ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】企業を背負って話さないといけないから選考する側も大変だろうな

 

 おはようございます。教育実習シーズンですね。筆者も学生のころに小学校と中学校へ行ったのですが、どちらもとても楽しかった記憶があります。

 教育実習って、学校の先生という仕事のいいとこどりですからね。すでに落ち着いているクラスで子どもたちと遊んだり授業をしたりすることができます。

 ただ、言い換えるなら「重要なところは何もやらせてもらえない」ということでもあります。まあ、一時的なものですから、そりゃあそうなんですけどね。

 実習生はこの事実をよく理解した上で参加しなければなりません。その上で、全力でやりたいことをやりましょう。こんなにも好条件で試せる機会なんてあまりありませんからね。どうも、インクです。

 

企業を背負って話さないといけないから選考する側も大変だろうな

 先生の仕事の中でも特に好きなのが個別懇談会です。短い時間ですが、保護者の方と1対1で話をすることができます。これがまあおもしろいわけです。

 種類は違えど、子どもたちを大切に思う気もちは同じですからね。はじめから熱量を共有して、話を進めることができます。何よりも、聞いたら聞いた分だけ話をしてくださるのがとてもありがたいわけです。

 学校では絶対に見せないような顔を家では見せていたり、新しくできるようになったことの影には家での猛特訓が隠れていたり。そんな話を聞くたびに子どもたちは本当にかんばっているんだなと思うのです。

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

 ただし、そんな個別懇談会の中でもひとつだけ厄介だなと思っていることがあります。それは、自分が「学校の先生」であるということです。

 「何を言っているんだ」と思ったでしょう。「学校の先生」であるからこそ、個別懇談会を行なっているわけですからね。「学校の先生」は個別懇談会の前提条件です。それがなければ何もはじまりやしません。

 しかし、それが厄介なのです。保護者の方々は個人としての筆者ではなく「〇〇小学校の先生」としての筆者に会いにきます。そして「〇〇小学校の先生」と話をして、それぞれのおうちへと帰っていきます。

 極端な話、下手なことを言ってしまうと「〇〇小学校の先生は」という主語で語られてしまいます。「いやいや、そんなものは社会人として集団に所属するかぎり当たり前でしょう」と思いますよね。いわゆる「責任」というやつです。そうなのです。当たり前なのです。だからこそもどかしいのです。

f:id:taishiowawa:20200909211605p:plain

 よく似た関係に「面接」があります。面接官は企業の看板を背負ってことばを選びます。一方で志願者は、採用されようと必死に取り繕います。

 「人と人」というよりかは「面接官と志願者」という役割演技に近いのかもしれません。本当に知りたいことは「その “人” と共に働きたいかどうか」なんですけどね。立場が乗っかると「人と人」からはどうしても遠ざかってしまうのでしょう。

 そういう意味でも人事って本当に難しいのだろうなと思います。どれだけ砕けた話がしたいと望んでも、立場から逃れることはできませんからね。蓋の中身を見たいのに、蓋の中身を見せたいのに、どこまでいっても外装を見せ合うしかないのです。

 先ほどの個別懇談会の話ではありませんが、下手なことを言ってしまうと「あの企業の人は」という主語で、意図に反する噂を立てられかねませんからね。 

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

 そうなると結局「役割演技をしておいた方が自分にとってよい」になってしまうんですよね。まったく「立場」というものは本当に厄介です。

 プライベートで出会った相手としか「人と人」という関係性で対話することができないのでしょうか。むしろいっしょに仕事をする相手と「人と人」の関係になれた方がよいのではないでしょうか。

 べつに「上司」と話したいわけでも「先輩」と話したいわけでも「人事担当者」と話したいわけでもありません。「あなた」と話がしたいのです。なんとか引き出せないものかしら。まずは自分が「人」でいることからはじめなければなりませんね。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

【今後の予定】

①9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、へいなかさん

②9月16日(水)こきけんよう Vol.11

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

 

①9月11日(金)らぱいんざWORLD :明日

 普段のらぱいんざWORLDは、テレホンショッキング形式でゲストに来ていただいているのですが、今回からゲストを公募する形式のらぱいんざWORLDをはじめます。今後は、テレホンショッキング形式とこの公募形式を交互に行なっていく予定です。

