ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】できるだけ遠くに旗を立ててその間のグラデーションを読みとる

 

 おはようございます。勤務校が遠すぎて、ブログを更新する時間にはもう外に出ています。さすがに慣れてはきましたが、遠いことには変わりありません。

 かつては本を読んでいたのですが、最近は翌日の記事を書きはじめるようになりました。おかげでフリック入力がすこしはやくなった気がします。

 それでもやっぱり文章を書くときには、物理キーを押した方が書きやすいなと思います。きっとパソコンが台頭してきたときにも同じように言われていたのでしょう。「キーボードよりも手書きがよい」と。

 用いている言語は同じなわけですが、やはり「手書き」と「キーボード入力」と「フリック入力」とでは、文章にも多少のちがいが生じるのでしょう。本当は内容に合わせてつかい分けられたらいいんですね。どうも、インクです。iPhoneから送信。

 

できるだけ遠くに旗を立ててその間のグラデーションを読みとる

 いつごろからか、子どもたちに「見通しをもたせる」ことが大切だと言われるようになりました。指導書を開けば、単元のはじめに「単元計画を立て、見通しをもたせる」というような文言をよく見かけます。

 先のことを想定しておくことで、今やっていることの必然性を明確なものにさせたいのでしょう。点ではなく線で捉えさせようとしているわけです。

 ところが、これがなかなかに難しいのです。ゆっくりと準備をしている余裕なんてありません。今からこれをやるよ。次はあれをやるよ。というように、現場は極めてスピーディーに動きつづけています。

 直前に「こんなことをやるよ」と説明されて、その数秒後には「さあ、やってみよう」なんてこともザラにあります。そんなときに、子どもたちがうまくできなかったら「さっき言ったでしょ」と怒られてしまうわけです。それはあまりにも可哀想だなと思います。

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 だからうちのクラスでは、できるだけ「先のことを想像する時間」をつくるようにしています。「こんなときにこんな失敗をしそう」とか「こんなことをする人がいるとおもしろくなくなってしまいそう」とか。いわゆる「リスクヘッジ」というやつです。

 大人たちは当たり前のようにやっているアレです。あらかじめ「うまくいかないパターン」を想像しておいて、そこを避けるルートを進むように計画を立てておくのです。もちろんそれでもイレギュラーなことは起こるでしょう。ただ、先に全体像を想像していたかどうかで、その対応も随分と変わってくるはずです。

 本当に先を見通す想像力をつけさせたいのなら、事前に準備をするための時間と、その手立てを用意してやらなければなりません。なんの準備もなくやらされて、失敗したら「想像力を働かせろ」と言われるのは、あまりにも可哀想ですからね。 

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 もういち段階レベルを上げるなら、その想像力に具体性を求めます。子どもたちがよく挙げる対策は「気をつける」とか「意識する」というものです。このような対策では、リスクを推測することができていたとしても、ヘッジを築くことができているとは言えません。「ミスを起こさないように気をつける」は、ミスを防ぐ対策として成立しえないのです。

 ペーパーテストへの取り組みがもっともわかりやすいですね。文章問題で単位を間違えてしまうのなら「単位に丸をつけながら読む」という方法を試してみてもよいのかもしれません。問題を読み飛ばしてしまうことがあるのなら「線を引きながら読む」という方法を試してみてもよいのかもしれません。

 そんな話をずっとしていると、先日「姿勢正しく座る方法」として「背もたれに紙風船を貼り付けておけばよいのではないか」という案が出てきました。思わず笑ってしまいました。さすがは子どもたちです。本当に実行するかどうかはさて置いて、このような案が出せるということがすばらしいなと思います。

 

 見通しをもつ。そのための時間と手立てを。

 

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【今後の予定】

①9月16日(水)こきけんよう Vol.11

②9月23日(水)こきけんよう Vol.12

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月16日(水)こきけんよう vol.11:明日

  毎週水曜日の定例会です。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

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【月】「勉強ができないことは悪だ」という価値観をつくり上げているのは学校の先生

 

