ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】名前がつくと人は安心する

 

 おはようございます。先日、長い付き合いになる人に「笑うようになったね」と言われました。この人が言うということは、きっとそうなのでしょう。まあ、この人の前だからこそ笑っていられるという可能性も十分にありますけどね。

 むかしから笑うことは苦手です。みんなにあわせて笑うことがしんどくてたまらない時期もありました。おもしろくもないのに笑うには、とてもエネルギーをつかいます。そんな人間にとって「笑うようになったね」ということばはとても新鮮に響きました。あれだけ苦しめられた「笑い」とも、すこしは上手につきあえるようになってきたのかもしれません。どうも、インクです。

 

名前がつくと人は安心する

  病院って不安になりますよね。「病気でもなんでもなかったらどうしよう」といつも不安になります。病院に行く前は、まちがいなくしんどいです。明らかに体調がわるいです。歩くのですら大変です。だから病院に行きます。

 しかし、いざ到着して待合室で名前が呼ばれるのを待っていると、だんだんとなんともないような気がしてきます。なんなら、むしろ元気なのではないかとすら感じはじめます。わざわざほかの人に心配をかけてまでやって来たはいいものの、病気でもなんでもなかったらどうしよう。ソファに腰掛けながらだんだんと不安になっていきます。

 これでもし、お医者さんから「インフルエンザですね」だなんて言われようものなら、一気にホッとします。ああ、やっぱりインフルエンザだったんだ。だからしんどかったんだ。心配してくれていた人たちにも「インフルエンザでした」と報告しよう。ふう、これでひと安心。よかったよかった。

 一方で、もしお医者さんから「風邪ですね」だなんて言われたらどうでしょう。不安がさらに倍増します。え、ただの風邪? こんなにしんどいのに? 随分と心配してもらいながら出てきちゃったけど、大したことなかったじゃん。「風邪でした」と報告するのかあ。なんだか申し訳ないなあ。どうせならインフルエンザならよかったのに。

 これって不思議な現象ですよね。だって、どう考えても健康な方がいいもの。インフルエンザよりもただの風邪の方がいいし、ただの風邪よりも健康であるほうがいいに決まっています。それにも関わらず、上記のとおりに考えていくと「インフルエンザですね」と言われた方が安心するのです。この安心は一体どこから生まれてくるのでしょうか。

 

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1.理由にできる

 ひとつ目に考えられる安心ポイントは「理由にできる」です。「しんどかったのはインフルエンザだったからなんだ」と、自分を納得させることができます。実はインフルエンザだとわかったところで状態は何も変わってはいません。体調は悪いままですし、熱は38.6度のままです。ただ「インフルエンザ」という名前がついただけです。たったそれだけで、人は安心することができるのです。

 この傾向がもっとも顕著に表れるのが、精神に関する病です。まだまだ社会的に認められる部分が少なく、かつ目に見えて症状がわかりにくいため、ひとりで抱えてしまいがちな病です。このブログでは度々述べていますが、人は自分を責めるしかない状況に追い込まれるとかなり危険です。そんな状況に陥りやすいのが精神に関する病なのです。

 これが仮に「うつ病ですね」とお医者さんから言われたとしましょう。すると「しんどかったのはうつ病だったからなんだ」と、自分を納得させることができるようになります。言わば、「うつ病」のせいにできるようになるのです。もちろんそう簡単な話ではありませんが、「自分が悪いんだ」と責め続けるのと、「うつ病が悪いんだ」と名のついた病のせいにできるのとでは訳が違います。何かのせいにできるというのは、ひとつの安心材料になるのです。

 

2.説明できる

 ふたつ目に考えられる安心ポイントは「他者に説明することができるようになる」です。名前がつけば、他者に説明することができるようになります。「風邪でした」と言うよりも「インフルエンザでした」と言った方が、そのときのしんどさを理解してもらいやすくなるのです。

 「うつ病」なんてまさにです。「しんどいです」「つらいです」だけを訴えていても、なかなか他者には理解してもらうことができません。だからこそ自分をより責めてしまうことになり、わるい方へわるい方へと進んでいってしまいます。これがもし「うつ病でした」と言うことができたら、多少なりとも理解してもらうことができるようになります。

 先ほども述べたように、社会の理解にはまだまだ及ばぬところがありますが、名前をもたないまま説明するのとではわけが違います。名前がつくことによって、病休などの制度が利用できるようになることもあるでしょう。名前がついたところで状態はなにも変わらないのかもしれませんが、状況は大きく変化するのです。

 

3.孤独から解放される

 みっつ目に考えられる安心ポイントは「孤独から解放される」です。名前がついているということは、言い換えれば前例があるということです。自分ひとりだけが抱えている問題ではなくなります。前例があるということは、対策があるということです。それが薬なのか、生活習慣の改善なのか何なのかは、もちろん病の種類によって違います。何よりも「対策がある」という事実が大切なのです。

 もし、名前がなければ、対策を調べることもできません。他に自分と同じ症状で悩んでいる人がいるのかどうかもわかりません。名前とは分類です。同じものをひとくくりにまとめるのが「名前」です。名前をもつことさえできたら、その瞬間に人は孤独から解放され、次に進むべき道に明かりが灯されることになるのです。

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 だから、人は生まれたら真っ先に「名前」を与えられます。名前によって人間社会の一員になります。他者に存在を認識してもらうために、名前をつかって自己紹介をします。学校では「名前を呼ばれたら返事をしなさい」と教えられ、大人になったら名前が書かれた四角い紙を持ち歩きます。名前と人間生活は切っても切り離せない関係なのです。

 言わば、名づけは人間の得意技だと言うこともできます。名前をつけて目の前のものを分類し、理解していきます。何度も言うように、名前がついたところでそのもの自体が変化するわけではありません。人間が勝手に名前を付随させているにすぎません。人がただ、整理するために名前シールをペタペタと貼っているだけなのです。

 だから時に失敗します。名前をつけたことで、変に理解したつもりになってしまうこともあります。いじめや差別の原因も大抵は名前です。あいつは「黒人」だ。あいつは「ユダヤ人」だ。あいつは「障害者」だ。あいつは「陰キャラ」だ。ほらね、ぜんぶ名前でしょ。

 今や当たり前のように、生活の中に溢れていますが、実は「名前」ってとんでもないパワーをもっているんですよ。