 そして、直近の第5回らぱいんざWORLDに来てくださるのが へいなかさん(@Heino_naka)という方です。法務教官として少年院でお仕事をされているということ以外はほとんど何も知りません。まあ、いつものことですね。

 おもしろくなることは間違いないと思いますので、ぜひ遊びに来てください。ZOOMにて行います。聞き手としての参加を希望される方はツイッターのDMまでご一報ください。

f:id:taishiowawa:20200906221349j:plain

 

 

【水】ひとりでできることには限界があって必ずどこかで他者の力が必要になる

 

 おはようございます。先日エントリーした企業から、説明会の日時が書かれたメッセージが返ってきました。そこにはふたつの日時が書かれていました。ひとつは平日の昼間、もうひとつは平日の夕方です。

 そりゃあ、そうですよね。説明をしてくださる方も平日にお仕事をされています。平日に仕事をしている転職希望者と平日に説明会を開いてくださる企業と。

 先生をしながらどうやって平日に開催されている説明会に参加すればよいのでしょう。やはり多少は強引な手段をとらなければならないのでしょうか。

 きっとここが第一の壁なのでしょう。進撃の巨人でいうところのウォール・マリアです。この壁を破壊しないと内部に侵入することはできません。読者の中に超大型巨人はいませんか。どうも、インクです。

 

ひとりでできることには限界があって必ずどこかで他者の力が必要になる

 しっかりしていて、堂々としていて、なんでも器用にこなしてしまう。そんな人、いますよね。自慢になってしまうから大きな声で言えないだけで「自分がそうだ」という方もいらっしゃるでしょう。

 そういう人がもたれがちなイメージに「ひとりで生きていけそう」というものがあります。何でもできてしまうからこそ、そう思われてしまうのです。

 困ったことに、そういう人は本当に何でもできてしまいます。できているフリをしているわけでも強がっているわけでもなく、本当にできてしまうのです。

 できてしまうからこそ、人を頼ることができまさん。贅沢な悩みですよね。ただ、だからこそ、人に相談することができずに苦しむことになるのです。

 今日はそんな「弱みを見せられない人」や「誰かを頼ることができない人」について考えてみたいと思います。本日もどうぞよろしくお願いします。

f:id:taishiowawa:20200908230402p:plain
1.自分でやった方がはやい

 ほかの人に任せるよりも自分でやった方がはやい。いちばんの悩みのタネといっても過言ではないのかもしれません。まさに、できる人ならではの悩みです。

 べつに筆者自身ができる人だというわけではありません。実はこれ、学校の先生によく見られる傾向と一致しているのです。自分よりもできないことの多い子どもたちと、いっしょに過ごす仕事ですからね。

 どうしても自分でやった方がはやいことはたくさんあります。それでもやっぱり、子どもたちに委ねるところは委ねていかないと、それはもはや教育ではなくお世話になってしまいます。ただ、これがまあ難しいわけです。自分ができることって、やりたくなってしまうんですよね。

 そういう意味でも、できる人はときに我慢することが必要なのかもしれません。自分ができることをあえて封じてみることで、見えてくるものもあるわけです。「どうしてそんなに効率のわるいことをするんだ!」と怒ってはいけませんよ。うまくいくことへの執着なんて捨ててじっと見守るのです。  

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

2.ひとりではできないこと

  本当にやりたいことを突き詰めていくと、必ずどこかではひとりでできることの限界にぶつかります。そんなときに、他者との協力が必要不可欠になるわけです。しかし当然、その他者は自分とはちがいます。「自分ならこうするのにな」とか「もっと簡単にできる方法があるのにな」とか。できる人ほど、他者に対して思うことはたくさん出てくることでしょう。

 そんなときに、他者を変えられると思ってはいけません。「優しく言ったのに変わらない」とか、反対に「強く言ったのに変わらない」とか、そういう問題ではないのです。その人は「そういう人」なのであり、すくなくともあなたの思い通りになんて変えられるものではありません。正論を突きつければ変わって当然だという考えは早めに捨てた方がいいでしょう。

