ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】行事前の黒板のメッセージはたぶん思っているより子どもには響いていないよ

 

 おはようございます。大学生のころに、必修の介護体験として、約1週間老人ホームに行ったことがあります。朝イチで掃除をして、のこりはすべて「コミュニケーション」の時間です。何かがあったときに責任が取れないという理由から、配膳の手伝いも、車椅子を押すこともできません。お年寄りの集まる広いスペースにぽーんと放り出されて、夕方までの時間をそこで過ごさなければなりません。お年寄りの方々には申し訳ないけれど、本当に辛かった。

 まだ、何かのお手伝いができたのなら、その過程で少しでも仲良くなることができたのかもしれません。しかし、本当に何にもない。やることが何にもない。テレビを観てのんびりしているお年寄りに無理やり近づいて話をしなければならなかったのです。話をするつもりのない人に、無理に話しかけなければならない。相手が誰であれ、かなりのエネルギーをつかう行為です。しかも、それが1週間続くわけですから、もう大変です。

 この体験を通して改めて「何もやることがないのが一番辛い」のだと実感しました。裏返すと、やることがたくさんあるのはとても幸せだということです。忙しいのは素敵なことなのです。そうです。きっとそうなのです。そうであるはずなのです。どうも、インクです。

 

行事前の黒板のメッセージはたぶん思っているより子どもには響いていないよ

 学級経営において、よく起こる問題に「教師と子どもの熱量に大きな差が生まれる」というものがあります。教師は大きな理想をかかげて一生懸命になっているけれど、子どもたちはまったくそれに続いていないという状態です。するとどうなるかと言うと、教師がイライラして「どうしてこんなに簡単なこともできないの!」と怒り始めるのです。「私はあなたたちのためにこんなにも頑張っているのに!」というわけです。しかし、悲しいことに、子どもたちからしたらそんなことは知ったこっちゃありません。勝手に頑張って、思い通りにいかないからってぷんすかされても…という状態です。この熱量のズレが長引くと、後々致命傷になるので注意が必要です。

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 そんな熱量の差が分かりやすく表れるのが「黒板」です。とくに行事前の黒板はすごいです。先生によっては、何時間もかけて大作を描きあげる人もいます。ここで気をつけておかなければならないのは、「黒板のイラスト」はあくまでも教師の自己満足でしかないということです。たしかに壮大なイラストを描いていたら、子どもたちの反応はいいかもしれません。先生の本気具合も伝わるかもしれません。

 しかし、厳しいことを言うと、そこで起こる感動は子どもたちの成長ではありません。先生の承認欲求の表れです。先生の本気具合を伝えるにしても、「黒板」はメインとなる手段ではありません。先生の本気具合は、ふだんの授業や行事の練習で伝えるべきです。黒板に書かれた「メッセージ」も同様です。それらしい「いい言葉」を書き並べる方が多いと思いますが、先生が思っている以上に子どもたちは読み流しています。自分が子どもだった頃に、先生が黒板に書いていたメッセージを覚えていますか。筆者はひとつも覚えていません。どうせメッセージを書くのであれば、「クラス一丸になって〜」とか「これまでの練習の成果を〜」というありきたりなものではなくて、もっと短く、かつ印象に残るようなことばを書けたらいいものですね。

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  一言で言うならば、「黒板」によるメッセージやイラストは、費用対効果があまりにも低いのです。時間をかける割には、一瞬の感動しか生みません。数時間後には行事そのものに熱中し、誰も黒板のことなんて覚えていません。「それでも書くんだ」というのなら、それはもう個人の自由だと思います。ただし、先ほども述べたように、子どもたちの反応が悪くても「こんなに頑張ったのに」と思わないようにだけ気をつけてください。それは子どもたちがかわいそうです。

 これはふだんの授業の「板書」でも同じようなことが言える気がします。どれだけ板書がきれいにまとまっていようとも、子どもたちの成長に結びついていなければなんの価値もありません。「授業の流れの記録」として、板書を写真で撮ることは有効かもしれませんが、どうしても「見栄え」が前面に出ている記録写真が多いような気がします。「板書」は手段と目的の入れ違いが起こりやすい行為なので、くれぐれも注意が必要だと思っています。

 

 

 というのも、最近ツイッターで黒板の写真をよく見かけるようになったからです。そのほとんどはきっと、生徒が撮ってタイムラインに流しているのだと思いますが、結局は「教師の承認欲求を満たすこと」が目的いるものばかりだと感じるのです。もちろん絵が得意なのであれば、それを存分に活かすべきだと思います。描くこと自体を否定するつもりはありません。ただ、それが子どもたちの成長に繋がっているかと言われると、疑問が残ります。あくまでも信頼関係を築くためのひとつの手段としてつかっていけたらいいのかもしれません。

 

 完全に余談ですが、みなさんは「黒板消し」の正式名称をご存知ですか。学校の先生なら知っているでしょうか。答えは、ツイッターのフォローと読者登録を済ませたあとに、さらに下へスクロールしてご確認ください。大切なことは下へスクロールすることではありません。ツイッターのフォローと読者登録です。よろしくお願いします。

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 というわけで、「黒板消し」の正式名称は「ラーフル」でした。学校の先生は、ぜひとも明日から使ってみてください。

 

〇〇さん、ちょっとラーフル取ってくれる?