おはようございます。ひとり暮らしにとってお鍋は最強の料理です。簡単につくれる。肉も野菜もとれる。おいしい。日持ちする。麺やごはんをいれてもう1日いける。味のバリエーションもある。もう何も言うことがありません。夏にもこんな料理があればいいのに。どうも、インクです。
将来の夢=職業って変だよね
将来の夢=職業って変だよね
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) October 7, 2019
ずっと思っていることなのですが、「将来の夢は(職業)です」って変だと思いませんか?その職業に就くことが夢なのですか?就くことができたらそれで終わりですか?どうしてこんなに不思議な言い回しが定着しているのでしょうか。
あくまでも、職業は夢を叶えるための手段でしかありません。人の命を救いたいから(目的)、医者になるのです(手段)。たくさんの人を感動させたいから(目的)、サッカー選手になるのです(手段)。その職業に就くことよりも、就いて何をするのかの方が大切なのではないでしょうか。
それにも関わらず、「将来の夢は(職業)です」という言い回しがはびこっている原因は、間違いなく学校教育にあると思っています。学校って、子どもに将来の夢を言わせたり書かせたりするのが本当に好きですよね。何をねらってやらせているのでしょうね。形だけのハリボテにしかなっていません。
さらに言えば、そこで子どもの口から出てくる(職業)は大人の顔色を伺ったものばかりです。年齢が上がれば上がるほどそのような傾向が見られるようになるでしょう。将来の夢ランキングに「YouTuber」が食い込んできたときに大人たちが見せた怪訝そうな顔は、まあ気持ちが悪かったですよね。そりゃあ子どもたちも「とりあえず医者と言っておけばいいか」「野球選手と言っておけばいいか」となりますよ。子どもたちの夢を潰すのはいつだって大人です。
また、現在の職業のほとんどは将来なくなるという話もよく耳にするようになりました。どれだけ「将来の夢は(職業)です」と言ったところで、その(職業)自体がなくなっている可能性も大いにありえます。終身雇用の時代は終わり、大企業でさえいつ潰れるか分かりません。そんな時代がきています。
そんな時代だからこそ、はじめに述べた「目的」がとても重要になってきます。あなたはどんな人になりたいの?あなたは何がしたいの?なるほど、だとしたらこんな職業はどう?という流れが本来あるべきキャリア教育ではないでしょうか。「どんな人になりたい」「何がしたい」の中身も、何も「世界を平和にしたい」や「人の命を救いたい」などの大仰なものである必要はありません(もちろん大きなものでもかまいませんが)。「一日中ゲームをしていたい」や「芸能人に会いたい」でもかまわないのです。それのために本気になれるのであれば、目的は何だっていいのです。
本気になれる目的をみつけさせる。これが学校教育の役割なのかもしれません。「将来の夢は(職業)です」という作文を書かせて、参観日に読ませている場合ではないのです。最後に、読んでくださっているあなたにも訊きたいと思います。あなたはどんな人になりたいですか?そして、何がしたいですか?
ちなみに、ぼくの将来の夢は世界征服です。人に合わせることはきっと無理なので、先頭を走って後ろに人を引き連れたいと思います。暴力で支配するわけでもなく、きれいごとの精神論で支配するわけでもない。ただただ、おもしろいから人が着いてくる。そんな人になりたいと思います。