ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

パワポセンスが火を吹くぜ

 

 小さい頃から頭痛持ちで、よく苦しめられています。頭痛にはいくつかの種類があって、一番タチの悪いやつは「気持ち悪さ」を伴う頭痛です。頭痛がやってくると通信制限にかかったスマホのようになってしまうので、かばんの中には常にバファリンが入っています。インクです。

 

パワポセンスが火を吹くぜ

  これもまた小さい頃から、パワーポイントが大好きです。あの真っ白なスライドに、テキストを自由に配置できるかんじがたまりません。しかし、いくら自由といえども機能面には限界があります。その決められた機能の中で、いかに自分のイメージを表現しきることができるか。試行錯誤の連続です。

 また、パワーポイントを見れば、作成者のセンスがわかります。あれほど言われているにも関わらず、スライドに文字をつらつらと並べる人は一体どういうつもりなのだろう。研修会等でそのようなスライドを未だによく見かけます。他にも、スライドに「テーマ」を用いる人も正直どうかと思います。おしゃれだと思っているのかしら。

 

 

明日の算数はなんの説明もしない

  今の教育業界では、「対話のある授業」が求められています。教師が一方的に教えるのではなく、子どもたち自身が対話を通して自己解決していくという形です。

 それを踏まえて、いっそのこと説明することをやめてみました。算数の授業で、何も言わずに黒板に「わり算の筆算」の式を書き、何も言わずに計算してみました。すると、子どもたちはその板書をよく観察し、「ああ、そういうことか!」「え、今のどういうこと?」と口々につぶやき始めました。

 そこでもう一問、類題を黒板に書き、教師からは一言だけ。さあ、やってみよう。先ほどの観察で、分かったとしても分からなかったとしても、子どもたちの中には「話したい」という思いが生まれています。あとは教師が何をせずとも、自分たちで主体的に教え合いながら問題を解いていました。また、おもしろいことにこの単元のテストは出来もよかったです。結果も出る。教師も楽。一石二鳥です。

 

 

ノート指導にまだ疑問がある

  学校現場にいると、つくづく学校って異常な空間だなと思います。目的もはっきりしないまま、これまでの風習を受け継ぎ、独自の進化を遂げてきた文化がたくさんあります。実際、自分が子どもの頃は、その学校特有の文化が嫌いで仕方がありませんでした。

 逆に言えば、これまで疑問に思っていたけど、教師になってみて初めて納得できた文化もたくさんあります。掃除や給食、休み時間など、授業時間以外の規律の大切さは身にしみて実感しています。

 中でも「学校にシャーペンを持ってきてはいけない」というルールは昔から疑問に思っていたのですが、「分解して遊ぶやつがいるから」という理由を聞いてとても腑に落ちました。中には過度なものもありますが、学校のルールの中には「未然防止」という要素が大きな割合を占めていると思いました。

 そんな学校生活の中でも、未だに腑に落ちていないのが「ノート指導」です。先生方はよくノート指導に力を入れ、きれいにまとめている子を褒めます。コピーをとって教室に掲示する先生もいるくらいです。しかし、この「ノート指導」こそ目的があやふやになっているような気がします。

 なんのためにノートをとるのだろう?上のような例を見ていると、「教師の指導力の顕示」であったり「保護者へのアピール」が大きな割合を占めてしまっているような気がします。あくまでもノートは、自分のためにとるのであって、他人のためにとるのではありません。本来は他の人に見せるものではないのです。仮に「後々見返すため」にノートをとるのだとしても、はたして自分のノートを見返す小学生がいるのだろうか、というところも疑問です。だからと言って、ノートをとる以外のいい手段を思いついているわけでもないので、強く否定することもできません。なにかいい手段はないものだろうか。

 

 

 ほとんどの人が経験しているので、「教育」という分野は誰でも気軽に口出しができます。だからこそ、コンテンツのジャンルとしてはおもしろいのではないかなと思っています。しかし、これを教師同士で話すとなると、とんでもなく偏りが生じます。なぜなら「教師になろうと思った人間の教育観」でしかないからです。

 「教育」という業界になんの関係もない仕事をしている、いろんな年齢の人たちが、自身の経験をもとにして、もっと簡単に意見できる場ができたら、よりおもしろくなるのではないかと思います。こんな先生がおもしろかった、こんなルールに疑問をもっていた、自分はこんな子どもだった。いろんな人の声を聞いてみたいものです。