ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

作文はマス目が埋まれば終わり

 

 ずっと体内にあったはずなのに、体外に出た瞬間から汚物として扱われる排泄物って少し不思議ですよね。インクです。

 

授業の準備をする日曜日の夜

  教師になって驚いたことのひとつに「クラスの仕事がほとんどできない」というものがあります。担任の先生は、授業を考えたり、テストの丸つけをしたりするのが仕事だ、というイメージがあるのではないでしょうか。しかし、そのほとんどは勤務時間内にできません。

  仕事の優先順位としては、「学校全体の仕事」、「学年の仕事」、そして「クラスの仕事」です。「学校全体の仕事」は校務分掌と呼ばれ、年度始めにそれぞれの先生に仕事が割り振られます。もちろん仕事ができる先生ほど大きな校務が回ってきます。また、校務によっては繁忙期をもつものもあり、それだけで一日が終わります。

 その次にある「学年の仕事」は、行事予定の管理であったり、授業に必要な道具や部屋の準備であったり、学年だよりの発行であったりします。子どもたちの中でトラブルがあったり、保護者対応があったりしようものなら、これらをすべてほったらかして対応しなければなりません。もちろん、放置された仕事たちはたまっていくばかりです。

 そしてようやく「クラスの仕事」ができるのです。当然ながらもうその頃には日も落ちて真っ暗です。明日の授業はどんなことをしよう。それを考えるのは家に帰ってから。先生はそんな毎日を送っています。

 

 

美しきマイキータ

  先日なんとなく入ったバーニーズニューヨークで一目惚れしました。試着だけして一度店を出たのですが、なかなか忘れることができず、再び店に戻って買ってしまいました。レンズの端がプレス加工されており、屋内と屋外で色が違って見えます。

 これまでに持っていたサングラスはレイバンのクラブマスター1本だけで、ほとんどかけることはありませんでした。日本人特有だと思いますが、やはりサングラスってどこか「イキっているイメージ」を含んでいますよね。リングやネックレスなどにも、どことなく同じようなイメージを持っていました。どうしても「がんばっちゃってる感」が出てしまうんですよね。

 きっとそれは、その人の人間性や年齢にも大きく左右されると思います。「もうそろそろアクセサリーをつけたり、サングラスをかけたりしてもいい年齢になってきたかな」と思い挑戦しているわけですが、はたから見たらやはり「イキっている」ように見えるかもしれませんね。

 しかし、そんなことは関係ない。だってかっこいいんだもの。

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子どもたちにとっての作文はマス目が埋まれば終わり

 文章のはじまりには、書き手の「読んでほしい」という思いがあります。だからこそ書き手は、文章に工夫を凝らします。どう書けば興味をもってもらえるだろう。どう書けば最後まで読んでもらえるだろう。その試行錯誤こそが文章作成の醍醐味です。

 しかし、学校教育の中で行われる文章作成には、それがまったくと言っていいほどありません。子どもたちにとっては、読み手がどう感じるかなんて知ったこっちゃありません。いかにマス目を埋めるかの戦いなのです。 

 そんな文章作成になんの価値もありません。本当にただの作業です。子どもたちは「1学期にがんばりたいこと」を書きたいだなんてこれっぽっちも思っていません。「将来の夢」なんてもってのほかです。

 我慢してたくさん書いた子がえらい?そんな作文をいつまで続けるんだ?

 

 

 文章を書くことって本当はもっとおもしろいことなのに、その根っこを義務教育が潰してしまっているような気がします。そういう観点から考えると、他者意識を持たざるを得ないツイッターはいい訓練になりますよね(そんなツイッターでも他者意識をもてない人の投稿が話題になりましたが)。

 

 また、先生は忙しいというようなことを書きましたが、事実として今こうしてブログを書いています。がんばればその程度の余裕はつくれます。忙しいことに間違いはありませんが、結局は限られた時間をどうつかうかです。忙しさに文句を言っていても仕方がありません。明日もがんばろう。