 この考えをもち続けてしまうと、結局また「ひとりでやった方がいい」というところに逆戻りしてしまい、ついには「ひとりでできそうなこと」しかやらなくなってしまいます。べつに悪いことではないんですけどね。可能性に蓋をしてしまうのはもったいなく思います。

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

 3.弱みを見せる

 筆者自身も、だれかを頼ったり、弱みを見せたりすることがとても苦手でした。できるようになったのは、つい最近のことかもしれません。見せた方が何かと生きやすいということがわかってきたのです。べつにわかってもらおうだなんて思ってはいません。

 いやむしろ、わかってもらうことなんてできないでしょう。知ってもらっておく程度でいいのです。知ってもらってさえいれば「そういう人」だと思ってもらいやすくなります。言い換えると、勝手に「こういう人」だと決められづらくなるということです。

 勝手に想像されてしまっても、それが合っているかどうかを確かめることはできませんからね。それこそ、何も言わなければ勝手に「ひとりで生きていけそう」と思われてしまう人がいるわけです。そんな適当な想像で自分を定められるのは嫌ではありませんか。

 それならば、自分から正確な情報をばらまいていった方が、勘違いされずに済んでいいではありませんか。どうすればいいのかわからない人は、とりあえず思ったことを正直に口にしてみればいいと思います。「おいしい」とか「それおもしろくないですよ」とか。考えたことを口に出していくことで、他者が抱くあなたのイメージがより正確になっていくのです。

f:id:taishiowawa:20200719064443p:plain

 なんだか1番で言っていることと3番で言っていることが真逆になってしまいましたね。我慢すればいいのか、口に出せばいいのか、よくわからない結論になってしまいました。ただひとつ確実に言えることとしては「他者との対話はおもしろい」ということです。

 かつての自分には到底信じられなかったでしょうね。人と話しておもしろいと思ったことなんてほとんどありませんでしたからね。きっと相手のせいにしてしまっていたのだと思います。やっぱり、自分が生きやすい環境は自分でつくらなければなりません。他者や環境によって定められると思われているアレもコレも、実は自分の問題であるのかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

【今後の予定】

①9月9日(水)こきけんよう Vol.10

②9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、へいなかさん

③9月16日(水)こきけんよう Vol.11

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月9日(水)こきけんよう vol.10:本日

  毎週水曜日の定例会です。まさかの10週目に突入しました。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

f:id:taishiowawa:20200902215433p:plain

 

②9月11日(金)らぱいんざWORLD 

 普段のらぱいんざWORLDは、テレホンショッキング形式でゲストに来ていただいているのですが、今回からゲストを公募する形式のらぱいんざWORLDをはじめます。今後は、テレホンショッキング形式とこの公募形式を交互に行なっていく予定です。

 そして、直近の第5回らぱいんざWORLDに来てくださるのが へいなかさん(@Heino_naka)という方です。法務教官として少年院でお仕事をされているということ以外はほとんど何も知りません。まあ、いつものことですね。

 おもしろくなることは間違いないと思いますので、ぜひ遊びに来てください。ZOOMにて行います。聞き手としての参加を希望される方はツイッターのDMまでご一報ください。

f:id:taishiowawa:20200906221349j:plain

 

 

【火】教室の掃除をはじめる前に色がついた砂のようなものを撒けばよいのではないか

 

 おはようございます。「どこからでも切れます」と書いてあるのにどこからも切れない小包装に、だれもがいちどは出会ったことがあるはずです。

 昔のシャンプーの開け口なんて、もはや開けさせる気がありませんでしたからね。びしょ濡れのままハサミをとりに行くということが何回もありました。

 そう考えると最近の商品の開け口は本当にすごいなと思います。「どこからでも切れます」と書かれていたら、本当にどこからでも切れますからね。

 いまだに切れないのは、スーパーで売られている安いお蕎麦のめんつゆくらいでしょうか。あれだけは絶対に切れません。切れ込みが入れてあるのに。

 まあでも、簡単に切れすぎてしまうとそれはそれで困りますもんね。簡単に切れてはいけない小包装を、簡単に切れるようにする。実はとんでもなくすごいことなのかもしれません。どうも、インクです。

 

