが、評価をとらなければならないのもまた事実ですし、一斉授業という形を取っている限り統一せざるを得ないところもあるのです。

 これらの成果物ですが、大抵の場合、あらかじめ先生が見本を作って提示します。今からこういうものを作るんだよと、見通しをもたせるためです。ここで注意しなければならないのが、見本は「B評価」にあたるものでなければならないということです。よく陥ってしまうのが、先生が大人の本気を出して、素晴らしい見本を作ってしまうパターンです。「A評価」の見本を作ってしまうと、子どもたちが目指さなければならないレベルがぐんと上がってしまいます。そして、そのほとんどが見本以下の出来になってしまいます。あくまでも「平均」としての見本です。「このくらいのクオリティのものを作ればOKだよ」というための見本なのです。

 たしかに授業をつくる上で、B評価規準を把握しておくことは必要不可欠ですが、そのラインを狙って見本を作るのは本当におもしろくありません。せっかく作るのならアイデアを存分に発揮して素敵な作品を作りたくなってしまうんですよね。画期的な工夫は取り除いて、文章のレトリックも最小限に減らして、ある意味つまらない作品に仕上げないといけないのです。

 こんなことを言うと怒られてしまいますが、評価という制度が学びを制限しているような気がしてなりません。先生も子ども保護者も評価に縛られながら、学校生活を送ってます。話したいとも思っていないのに、みんなの前で発表させられる。書きたいとも思っていないのに、紹介文を書かされる。一生懸命がんばったのに蓋を開けてみれば成績はあまりよくない。お母さんにも怒られる。学習塾にも通わされる。そりゃあ、勉強が嫌いになりますよ。本当に評価することってそんなに大事なことなのでしょうか。

 

 

 今でこそ文章を書くことが好きになりましたが、小学生のころはみんなと同じように、とにかくマス目が埋まればいいと思っていました。それにも関わらずどうして書くことが好きになれたのかというと、今は書きたいことを書くことができるからです。

 だれも「将来の夢」なんて書きたくありません。教科書に載っている作品を誰かに紹介したいだなんて思ってもいません。書きたくもないことを一生懸命書いたとしても、どうせハンコひとつで済まされるのでしょう。それを返却されたところで、どうせダンボールに詰められて押入れの奥底にしまい込まれるのでしゎう。

 それならば、せめて書きたいことを書かせてよ。「宿題を減らしてほしい!」という強い思いを書かせてよ。「ゲームのおもしろさ」を語らせてよ。せっかく書いたのなら、読んだ人の反応を聞かせてよ。評価をとるだけとっておしまいだなんてあんまりだよ。

 どうかこれ以上、子どもたちへの評価ハラスメントはやめてほしいものです。興味・関心が殺されて、書くことが、学ぶことが、嫌いな子どもが増えてしまうよ。