ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】グループで話し合いをすれば得られるものがあるはずだという考えはあまりにも乱暴

 

 おはようございます。人はある程度の歳を重ねると、後世に何かを残したくなるのかもしれません。はたまた、若手を育てようと動いてみたり、自分がもっているものを与えようとしてみたり。のこされた時間を想像することで「伝える」という行為がより切実なものになるのでしょう。晩年の外山滋比古さんの著書を読むたびに、そんなことを思っていました。

 言語表現は一つ一つ断絶している単位のつながりから成り立っていて、その単位と単位の間には、大小さまざまの空白、言語空間が介在している。このことは、ヨーロッパの言語のように、分かち書きをしている言葉は一見してはっきりしているけれども、日本語などでは、どちらかと言えば、意識されにくい。しかし、分かち書きをする、しないにかかわらず、表現は、単位と単位が、言語空間によって結合され、より大きな単位をつくり、その単位同士がやはり言語空間の仲介によって、さらに大きな単位に結合される、というように組み立てられている点に変わりがない。

(『外山滋比古著作集1修辞的残像』みすず書房)

 もとをたどれば、文章は文字の羅列であり、文字は線の集合体です。それらの線の集まりから、読者であるわたしたちが勝手に「意味」を読みとります。当たり前のように文章を読んでいますが、実は読者ってとんでもなくすごいことをしているんですよね。

 外山さんと言えば、このような「読者論」の第一人者でもありました。それにしても『修辞的残像』ってとてもいいタイトルですよね。外山さんののこした残像は、これからを生きるわたしたちにも大きな影響を与えつづけるのでしょう。ひとりの読者として、ご冥福をお祈りいたします。どうも、インクです。

 

グループで話し合いをすれば得られるものがあるはずだという考えはあまりにも乱暴

 数年前に「アクティブラーニング」ということばがバズったおかげで、教室では「話し合い」の場が多く設けられるようになりました。「話し合いをすればアクティブラーニングになるわけじゃないよ!」というような講習会が山ほど開催されていた気がします。

 こっちに行けばアクティブラーニング、あっちに行けばアクティブラーニング。しかし、そこで行われている講習会そのものは一方的な講義形式。おなじような話をなんども聞くために、あっちやこっちやと移動させられるあの時間こそが、もっともアクティブだったのかもしれません。

 まあ、そんな揶揄はさておき、今日は「うちのクラスにおける話し合い活動で気をつけていること」を簡単にまとめてみようと思います。べつに実践を紹介したいわけではなく、2学期がはじまる前に、自分の中で改めて整理しておこうというわけです。あらゆる教科で話し合い活動は行われるわけですが、今日は「学活」の時間を想定しながらお読みください。

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1.司会や書記の進め方に口出しをしない

 基本的に何年生であろうが、はじめの数ヶ月は担任主導で進めます。話し合いの流れを子どもたちに体感させ「こんなふうに進めればうまくいくんだ」と思ってもらうためです。

 そして、子どもたちの様子を見ながら適切なタイミングで、司会と書記を委ねます。このとき担任は、空いた子どもの席にすわり、ほかの子どもたちとおなじように話し合いに参加します。そして、どうしても困ったときだけ案内表示を出すわけです。

 さあ、いざ子どもたちが司会や書記を行うとなったときに、起こりえる問題としては「たくさんの人が同時にしゃべる」というものがあります。司会がつたないあまりに、書記が司会をしようと話し出してしまったり、座っている子どもたちが口々に「こうしたらいいんじゃないの!」と言いはじめてしまったり。これでは司会を立てている意味がなくなってしまいます。

 だから、これらの司会や書記は、必ず事前に決定し、当日までに打ち合わせを行います。「どんな順番でみんなに問いかけるか」とか「大まかな時間配分をどうするか」とか。担任もそこにまざって、いっしょに作戦を練っていきます。

 その上で、当日は全員の前でこんな話をします。「司会と書記をやってくれる人たちは、今日のために一生懸命準備をしてきています。もしかしたらうまくいかないこともあるかもしれないけれど、 進め方自体に口出しをするのはやめて、最後まで見守ってあげてね」と。