 おはようございます。昔から BUMP OF CHICKEN が好きです。何歳になってもやっぱり BUMP は優しいのです。そりゃあ、多くのファンがつくわけです。

 ただ、そんな BUMP のファンたちと話が合ったことはいちどもありません。ライブの話をしたって、新曲の話をしたって、なんだかどうも噛み合いません。

 きっと「好き」という感情はグラデーションになっていて、しかも一方向に広がっているものではないのでしょう。好きになればなるほど、こだわりも強くなり、その道は細分化されていくのです。

 「プレゼントには相手が買わなさそうなものを選べ」というのも、そういうことなのでしょう。好きな分野には、必ずこだわりがありますからね。その分野のものであれば何でも嬉しいというわけではないのです。好きなものが同じ人とのやりとりにはすこし注意が必要なのかもしれません。どうも、インクです。

 

「勉強ができないことは悪だ」という価値観をつくり上げているのは学校の先生

 自転車に乗れるようになったら嬉しい。逆上がりができるよになったら嬉しい。九九がぜんぶ言えるようになったら嬉しい。できないことができるようになったら嬉しい。たしかにそのとおりだと思います。 

  このようながんばる子どもたちをサポートする役割を担っているのが、学校の先生です。できないときには隣で支え、できるようになったときには一緒になって喜びます。とてもやりがいのある仕事です。

 ところが、この「できないことができるようになったら嬉しい」が時に子どもたちを苦しめます。なぜなら「できないことはできるようになるべきだ」という考え方が自ずと拡散してしまうからです。

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 どれだけ「まわりと比較するな」と言われたって、学校にいる限りそんなことはできません。みんなはとび箱を簡単そうに跳んでいるのに、自分だけが跳べません。みんなは25メートルを楽々と泳いでいるのに、自分だけが途中で足をついてしまいます。それでも子どもたちは一生懸命にがんばります。

 そして、ついにできるようになったときに、先生からこう言われるのです。「すごい!よくがんばったね!じゃあ、次はこれができるようにがんばろうか!」と。開脚とびができるようになったら閉脚とびができるようにならなければなりません。25メートルがクロールで泳げるようになったら、次は平泳ぎができるようにならなければなりません。

 どれだけゲームが上手だったとしても、どれだけ笑いが獲れたとしても、学校で評価されることはありません。先生は「みんなちがって、みんないい」と言うけれど、結局は勉強と運動がすべてです。 ほかに才能があったとしても、勉強か運動ができなければ学校では落ちこぼれになってしまうのです。

 学校の先生としては、全力で否定したいところですが、完全に否定しきれない自分がいます。たまたま「勉強」や「運動」という分野が苦手だっただけで、その子は大いに苦しめられてしまうのです。

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 それもすべて「できないことはできるようになるべきだ」という考え方が根底にあるせいです。「できないことができるようになったら嬉しい」の裏では「できないことができないままではダメだ」という考え方が知らないうちに根を伸ばしているのです。

 そんな学校で「自分にはこれがあるから、べつにこっちはできなくてもいいや」 という発想には絶対に至りません。なぜなら、先ほども述べたように、まわりの子たちはできているからです。自分だけができていないだなんて許されるはずがないのです。

 そりゃあ、苦しいですよ。大人たちに応援されるたびに、自分ができないということを強く自覚しなければなりません。べつにとび箱のひとつやふたつ、跳べなくたっていいではありませんか。計算に時間がかかるからなんだっていうんですか。字が上手に書けないからどうしたっていうんですか。苦手なんだから仕方がないではありませんか。

 それでいいのです。できなくたっていいのです。学校で評価されなくたって、世界には絶対にあなたのよさに気づいてくれる人がいます。だからどうか、学校というせまい世界の中で苦手なことがあったくらいで「自分はダメなんだ」だなんて思わないでください。

 ひとりの学校の先生としてこんなことを言っているのが、恥ずかしくもあり、悔しくもあり、悲しくもあります。いつも応援してごめんなさい。あなたには勉強や運動以外のいいところがあるから大丈夫。べつにできなくたっていいのです。

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①9月16日(水)こきけんよう vol.11

  毎週水曜日の定例会です。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

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【日】時間に限りがある生物として先人の知恵を借りないのはバカなのかもしれない

 

 おはようございます。ものごとを捉えるときには、 できるだけその対にあるものを考えるようにしています。当たり前を疑おうというときには「どうしてそれが当たり前として成立していたのか」を考えます。おもしろいことを企画するときには「おもしろくなくなるとしたらどんなときか」を考えます。