教室の掃除をはじめる前に色がついた砂のようなものを撒けばよいのではないか

 うちの学校では、給食をたべ終わったら、みんなで手分けして掃除をします。子どもたちは一生懸命がんばっているのですが、決して上手とは言えません。

 掃除を終えたはずの教室に、目に見える大きさのホコリが落ちていたり。集められたゴミが回収されないままのこっていたり。嘘だろと思ってしまいます。

 ただし、こんなところで怒ってはいけません。子どもたちが意図して手を抜こうとしているのなら話は変わりますが、少なくともがんばろうとはしています。

 単純に掃除が下手、ただそれだけの話です。下手であることは、仕方がありません。大人と子どもでは「汚れる」という感覚がまるでちがいますからね。

 子どものころ、床に落ちているホコリを気にしていましたか。洋服についたヨゴレやシワを気にしたことがありましたか。もちろん気にしていたという方も数人はいらっしゃるのでしょうが、ほとんどの子どもたちはそんなことを気にしちゃいません。

 平気で床に寝転びますし、平気で水たまりに入ります。「汚れるから嫌だ」とか「汚れたから綺麗にしないと」という感覚をもっていないのです。

f:id:taishiowawa:20200907212657p:plain

 そんな子どもたちに大人の価値観を押しつけても仕方がありません。「綺麗になった方が気もちいいでしょ?」と言えば「うん」と頷くでしょうが、あれは子どもたちが空気を読んでいるだけです。

 実際は、教室が土だらけだろうがホコリだらけだろうがべつに気にしちゃいません。掃除の時間だと言われるから掃除をしているだけであって「掃除をしたい」と思っているわけではないのです。

 だからいっそのこと、掃除をはじめる前に色がついた砂でも撒けばよいのではないかと思います。「掃除をする」のではなく「色つきの砂を集める」のです。隅から隅までひと粒のこらず砂を集めたら、あら不思議。教室もピカピカというわけです。

 「綺麗になると心も綺麗になる」とか「つかった場所を掃除するのは当たり前だ」とか。無理やりそんな道徳的価値観や正論めいた内容に落とし込まなくてもいいではありませんか。はじめにも述べたように、子どもたちはべつに何とも思っていないのです。

 それならば「教室を綺麗にする」という目的を果たすために、もっとおもしろいゴールを用意してやればよいではありませんか。楽しんでいるうちに綺麗になっていればそれでいいではありませんか。

f:id:taishiowawa:20200907212736p:plain

 学校の先生は、このような「行動の理由を変える」ということがものすごく苦手です。何にでも立派で教育的な理由が必要だと思っていますからね。

 しかも、いちど普及した理由をまったく疑おうとしません。「教室が綺麗になると心も綺麗になる」という理由が定着すると、そのまま子どもたちの前で偉そうに語りはじめてしまうのです。

 本当に教室が綺麗になると心も綺麗になるのでしょうか。そもそも「心が綺麗になる」ってどのような状態でしょうか。さらに根本的なところを言及するなら、ここで言う「心」ってなんでしょうか。

 べつに掃除をすることを否定したいわけではありません。なんなら筆者自身も掃除は大切だと思っています。ここで言いたいのはそんなことではなく「本当に考えて言っているか?」ということです。

 立派に聞こえて、教育的だと思われていて、それらしければ、よいものだと思ってしまってはいませんか。自分が正しいことを言っているような気になれたら、それでいいと思ってしまってはいませんか。

 教育業界でよくつかわれることばは、そのあたりをぼんやりさせるのが本当に上手ですからね。耳ざわりがよければいいわけではないのです。目の前でたしかに生きている子どもたちと結びついていなければ、なんの価値もないのです。いやむしろ、大人たちが「よい」と思い込んでいるその価値観が、子どもたちを檻の中に閉じ込めます。

 ことばに騙されてはいけません。ことばに満足してはいけません。相手にするのは目の前にいる子どもたちです。あなたにだって子どもだったころがあるはずです。よく思い出してみてください。きっと子どものころのあなたが味方になってくれるはずです。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

【今後の予定】

①9月9日(水)こきけんよう Vol.10

②9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、へいなかさん

③9月16日(水)こきけんよう Vol.11

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月9日(水)こきけんよう vol.10

  毎週水曜日の定例会です。まさかの10週目に突入しました。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

f:id:taishiowawa:20200902215433p:plain

 