 こうすることで、それぞれの役割がはっきりするだけでなく、司会と書記を応援しようという雰囲気が生まれます。応援というよりも協力と言った方が適切なのかもしれません。みんなでこの話し合いを成立させようと、手と手を組むようになるのです。

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2.反対意見は「質問」か「提案」で行う

 話し合いがつまらなくなる大きな原因のひとつに「反対意見が悪用される」というものがあります。声の大きな子どもが、自分の好き嫌いで文句のような反対意見を言ってみたり。気が弱い子の発言にだけやたらと反対意見が集まったり。話し合いを深める上で、否定的な見方は必要なのですが、悪用されているようでは、深まるものも深まらないというわけです。

 だから、案出しの段階では一切の反対意見を禁止します。たとえば「お楽しみ会で何をするか」を決めているときに「漢字テストをする」という意見が出たとしても、書記はそのままひとつの意見として黒板に書き出します。このような意見が出ることで「こんなことを言ってもいいのかな」という余計な不安を取り除くことができるのです。

 そして、ひと通り出揃った後に、反対意見を募ります。しかし、反対意見を言うときの形は「質問」か「提案」の2択です。先ほどの「漢字テストをする」という意見に反対するのなら「わたしはお楽しみ会で漢字テストはやりたくないと思ったのですが、どうしてやろうと思ったのですか」か「漢字テストは普段からやっているので、せっかくのお楽しみ会は普段あまりできないことをしませんか」という形になります。

 ただ単純に「漢字テストはやめた方がいいと思います」と言ってしまうと、多数派 対 少数派の構図になりやすいのです。そうなると、案を出した子は弁解をする機会も与えられずに、諦めるしかなくなってしまいます。そうならないためにも「質問」か「提案」という形をとるのです。

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3.スピード感を大切にする

 充実した話し合いの条件のひとつに「ひとつの話が次へ次へと繋がっていく」というものがあります。ひとりだったら頭を抱えてしまうことでも、他者にことばを繋いでもらうことで、見えなかったものが見えてくるようになる。これこそが話し合いの醍醐味です。

 筆者のすきなことばに「下手の長考、休むに似たり」というものがあります。もともとは、囲碁や将棋で、相手をからかうときにつかわれていたことばで「下手なやつがいくら考えても仕方がないよ」という意味です。集団ともなればなおさらです。全員が口をつぐんでしまっては集まっている意味がありません。次へ次へと、どんどんとことばを繋いでいくのです。

 そのためにもスピード感はとても大切です。ダラダラとしてしまうと、せっかく繋がっていた糸も、プツンプツンと途切れてしまうことになります。べつに早口でしゃべれということではありません。ひとりが意見を言って、つぎの人が意見を言うまでの、この間が可能な限り短くなるように努めるのです。書記がギリギリ追いつくくらいのペースが理想的ですね。

 もちろん、こうなると書記の工夫も必要になってきます。言われた意見をそのまま書いているようでは到底追いつきませんからね。どの情報を拾って、どの情報を捨てるのか。大人にとっては簡単かもしれませんが、子どもにとってはとてもいい勉強になるのです。

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  ほかにも「決定した事柄がうまくいかない場面を想定させる」だとか「最後に話し合い自体の振り返りを行う」だとか、いろいろとポイントはあるのですが、なかなかのボリュームになってきたので、今日はこのあたりにしておこうと思います。

 学校の先生をされている読者みなさんは、ぜひ「うちのクラスの話し合いのこだわり」を教えてください。先生によってやり方がすこしずつ違うので、比べてみるとおもしろいかもしれません。もちろん、上記の内容に関するご意見でもかまいません。ただし、反対意見は「質問」か「提案」の形でお願いしますね。

taishiowawa.hatenablog.com

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【予告】

 ここ最近はZOOMをつかって、いろいろな方といっしょに企画をさせてもらっていますが、また新しい方とコラボをすることが決まりました。なかなかおもしおいことになりそうです。また近いうちにお知らせできるかと思いますのでお楽しみに。