 判断の源は「比較」だと思っています。1本の鉛筆を見て「短い」と判断することができるのは、長い鉛筆の存在を知っているからです。チョコレートを食べて「甘い」と判断することができるのは、辛いものを食べたことがあるからです。

  もちろん、あらゆるものごとが二項対立になっているとは限りません。新しいものなんて特に、対にあるものが存在しないということもあるでしょう。「存在しない」というよりも「まだ認知されていない」と言った方が正確でしょうか。

 いずれにせよ、両端をおさえることでその間にあるグラデーションを捉えるというわけです。ちなみに、自分が端だと思っているポイントが本当に端っこだとは限りません。あくまでも今の自分の思考力の限界点に過ぎません。きっと、このポイントが遠くに置けるようになればなるほど、ものの見方や考え方は深まっていくのでしょう。どうも、インクです。

 

時間に限りがある生物として先人の知恵を借りないのはバカなのかもしれない

 AIのめまぐるしい発達により、人間とコンピュータが対の関係にあるものとして捉えられることが多くなった気がします。「AI」ということばが題に含まれる書籍が山のように出版され、AIについて物知り顔で語っていれば優越感に浸れるような、そんな時代になりました。筆者も負けてはいられませんので、できるだけドヤ顔をつくりながら人間とコンピュータについて語ってみようと思います。

 コンピュータと比べて、人間の方が圧倒的に劣っている能力があります。それは「引き継ぐ力」です。いわゆるコピー&ペーストというやつですね。コンピュータならば「command + c」と「command + v」を押せばおしまいです。内容を損なうこともありません。一方で、人間は短いことばの伝言ゲームですら成立させることができません。

 しかも、命が尽きてしまったらその人がもっていた情報は完全に失われてしまいます。復元することはできません。そして、次の世代にあたる赤ちゃんは、まるっきりゼロの状態で生まれてきます。要するに人類は、ゼロからの蓄積を何周も何周もくり返しているというわけです。効率もへったくれもありません。

 もちろん長い目で見るならば、生物としての進化や環境に適応するための変化も見られはするのでしょうが「積んではゼロ、積んではゼロ」をくり返すのはあまりにも非効率的です。コンピュータならば、ゼロになるどころか一切損なわずに一瞬で情報を引き継ぐことができてしまいます。どんなにがんばっても、その点で人間が勝ることは不可能だと言えるでしょう。 

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 それでも人間は、後世に財産を引き継ぐためにできる限りのことをします。文化だって、技術だって、環境だって、先人たちが築き上げてきたからこそ存在しているものばかりです。非効率的であったとしても、引き継ぎによって今の暮らしがあるのです。

 このように考えると、先人たちが一生をかけてのこしてくれたものを素直に享受しないのは、あまりにももったいないような気がします。あなたが10年かけて辿り着いたそのポイントを、とっくの昔に発見している人がいるのです。「知らなかった」というたったそれだけの理由で10年を費やしてしまうのはあまりにももったいないではありませんか。

 もちろん、その10年に価値がなかっただなんて言うつもりはありません。自分自身の力で突き進んで到達することには大きな価値があるでしょう。ただ、はじめの段階で先人たちから少しでも引き継ぐことができていたとしたら、その10年でもうすこし先まで進むことができていたかもしれないのです。

 そして、そんな引き継ぐべき情報は、十分すぎるほどにそろっています。むしろ多すぎて探すのが大変なくらいです。だからこそ、これほどまでに情報処理能力やリテラシー能力が必要だと言われているのです。自分が思いつくことなんて、とっくの昔にだれかが考えています。その情報をゲットすることさえできればもうひとつ先に進むことができるかもしれません。

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 ただし、ひとつだけ気をつけなければならないことがあります。それは「わかった気にならないようにする」ということです。あくまでも「先人を引き継ぐ」のであって「先人がやってくれたから自分は何もしなくてもいい」というわけではありません。自分の手や足を動かさなければ、本当の意味ではわからないこともたくさんあります。

 自慢げな顔をして、どこかで見知ったことをそのまま話していても、そこに価値はありません。自分が引き継ぐことでどこへ辿り着いたのかが大切なのです。そのためには十分に調べなければなりませんし、考えなければなりません。薄っぺらいハリボテのことばは全部バレていますからね。お気をつけて。