②9月11日(金)らぱいんざWORLD 

 普段のらぱいんざWORLDは、テレホンショッキング形式でゲストに来ていただいているのですが、今回からゲストを公募する形式のらぱいんざWORLDをはじめます。今後は、テレホンショッキング形式とこの公募形式を交互に行なっていく予定です。

 そして、直近の第5回らぱいんざWORLDに来てくださるのが へいなかさん(@Heino_naka)という方です。法務教官として少年院でお仕事をされているということ以外はほとんど何も知りません。まあ、いつものことですね。

 おもしろくなることは間違いないと思いますので、ぜひ遊びに来てください。ZOOMにて行います。聞き手としての参加を希望される方はツイッターのDMまでご一報ください。

f:id:taishiowawa:20200906221349j:plain

 

 

【月】青年求職家になってはじめてこんなにも色々なことをしている人がいるという事実を知る

 

 おはようございます。カメラを2台も3台も持っている人のことを意味がわからないと思っていましたが、いやあ、欲しくなりますねえ。ライカのプロダクトに対する単純な憧れと、すこしずつわかってきた写真を撮ることのおもしろさと。

 結局はお金だけが問題です。このままいくと4月には無職ですからね。ローンを組むにせよ、さすがにこのタイミングで高額なお買いものはできません。そんなときに限って、もうすぐで7年の付き合いになる MacBook の限界が近づいてきています。

 まあ、そう簡単には買えないからこそ、自分の中での価値も高まるというわけです。きっと必要なときがきたら、無意識のうちに買っていることでしょう。理性が働いているうちは「今の自分には必要ない」ということです。時が来るのを気長に待とうと思います。どうも、インクです。

 

青年求職家になってはじめてこんなにも色々なことをしている人がいるという事実を知る

  数日前から青年求職家になりました。「なんの特技もないひとりの小学校の先生がたったの7か月で次の仕事をみつけることができるのか」というドキュメンタリーです。ライフイズコンテンツ。転職なんて何度もあるものではないと思うので、せっかくだから途中経過をこのブログに書いていこうと思います。

 現在は、とにもかくにも転職サイトをスクロールしながら、求人情報をさがしている段階です。いろいろと覗いてみてはいるのですが、ツイッターのフォロワーさんが教えてくださった「Wantedly」というサイトがどうやらおもしろそうです。

 ほかの求人募集のサイトとは違って、希望する年収や福利厚生を設定する必要がありません。もちろん仕事を選ぶ上では大切な要素なのでしょうが、そんなことよりも人との出会いを大切にしようというわけです。この点においては、筆者の思いとかなりマッチしている気がします。おもしろければ、年収も福利厚生もべつにどうだっていいですからね。

f:id:taishiowawa:20200906205107p:plain

 と、このように求人サイトを閲覧している中で、はじめに思ったのが「こんなにもいろいろなことをしている人が世の中にはいるのか」ということでした。「このサービスでどうやって利益を生んでいるのだろう」 とか「こんなにも限定された条件の求人にエントリーする人なんているのかな」とか。本当に、見ているだけでおもしろいです。

 きっと自分が実際に仕事をさがしている身だからこそ、こんなにおもしろく思えるのでしょう。「自分が所属するとしたら」という視点で見ていくわけですからね。単純にわくわくします。

 それと同時に「自分は何も知らない」ということを、つくづく思い知らされました。まさに、4年生の国語教材である「アップとルーズで伝える」です。ふだんの日常生活は基本的に「アップ」ですからね。目の前の小さな世界でものごとが進んでいきます。

 日常生活を送りながら「ルーズ」の視点をもつことができないわけではないんですけどね。安定した日々がくり返されると、その必然性がだんだん薄れていってしまうのです。そういう意味では、背水の陣に追いこまれることで「ルーズ」の視点をもたざるを得なくなったというわけです。

 実際に求人募集を見ていく中で、おもしろそうなものをいくつか見つけたのでさっそくエントリーしてみました。つまり、今はラブレターの返事待ちという状態です。企業側もそれなりのコストをかけて求人を募集しているでしょうからね。すこしでもはやく見つけていただきたいものです。

