おはようございます。ここ数日は法事だったので、クラスの子どもたちではなく、親戚一同とともに長い時間を過ごしました。子どものころに見ていた「親戚」と大人になってから見る「親戚」とでは、随分とちがうものだなと思いました。リアルな会話が聞こえてきたり、リアルな金額を目にしたり。それと同時に、これだけの人たちが「家族」として繋がっていることのすごさも、大人になるにつれて少しずつわかるようになってきました。生まれたときから当たり前のようにあるものでしたからね。「家族」ってすごいです。どうも、インクです。
ひとりひとりの子どものクラス内ポジションを創り出す仕事
ひとりひとりの子どものクラス内ポジションを創り出す仕事
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年1月22日
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「氵」だけをひたすら先に書いていた人。ずっと書いているうちに何を書いているのかがわからなくなってしまった人。最後に近づくにつれて形がぐちゃぐちゃになっていった人。いろいろな人がいたと思います。
そうです。漢字練習帳です。熟語を書いたり、用例を書いたり、読み方を書いたりするあの漢字練習帳です。きれいに書けばシールがもらえたりするあの漢字練習帳です。思い出しましたか。
正直に言えば、あの漢字練習にどこまでの効果があるのかはわかりません。「漢字を覚える」という目的を達成することを第一に考えると、もっとよい手段がありそうなものです。そもそも漢字を覚える必要があるのだろうか...なんてことを考え始めると日が暮れてしまうので、今日は置いておきましょう。
今日話したいことは、漢字練習帳の丸つけについてです。いいですか。「そもそも漢字練習が必要なのか」だとか、「もっといいやり方がある」だとかいう話をするのは禁止です。今日の話は丸つけです。丸つけ祭です。レッツ丸つけ。
なんてことを言いながら、丸つけに対する大層な考えをもっているわけではありません。効果的な丸つけテクニックをご紹介するわけでもありません。丸つけ祭終了です。
先ほどシールがもらえたりすると書きましたが、うちのクラスではもらえません。そのかわりと言ってはなんですが、段階をつけて丸つけをしています。はじめはぐるぐるだけ。次に花びら。そして、くきが生えて、子葉がついて、植木鉢がついて...という具合です。きれいに書けば書くほどレベルが上がっていきます。
よくあるやり方だと思います。多少は手間ですが、これをするだけで子どもたちは一生懸命きれいに書こうとがんばります。いいですか。何度も言いますが、今日は「きれいに書くことにどこまでの価値があるのか」という議論を展開するつもりはありません。実を言うと、丸つけの話をするつもりもありません。今日の本題はここからです。このような丸つけを行なっているとどうなるのかというと、子どもたちがこんな会話をするようになります。
Aさんが植木鉢までいったらしいよ
すると、Aさんは「字がきれいな人」というポジションを獲得します。「字がきれいだから何なんだ」と思われがちですが、クラスの中を生き抜くためにこの「ポジション」は大きな役割を果たします。だから極端な話、なんだっていいのです。「絵が上手」でも、「足が速い」でも、「給食をよくおかわりする」でも。たったひとつ。たったひとつの「ポジション」があれば、それだけでクラスはその子にとって息がしやすい場所へと姿を変えます。逆にそのような「ポジション」がなければ、誰にも頼られず、どのグループにも所属できず、苦しい思いをし続けなければならなくなります。
自ら「ポジション」を獲得できる子どもたちばかりならそれでいいのですが、決してそういうわけにもいきません。だから、先生がいるのです。クラスという集団における先生の役割は、ひとりひとりの子どものクラス内ポジションを創り出すことだと思っています。先ほどの例のように、丸つけのやり方をひとつ変えるだけで、ひとつの「ポジション」が生まれます。そうじ中に「Bさんが掃除してくれたところはいつもきれい!」と言うだけで、授業中に「Cさんの話の聞き方がとてもいいからみんな見てごらん!」と言うだけで、それぞれの子どもたちは「ポジション」を獲得していきます。
よくこのブログでも書いていますが、近頃は目的思考が流行り「あれはいらない」「これもいらない」ととやかく言われるようになりました。しかし、そんな一見いらないと思われるような場所に「ポジション」をとっている子どもたちもいるということを忘れてはなりません。変化すること自体を否定するつもりはありませんが、変えるなら変えるで、また別の「ポジション」を創り出してやる必要があるということを常に頭にいれておかなければならないのです。
また、下の記事にも書いた通り、先生のクラスへのこだわりが裏目に出て、子どもたちを苦しめることも往々にしてありえます。先生は精一杯「ポジション」を創ってあげられたらいいと思いますが、必ずしもクラスの中に「ポジション」がなければならないわけではありません。学校の外に「ポジション」を置いたってかまいません。それを教えてあげるのもまた先生の役割なのかもしれませんね。
「ポジションを創り出してあげる」だなんて偉そうなことを書きましたが、正確に言えば「ポジションを獲れる環境を用意する」ということです。本当の意味で「ポジション」を獲得するのは子どもたち自身であって、大人が与えるものではありません。
大人になれば誰も与えてはくれませんからね。自分の力で獲得する力を身につけなければなりません。と書きながら、本当はきっと大人だって、誰かがつくってくれた環境の中で「ポジション」を獲得しているにすぎないのだろうなと思いました。自分の力で成し遂げたと思い込んでいることのほとんどは誰かのおかげであったりするわけです。感謝の心を忘れてはならないというのはこういうことですね。いつもありがとうございます。