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【土】パワポは自分でつくるからこそ

 

 おはようございます。昨日は久しぶりに朝からダッシュをかましました。寝坊したわけでもないのに、家を出る時間がなぜだかすこし遅くなったのです。

 あるあるですよね。何なんでしょうね、あれ。いつもどおりに起きて、いつもどおりに準備をしているはずなのに、なぜだか遅くなるのです。

 そのせいで、普段なら15分かけて歩くところを10分で歩かなければならなくなりました。朝の5分はかなり大きいので諦めてもいいところなのですが、過去の実績がそれを許してはくれません。

 かつての自分が「走れば10分で間に合う」という事実をのこしてしまっているのです。9月も半ばに差し掛かるといえども、そりゃあ全力でダッシュをすれば暑かったですよ。朝から汗だくでした。

 みなさんもよく覚えておいてください。普段は15分かかる道のりでも、人間の力にかかれば10分で事足りますます。諦めないで。どうも、インクです。

 

パワポは自分でつくるからこそ

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 昔からパワーポイントが好きでした。列も行もマス目もないあの真っ白なスライドの上に、好きなものを配置することができる自由さがとてもおもしろかったのです。アニメーションもとても魅力的でした。

 また、あの限られた機能の中でやりくりをしていく感じがとてもよいのです。「こんな画をつくりたいのだけれど、何と何をどの順番で重ねればよいだろう」とか「ここだけを動かしてここは止めておきたいのだけれど、どのようにアニメーションを加えればよいだろう」とか。理想を形にするために機能を駆使するあの一連の試行錯誤がとてもおもしろいわけです。

 どうしてこんなにもパワーポイントの話をしているのかというと、先日パソコンのストレージを整理していると、過去に自分がつくったパワーポイントの資料がいくつか出土したのです。せっかくなら供養にと、今日はここでお披露目しようと思います。

 これだけ言っておいてつまらなかったらすみません。どんな世界にも上には上がいますからね。いま見れば、もっと上手にできるのにと思うところもありますが、出土したままの形でアップしようと思います。

 

youtu.be

 このパワーポイントは、見せながら話すことを前提としているので、不要なことばはできるだけ削ぎ落とすようにしています。これだけを見ても内容はわかりづらいかもしれません。途中で登場する円グラフは「和語の割合」を表したものですね。

 パワーポイントなんて所詮はひとつの手段でしかありません。しかし、テキストが1ミリずれているだけで、アニメーションの継続時間が1秒短くなるだけで、与える印象は大きく変化するのです。

 自分の思いを忠実に表現したいと願うのなら、そこまでこだわってもよいと思います。そして、こだわればこだわるほど「自分でつくる」ということに価値が生じてくるわけです。

 近年「手段の目的化」についてとやかく言われるようになりました。たしかに手段だけがひとり歩きしてしまうことには問題があります。ただ、決して「手段はどうでもいい」という意味ではありません。手段にこだわれないのならやめた方がよいでしょう。

 ここだけはくれぐれも勘違いしないようにしたいものです。目的と手段を明確に区別した上で、手段にも徹底的にこだわっていかなければなりません。

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【今後の予定】

①9月16日(水)こきけんよう Vol.11

②9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月16日(水)こきけんよう vol.11

  毎週水曜日の定例会です。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

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【金】アウトプットすればインプットしたものが失くなるわけではない

 

 おはようございます。数年前に詩を読みあさっている時期がありました。図書館の本棚にある詩集を誰彼かまわず片っ端から読みました。谷川俊太郎、茨木のり子、まど・みちお、中原中也、川崎洋、荻原朔太郎、吉野弘、寺山修司、宮沢賢治 ......。

 今ではその中身なんてまったく覚えていませんが、詩のもつ「一人称の強さ」がとてもおもしろかった記憶があります。詩の主語は常に一人称ですからね。何かになりきって書かれた詩でも、限りなく抽象的な詩でも、結局主語は一人称なのです。

 そんな中でもとくにお気に入りだったのが黒田三郎という詩人でした。教科書に「紙風船」という詩が載っていたのでご存知の方も多いかもしれません。この詩はあまり好みではないんですけどね。