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

 仮にお返事をいただけたとしたら、オフィスを訪問したり、どこかでお話をしたりすることになるのだろうなと思いますが、現職の都合で平日にはなかなか身動きがとれないという問題が出てきます。教員から転職されたみなさんは一体どうされていたのでしょう。年休をとって時間を捻出していたのでしょうか。

 また、今年度を終えた4月以降しか動けないというのもなかなかにネックですね。どの職業でもそんなもんなのでしょうか。何せ「はじめてのてんしょく」ですからね。わからないことだらけです。

 ただ、そのあたりも含めてぜんぶが貴重な経験です。これからもちょこちょこと進捗状況を記事にしていけたらなと思います。こんなにも余裕をぶっこいていた奴が、時間経過とともに焦っていく様を楽しんでいただけたらと思います。それではまた。「青年求職家の活動報告 Vol.2」でお会いしましょう。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

【今後の予定】

①9月9日(水)こきけんよう Vol.10

②9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、へいなかさん

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月9日(水)こきけんよう vol.10

  毎週水曜日の定例会です。まさかの10週目に突入しました。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

f:id:taishiowawa:20200902215433p:plain

 

②9月11日(金)らぱいんざWORLD 

 普段のらぱいんざWORLDは、テレホンショッキング形式でゲストに来ていただいているのですが、今回からゲストを公募する形式のらぱいんざWORLDをはじめます。今後は、テレホンショッキング形式とこの公募形式を交互に行なっていく予定です。

 そして、直近の第5回らぱいんざWORLDに来てくださるのが へいなかさん(@Heino_naka)という方です。法務教官として少年院でお仕事をされているということ以外はほとんど何も知りません。まあ、いつものことですね。

 おもしろくなることは間違いないと思いますので、ぜひ遊びに来てください。ZOOMにて行います。聞き手としての参加を希望される方はツイッターのDMまでご一報ください。

f:id:taishiowawa:20200906221349j:plain

 

 

【日】理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できる

 

 おはようございます。ツイッターを見ていると「ずっと同じことがくり返されているのではないか」と思ってしまいます。実名か匿名か。顔を出すか出さないか。ブロックをするかしないか。反応するか無視するか。定期的に同じような議論がくり返されています。

 先日、職員室でとある先生が「これ何色に見える?」と1枚の画像を見せてきました。この時点ですでにお察しの方もいらっしゃるでしょう。そうです。人によって違う色に見えるというあのドレスの画像です。ひと昔前にツイッターでバズりましたよね。あの画像を見せてきたのです。

 「今さらその画像?」と思ったのですが、ほかの先生方はまったく知らなかったみたいです。インターネットの情報はそれなりに仕入れている方だとは思っていましたが、まさかこんなにも知らない人がたくさんいるとは驚きでした。自分の「当たり前」なんてまったく当てになりませんね。

 同じことがくり返されているように見えるのも、結局はそういうことなのだと思います。くり返されているように見えている人がいる一方で、その情報をとても新鮮に受け取っている人もいるというわけです。

 情報の新鮮さは「発表されたタイミング」ではなく「受け取ったタイミング」で決まるということになりますね。この調子でいくと「あらゆる動物が逃げていく動き」も「サッポロ一番は水でつくることができる」ということも知らなさそうなので、明日の話題してみましょうか。どうも、インクです。

 

理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できる

 宿題を持ってくるのを忘れた子どもが、必死になってその理由を説明しにくることがあります。「やったけど机の上に置いてきてしまった」とか「間違えて1学期のノートを持ってきてしまった」とか。

 こちらとしては、理由なんて何だってかまいません。理由を説明することで状況が変わるわけではありませんからね。理由が何であれ「今日は提出することができない」という事実が変わることはないのです。

 それならば「忘れてしまった」という事実と「どうするのか」という意思さえ伝えてくれれば、あとは何だってかまいません。べつに怒りはしませんからね。必死になって長々と語る必要なんてないのです。

 それにも関わらず、子どもたちはどうしてあんなにも理由を伝えようとがんばるのでしょうか。きっと大人も同じですよね。遅刻をしてしまったときなんて、謝ったらすぐに一生懸命理由を説明しようとします。

