ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

蜷川実花って絶対名前で得してる

 

買い物はモチベーション維持活動だと思っています。インクです。

 

どのくらいやればどのくらいの結果が出るのかを理解していればペーパーテストは余裕

  先日、久しぶりにペーパーテストなるものを受ける機会がありました。あまりにも久しぶりだったのでどうなることかと心配していましたが、その必要はありませんでした(これで結果が散々なら、買いかぶりにもほどがありますが...)。

 勉強には、「どのくらいやればどのくらいの結果が出るのかを知る」という側面があります。もちろん、同じ結果を出すとしても「どのくらいやればいいのか」は人によって違います。目標までのアプローチの仕方も人によって違うでしょう。

 しかし、それらを一度理解してしまえば、あとはその繰り返しで大抵のペーパーテストはなんとかなります。さらに言えば、ペーパーテスト以外も型自体は同じです。ピアノの発表会、文化祭での出し物、会社のプレゼン、取引先との商談...すべてにおいて、「どれだけ準備すればどれだけの成果が得られるのか」を理解しているかしていないかが大きな鍵となるのです。もし、それらを理解していなければ、残された手段は、「闇雲にがんばって程よいところで諦める」しかありません。

 見通しがもてずに闇雲にがんばるのってかなりしんどいんですよね。せっかく道を進んできたのなら、その道に小石を落としながら歩きましょう。

 

 

蜷川実花って絶対名前で得してる

  蜷川実花って絶対に名前で得してますよね。だって、1文字目が虫偏だぜ。しかも読み方が「にな」だぜ。もうその時点で勝ちでしょう。

 もちろん、「写真家としての実力が低いくせに」と言いたいわけではありません。それどころか、写真のことなんてまったく分かりません。そんな人間でも名前を知っているくらいですから、きっととんでもない実力の持ち主なんだと思います。

 ここで言いたいのは実力云々ではなく、「名前」のもつ力のことです。きっと多くの人が「蜷川実花」という漢字を見て、「にながわみか」という音を聞けば、あっという間に覚えてしまうと思います。

 先ほども書きましたが、この「蜷」という漢字が本当にすごい。かつて「えびちゃん」の呼び名で有名になった「蛯原友里」というモデルがいますが、この方にも同じことが言えますね。虫偏の力たるやおそるべし。

 そんなことを考えながら、自分の名前を振り返ってみると、インパクトにかけるなあと思います。「田中」や「山田」まではいかずとも、割と一般的な苗字です。苗字って生まれたときから決まっていて、そう簡単に変えることはできません。そう考えると、結婚して苗字が変わるってかなり大きな出来事ですよね。漫画家の浅野いにおは、登場人物の名前を決めるのが嫌いだと言っていました。芸能人が、名前を考えるのも大変なんだろうなと思います。名前ひとつで人生は変わるんだよ。世のお父さん、お母さん。

 

 

投票率と教員の志願者数は似ている

 「若者の投票率の低下」が問題視されるようになって何年がたったことでしょう。正直、「選挙」はオワコンだと思います。最大の失敗は、投票に行かない若者を責め立てたことです。「なんで投票に行かないんだ!国民として行くのが当たり前だろ!」と、自分たちの「当たり前」を押し付け、選挙に行かない若者を悪者にしてしまったのです。そんなことをして、若者が「本当だ!選挙に行かなくちゃ!」と気持ちを切り替えると思いますか。人を集めるコンテンツとしては、最悪の状態です。古参が威張り散らして、にわかが遠ざかっています。

 最近になってようやくそれに気づき始めたのか、若者に媚を売り始めましたが、もう手遅れなのではないでしょうか。「分からなくてもとにかく投票することが大切」だなんて言われても、若者にとって動機がひとつもありません。簡単に言えば、投票に行ってもドキドキワクワクしないのです。

 ブロックチェーンをつかってネット投票を可能にしようだなんて話も出ているそうですが、根本を解決しなければ、リンクを踏むことさえ若者は面倒だと感じることでしょう。どうしても若者を投票に行かせたいのなら、新たな魅力をつくりだすしかありません。

 海外の学校では、政党が演説にくるなんてこともあるそうです。日本では考えられませんよね。基本的に日本人は、特定の考え方を支持することを、「洗脳」だの「宗教」だのと忌み嫌う傾向にあります。政治活動なんて、他の政党との差異こそが武器なのに、その偏りは義務教育に拒絶されてしまいます。だからといって、日本国民が偏りのない柔軟な考え方をもっているかというとそうではなくて、「特定の思想に染まらないぞ!」という偏った思想に染まってしまっています。

 学校も政治も、上に魅力がないのです。教員採用試験の倍率が全国で問題になりましたが、教頭・校長試験の倍率なんてとんでもなく低いです。現場を見れば、だれも教頭や校長になりたいだなんて思いません。きっと政治の世界でも同じなのではないでしょうか。だれも総理大臣になりたいだなんて思わない。なりたいと手をあげるのは、よほどの物好きだけ。そんな物好きが上に立つものだから、魅力がさらに薄れていくのです。だって、なんだかアメリカの大統領って魅力的ではありませんか?

 部下にとって上司は魅力的でなくてはなりません。社員にとって社長は魅力的でなければなりません。日本国民にとって総理大臣は魅力的でなければなりません。子どもにとって大人は魅力的でなくてはなりません。

 果たしてあなたは魅力的ですか?

 

 

 毎日「疲れた」と言いながら家に帰ってくる親を見た子どもが、大人になることに希望をもてるはずがないんですよね。