ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できる

 

 おはようございます。ツイッターを見ていると「ずっと同じことがくり返されているのではないか」と思ってしまいます。実名か匿名か。顔を出すか出さないか。ブロックをするかしないか。反応するか無視するか。定期的に同じような議論がくり返されています。

 先日、職員室でとある先生が「これ何色に見える?」と1枚の画像を見せてきました。この時点ですでにお察しの方もいらっしゃるでしょう。そうです。人によって違う色に見えるというあのドレスの画像です。ひと昔前にツイッターでバズりましたよね。あの画像を見せてきたのです。

 「今さらその画像?」と思ったのですが、ほかの先生方はまったく知らなかったみたいです。インターネットの情報はそれなりに仕入れている方だとは思っていましたが、まさかこんなにも知らない人がたくさんいるとは驚きでした。自分の「当たり前」なんてまったく当てになりませんね。

 同じことがくり返されているように見えるのも、結局はそういうことなのだと思います。くり返されているように見えている人がいる一方で、その情報をとても新鮮に受け取っている人もいるというわけです。

 情報の新鮮さは「発表されたタイミング」ではなく「受け取ったタイミング」で決まるということになりますね。この調子でいくと「あらゆる動物が逃げていく動き」も「サッポロ一番は水でつくることができる」ということも知らなさそうなので、明日の話題してみましょうか。どうも、インクです。

 

理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できる

 宿題を持ってくるのを忘れた子どもが、必死になってその理由を説明しにくることがあります。「やったけど机の上に置いてきてしまった」とか「間違えて1学期のノートを持ってきてしまった」とか。

 こちらとしては、理由なんて何だってかまいません。理由を説明することで状況が変わるわけではありませんからね。理由が何であれ「今日は提出することができない」という事実が変わることはないのです。

 それならば「忘れてしまった」という事実と「どうするのか」という意思さえ伝えてくれれば、あとは何だってかまいません。べつに怒りはしませんからね。必死になって長々と語る必要なんてないのです。

 それにも関わらず、子どもたちはどうしてあんなにも理由を伝えようとがんばるのでしょうか。きっと大人も同じですよね。遅刻をしてしまったときなんて、謝ったらすぐに一生懸命理由を説明しようとします。

 みなさんにも、説明したことがあったり、説明されたことがあったりするのではないでしょうか。今日はこの「理由を伝えようとする理由」について考えてみたいと思います。本日もよろしくお願いいたします。

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 第一に考えられる理由としては「言いわけ」が挙げられます。理由を伝えることで、相手に「仕方がない」と思ってもらって、自分の失敗をできるだけ軽いものにしたいというわけです。「習いごとで疲れていたのなら仕方がないね」とか「アラームの調子がわるくて鳴らなかったのなら仕方がないね」とか。そう言ってもらえると、自分が安心できるのです。

 たしかに、相手に理由を勝手に想像されて、変な誤解をされたまま過ごすのは嫌でしょう。「あの人はただの怠け者だ」と思われたくはありません。そうなってしまうくらいなら、理由として事実をしっかりと伝えておいた方が安心できるというものでしょう。

 ただし、ここでよくよく気をつけておかなければならないことがあります。それは「誰が安心するために時間をつかっているのか」ということです。そうです。理由を説明することで、安心を得ているのは自分自身です。相手ではありません。

 要するに「理由を説明する」という行為は「自分が失敗したときに、自分がすこしでも不安にならないようにするために、相手の時間を奪う」ということなのです。遅刻の場合は、ただでさえ待たせているかもしれません。その上で、さらに時間を奪うだなんて、いくらなんでも自分勝手だとは思いませんか。

 はじめの宿題の話でも述べたように、相手からすれば理由なんてなんだっていいのです。もちろん聞かれたら答えればいいと思いますよ。ただ、自分から必死に語るというのは、お門違いな気がするわけです。

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 さて、ここまでの話で、理由には「自分が安心できる」という機能があるということがわかっていただけたかと思います。もうひとつ、大きな機能をもち合わせているので、簡単にご紹介しておこうと思います。

 それは「改善策を立てる」という機能です。「このような理由で失敗したから次はこうしよう」というときに理由は大いに役立ちます。ただし、これもまた勘違いをしてはいけません。相手のためではなく、自分のために改善策を立てるのです。そのための理由です。相手の時間を奪ってもいいわけではありません。

 理由の機能はこの2点です。細々としたものはほかにもたくさんあるのでしょうが、やっぱり「自分のため」であることには変わりがないでしょう。自分が納得して、自分が動き出すために、理由を必要としているのです。

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 ここまでくると、ひとつの疑問が自ずとわき上がってきます。わたしたちは、理由がなければ行動することができないのでしょうか。先ほどの宿題忘れや遅刻の例は、コトが起こってから理由を求めるという話でしたが、わたしたちはこれからの行動にも何かと理由を求めているような気がします。

 たとえば、どこかに出かけるときは必ず理由とセットです。友だちとごはんを食べるから、電車に乗ってまちへ出る。新しい服がほしいから、買い物をしに店へ行く。健康が心配だから、スニーカーを履いてウォーキング。から、から、から、から、から、から。

 自分が安心するために、万が一うまくいかなかったときに説明をするために、わたしたちは常に理由を求めています。逆に言えば、意味や理由を与えてくれるものにとことん弱いのが人間です。似たようなことをツイートしたら「だから猫にスリスリされるとたまらなく愛おしく思えるんですね」というリプをいただきました。本当にそのとおりだと思います。

 ここからわかることは次のふたつです。ひとつは、理由を求めすぎると自分の行動に大きな制限がかかること。もうひとつは、誰かと接するときは意味や理由を与えると喜ばれるかもしれないということです。

 本当は理由なんかなくたって決められるし、意味なんかなくたって行動できるはずなんですけどね。あまりにも自然と求めてしまっている節があるので、ときには意図して「理由」や「意味」から離れてみることも大切なのかもしれません。

taishiowawa.hatenablog.com

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【今後の予定】

①9月9日(水)こきけんよう Vol.10

②9月11日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、???

③9月25日(金)らぱいんざWORLD with らいざさん、らぱんさん、mucchuさん

 

【リスナー募集】 

①9月9日(水)こきけんよう vol.10

  毎週水曜日の定例会です。まさかの10週目に突入しました。どうでもいい話をしています。週の真ん中、折り返し地点として聴きに来てはみませんか。声を出せる人はぜひとも一緒にお話ししましょう。水曜日に予定があるというだけで、目安になっていいものですよ。参加希望はツイッターのDMまで、よろしくお願いいたします。

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