 最後の「美しい願いごとのように」がどうしても蛇足に思えてしまうのです。野暮だとは思いませんか。「いや、そうてはなくてだね」という意見があればぜひ教えてください。どうも、インクです。

 

アウトプットすればインプットしたものが失くなるわけではない

 数年前から「インプット」や「アウトプット」ということばをよく耳にするようになりました。ITのインフラが整備され、自己啓発を含んだビジネス書に注目が集まるようになったころのことでしょう。

 もちろんこれらのことばが広まることでよいこともありましたが、それと同時にあまりよくないこともありました。それは「意味をもつ範囲が小さく区切られてしまった」ということです。

 「インプット」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。本を読むことでしょうか。動画を観るでしょうか。音声を聞くことでしょうか。人から直接話を聞く講演会やセミナーに参加することでしょうか。

 たしかにこれらはすべて「インプット」と呼ぶことができるでしょう。しかし、それ以外にもインプットをする場面はいくらでもあります。 今日の天気を判断することもインプットですし、信号の色を見て進むか止まるかを決めるのもインプットです。朝のあいさつひとつとっても、同じ電車に乗っている人の服装ひとつとっても、生活のすべてがインプットなのです。

 ところが「インプット」ということばが普及することで、範囲が限定されてしまい、上記のような行為は無意識のうちに「インプットではないもの」という扱いになってしまいました。大袈裟に言えば「学びがないこと」という捉え方をされてしまったのです。

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 天気ひとつをとっても、考えることはいくらでもあります。「爽やかな雨とじめっとした雨があるのはどうしてだろう」とか「人のメンタルに天気はどのような影響を及ぼすのだろう」とか。「天気予報が外れるときはどんなときなのだろう」とか「いい加減に傘は進化しないのかな」とか。

 信号においても同様です。「どうして緑なのに青信号なのだろう」とか「普及しすぎたから変えられないだけで、もっと効率的に交通整理をする方法があるんじゃないか」とか。「信号待ちのせいで人生を棒に振った人もいるんだろうな」とか「何秒までなら人は待てるのだろうか」とか。

 考えることはいくらでもあるわけです。本を読まなくても、動画を観なくても、音声を聞かなくても、講演会やセミナーに参加しなくても、インプットをする機会はいくらでもあります。結局は、自分が考えているか考えていないか。ただそれだけの話なのです。

 もちろん「アウトプット」だって同じです。足を踏み出して歩くこともアウトプットですし、電車の時間を逆算して家を出発することもアウトプットです。他者と衝突しないようにあえて引き下がることもアウトプットですし、お茶お飲むこともアウトプットです。

 いや、お茶を飲むことはインプットか? まあいずれにせよ、こちらも同様に考えることはいくらでもあるわけで、結局は自分が考えているか考えていないか、それだけの話なのです。

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 よく「アウトプットするためには、その分インプットしなければならない」と言いますが、生活そのものがインンプットとアウトプットで成り立っているわけですから「一方のためのもう一方」という関係性にはならないような気がしています。いちどアウトプットすればインプットしたものが失くなるわけではありませんからね。

 目の前の考える機会をすべて逃しているくせに「本を読んでインプットした!」とか「ノートにまとめてアウトプットした!」とか言っているのはどうなのだろうという話です。まさに新しいことばが普及することによって、意味合いが限定されてしまうことによる弊害であるような気がします。

 別に悪いことではないんですけどね。別に悪いことではないんですけど、ことばに合わせて視野までせまくなってしまうのは、滑稽な話だと思うわけです。

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【今後の予定】

①9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、へいなかさん

②9月16日(水)こきけんよう Vol.11

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月11日(金)らぱいんざWORLD :本日

 普段のらぱいんざWORLDは、テレホンショッキング形式でゲストに来ていただいているのですが、今回からゲストを公募する形式のらぱいんざWORLDをはじめます。今後は、テレホンショッキング形式とこの公募形式を交互に行なっていく予定です。

 そして、直近の第5回らぱいんざWORLDに来てくださるのが へいなかさん(@Heino_naka)という方です。法務教官として少年院でお仕事をされているということ以外はほとんど何も知りません。まあ、いつものことですね。

 おもしろくなることは間違いないと思いますので、ぜひ遊びに来てください。ZOOMにて行います。聞き手としての参加を希望される方はツイッターのDMまでご一報ください。

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