 みなさんにも、説明したことがあったり、説明されたことがあったりするのではないでしょうか。今日はこの「理由を伝えようとする理由」について考えてみたいと思います。本日もよろしくお願いいたします。

f:id:taishiowawa:20200906074054p:plain

 第一に考えられる理由としては「言いわけ」が挙げられます。理由を伝えることで、相手に「仕方がない」と思ってもらって、自分の失敗をできるだけ軽いものにしたいというわけです。「習いごとで疲れていたのなら仕方がないね」とか「アラームの調子がわるくて鳴らなかったのなら仕方がないね」とか。そう言ってもらえると、自分が安心できるのです。

 たしかに、相手に理由を勝手に想像されて、変な誤解をされたまま過ごすのは嫌でしょう。「あの人はただの怠け者だ」と思われたくはありません。そうなってしまうくらいなら、理由として事実をしっかりと伝えておいた方が安心できるというものでしょう。

 ただし、ここでよくよく気をつけておかなければならないことがあります。それは「誰が安心するために時間をつかっているのか」ということです。そうです。理由を説明することで、安心を得ているのは自分自身です。相手ではありません。

 要するに「理由を説明する」という行為は「自分が失敗したときに、自分がすこしでも不安にならないようにするために、相手の時間を奪う」ということなのです。遅刻の場合は、ただでさえ待たせているかもしれません。その上で、さらに時間を奪うだなんて、いくらなんでも自分勝手だとは思いませんか。

 はじめの宿題の話でも述べたように、相手からすれば理由なんてなんだっていいのです。もちろん聞かれたら答えればいいと思いますよ。ただ、自分から必死に語るというのは、お門違いな気がするわけです。

f:id:taishiowawa:20200812234835j:plain

 さて、ここまでの話で、理由には「自分が安心できる」という機能があるということがわかっていただけたかと思います。もうひとつ、大きな機能をもち合わせているので、簡単にご紹介しておこうと思います。

 それは「改善策を立てる」という機能です。「このような理由で失敗したから次はこうしよう」というときに理由は大いに役立ちます。ただし、これもまた勘違いをしてはいけません。相手のためではなく、自分のために改善策を立てるのです。そのための理由です。相手の時間を奪ってもいいわけではありません。

 理由の機能はこの2点です。細々としたものはほかにもたくさんあるのでしょうが、やっぱり「自分のため」であることには変わりがないでしょう。自分が納得して、自分が動き出すために、理由を必要としているのです。

f:id:taishiowawa:20200906081027p:plain

 ここまでくると、ひとつの疑問が自ずとわき上がってきます。わたしたちは、理由がなければ行動することができないのでしょうか。先ほどの宿題忘れや遅刻の例は、コトが起こってから理由を求めるという話でしたが、わたしたちはこれからの行動にも何かと理由を求めているような気がします。

 たとえば、どこかに出かけるときは必ず理由とセットです。友だちとごはんを食べるから、電車に乗ってまちへ出る。新しい服がほしいから、買い物をしに店へ行く。健康が心配だから、スニーカーを履いてウォーキング。から、から、から、から、から、から。

 自分が安心するために、万が一うまくいかなかったときに説明をするために、わたしたちは常に理由を求めています。逆に言えば、意味や理由を与えてくれるものにとことん弱いのが人間です。似たようなことをツイートしたら「だから猫にスリスリされるとたまらなく愛おしく思えるんですね」というリプをいただきました。本当にそのとおりだと思います。

 ここからわかることは次のふたつです。ひとつは、理由を求めすぎると自分の行動に大きな制限がかかること。もうひとつは、誰かと接するときは意味や理由を与えると喜ばれるかもしれないということです。

 本当は理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できるはずなんですけどね。あまりにも自然と求めてしまっている節があるので、ときには意図して「理由」や「意味」から離れてみることも大切なのかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

【今後の予定】

①9月9日(水)こきけんよう Vol.10

②9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、???

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月9日(水)こきけんよう vol.10

  毎週水曜日の定例会です。まさかの10週目に突入しました。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

f:id:taishiowawa:20200902215433p:plain