ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

誰かを評価できるほどできた人間じゃねえ

 

いまからぼくのはっぴょうをはじめます。いんくです。

 

ルールは守るか変えるかのどちらかだぜ

  世の中のルールは大きく二種類に分けることができます。「すでに存在しているルール」と「自分たちで決めるルール」です。数としては圧倒的に前者のルールの方がたくさんあります。そして、それらの「ルール」は頻繁に破られます。「ルールは破るためにある」という言い回しが存在するくらいです。

 しかし、どれだけ出来の悪いルールだとしても破るべきではないと思っています。たとえば、小学校には「シャープペンを持ってきてはいけない」というルールがあります。「別にいいじゃないか」と思う人もたくさんいると思います。

 もし、誰かがこのルールを破りシャーペンをこっそり学校に持ってきたらどうなるでしょう。まず、まわりの子たちは「なんであの子だけもってきてるの?」と思うでしょう。正義感の強い委員長は「うわ、持ってきたらダメなのに!先生に言おう!」と思うでしょう。噂を聞いた先生は、「どうして持ってきているの!」と叱ることになるでしょう。持ってきた子は納得のできないまま叱られることになるでしょう。

 もうお気づきかと思いますが、内容に対する賛否がどうであれ、そのルールが成立している限り、誰かがルールを破ると誰ひとりいい思いをすることがありません。きっと他のルールでも同じことが言えると思います。

 どうしても学校にシャーペンを持っていきたいのなら、「シャーペンを持ってきてもいい学校」をつくるしかありません。担任の先生を説得するもよし。校長先生にシャーペンの魅力をプレゼンするもよし。校長になって自分で校則をつくるのもよし。そこまでする気がないのなら、諦めてルールを守るべきです。

 よく陥るのが、「なんでシャーペン持ってきたらダメなんですか!別にいいじゃないですか!」と文句を垂れ流すパターンです。世の中で起こっているデモは、ほとんどこのパターンなのではないでしょうか。先生の立場からしたら、ただのめんどくさいクソガキです。余計にシャーペンを持って来させる気にはなれません。

 本気でルールを変えるのであれば、文句ではなく提案です。プレゼンしましょう。そして、繰り返しにはなりますが、それを面倒だと思うくらいなら大人しく守りましょう。ルールは守るか破るかではありません。守るか変えるかの二択です。

 

 

誰かを評価できるほどできた人間じゃねえ

  6月〜7月にかけては、教師の仕事の繁盛期です。1学期の通知表をつくらなければなりません。ほとんどの人は通知表をもらったことしかないと思いますが、作る側からしたらたまったもんじゃありません。考えてもみてください30〜40人分のデータを打ち込み、ひとりずつ違った所見を書かなければなりません。さらに、それらの仕事はオプションでしかなく、その分通常業務が減るわけではありません。

 しかも評価をつける作業って非常に頭をつかいます。どこまで記録と照らし合わせながら考えても「本当にこの評価でいいのかな」という思いからは抜け出せません。さらに進むと「誰かを評価できるほど自分はできているのか?」と思い始めます。

 先日の記事にも書きましたが、最近のトレンドは「もらって嬉しい通知表」だそうです。先生たちはこれを目指して、必死に褒め言葉を絞り出し、それを保護者に悟られないように頑張ります。

 無理です。悟られます。絞り出した褒め言葉なんて半分嘘のようなもので、嬉しくもなんともありません。「もらって嬉しい通知表」を目指してできあがったものって、本当に「評価」と呼べるのでしょうか?

 

 

改善点を指摘するためにはその前に一度褒めなきゃいけないという風潮

 ものごとをズバッと言ってしまうと、「相手を傷つけるかもしれない」「嫌われてしまうかもしれない」という感情が働くのでしょう。何かを指摘するときに、「〇〇はとてもよかったのですが、△△は〜」と枕詞をつける人がとても多いです。

 もちろんその人が本当に言いたいことは、「ですが」のあとに続くことであり、「〇〇がよかった」ことなんでどうでもいいのです。この人ならではの思いやりなのでしょう。しかし、この手法はあまりにもつかわれすぎています。つかわれすぎて、もはや言われる側に「わざとらしさ」が見え透いてしまっています。

 きっと、ズバっと言っても大丈夫だという信頼関係が築かれていないからこのような言い方になるのでしょう。ズバっと言った後にも、切り替えができずにネチネチと言うキッズがたくさんいるからこのような言い方になるのでしょう。建設的な議論は筋の通ったいちゃもんから始まります。

 逃げるようでよろしくないですが、筋の通ったいちゃもんを言いやすい環境をつくるのは上の人たちの仕事ではないかと思います。さらに言えば、若手がそれを言えるチームこそ本当に伸びていくのだと思います。

 

 

これでぼくのはっぴょうをおわります。