ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】何ごともまずは調べにゃなりませんね

 

 おはようございます。最近 YouTube で流れてきた CM で、妙に印象に残っているものがあります。顧客関係管理を中心としたクラウドサービスを提供するアメリカの会社「 Salesforce 」の CMです。

 様々な人物が「〇〇よりも、△△を。」という形に当てはめて、メッセージを述べていくという構成になっています。まあ、百聞は一見に如かずですね。

 完全を求めるよりも、ワクワクする永遠の青さを。批判よりも、提案を。嘆きよりも、ユーモアを。常識よりも、非常識を。過去、よりも、未来を。意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。

 正しいことを言うよりも、正しい行いを。自分のためだけよりも、世界のためを。このままの世界よりも、これまで以上の世界を。人間次第で、この世界は、まだおもしろくなる。次の世界へ。

 実際にこの会社がどのような取り組みをしているのかはよく知りませんが、少なくともこの CM はとても素敵だなと思いました。BGM もいいですよね。

 「たしかに好きそう」と思った方は、このブログによく足を運んでくださっているのでしょう。引き続きよろしくお願いいたします。どうも、インクです。

 

何ごともまずは調べにゃなりませんね

 転職活動を進めるにあたって、いくつか反省しなければならないポイントがみつかりました。

 ひとつ目は、明らかな「リサーチ不足」です。その企業のことやその業界のことを、ロクに調べもしないまま、相手の時間をいただいてしまっていました。

 これまでは「面接」ではなく「面談」という形でお話しさせていただく機会が多かったので、ある意味「知ること」自体がその時間の目的でもありました。

 ただ、それでももっと調べなければならなかったなと思ったわけです。現職が忙しいだなんて、相手からすれば知ったこっちゃありませんからね。

 「もしかするとめちゃくちゃ失礼なことをしていたかもしれないな」と思って、急に申し訳なくなりました。ここからは、どの志願者よりも徹底的に調べた上でお話しできるようにしようと思います。

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 ふたつ目の反省ポイントは、自分が話をする中で、知らず知らずのうちに「学校批判」のような方向へと進んでしまっていたという点です。「学校のここが嫌だから転職をする」というような言い回しになってしまっていたのです。これではただの文句です。

 しかも、転職先に「学校とは違うよい環境」を期待してしまっていることになります。結局は「自分がそこでどうするのか」が大切であるはずなのに、環境に期待してしまっているというわけです。

 これに気がついたときには、つくづく自分が嫌になりました。たしかに学校には不満もたくさんあります。狭くて窮屈な場所だと思っています。

 ただ、そんな場所のおかげで、たくさんの人たちとの出会いがあり、日々の充実がありました。やはり学校という場所を好きなることはできませんが、学校の先生という仕事は今でも本当に大好きです。

 そんな仕事を無碍にするような言い方をしてしまっていたかもしれないなと思ったのです。今いる場所への感謝を忘れてブーブーと文句を言っているやつなんて、結局はどこに行っても同じですからね。

 「学校を離れようと思っている理由」と「学校への不満」は、しっかりと分けて考えなければならないなと思いました。今すぐに改めようと思います。

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 みっつ目の反省ポイントは、常にことばに迷いがあったという点です。きっとどこかに「好かれなきゃいけない」という思いがあったのだと思います。

 決して嘘をついたつもりはないのですが、話す中で自分のことばが遠ざかっていくような感覚がありました。それは「背伸びをしている」と言うのかもしれませんし「絞り出している」と言うのかもしれません。

 太鼓持ちが得意な人ならそれができるのかもしれませんが、あいにく筆者はめちゃくちゃ苦手です。相手に迎合してうまくいった試しがありません。

 だから、あくまでも自分がよいと思うものを見せていこうと思います。その上で「うちではない」と思われたのなら、それはそれで仕方がないでしょう。合わないところに入っても意味がありませんからね。

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 これらの反省点を踏まえて、これからはこれまで以上に本気で準備をしていこうと思います。取り繕う準備ではなく、より純度の高いお話をするための準備です。そのために集められる情報はすべて集めます。

 気づくのが遅すぎましたし「転職をナメている」と言われても仕方がないような反省ばかりなのかもしれませんが、それでも今は前に進むしかありません。

 なんだか本当にワクワクしています。なんと言えばよいのでしょう。自分の足で歩きはじめようとしているワクワク感とでも言いましょうか。 

 成功するにせよ失敗するにせよ、できる限りのことはすべてやってからにしたいなと思います。なんだか片想いをしているような気分です。途中経過は記事にしていこうと思いますので、引き続き見守っていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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【土】「アンテナを高く張りましょう」って便利なことばだな

 

 おはようございます。子どものころから水泳が苦手でした。毎年のようにもがき苦しみながら、何とか25メートルを泳ぎ切ることができるようにはなるのですが、翌年になるとまた泳げなくなってしまいます。

 言われたとおりに手足を動かし、息継ぎのために顔も上げているはずなんですけどね。なぜだか15メートルを越えたあたりから苦しくなっていくのです。

 べつに水泳そのものが嫌いだというわけではなかったのですが、やはり気分は乗りません。生命は進化を遂げて陸に上がってきたはずなのに、どうしてわざわざ水中に戻るんだとずっと思ってきました。

 そんなときにふと、ひとつのことに気がつきました。それは「息を吸うことを意識するがあまりに息を吐いていない」ということでした。水中でぶくぶくと息を吐くことができていなかったのです。

 これに気がついてから、苦しさが激減しました。それと同時に、頭をつかって体を動かすことの大切さを知りました。体育は「運動神経の良し悪し」がすべてではないということです。どうも、インクです。

 

「アンテナを高く張りましょう」って便利なことばだな

 学級経営において、この時期は「魔の11月」だなんて呼ばれ方をすることがあります。今年は縮小傾向にありましたが、例年なら運動会や音楽会などの大きな行事が終わったあとの時期にあたります。

 ひとことで言うなら、中だるみというやつですね。「大きな行事は終わったけれど、終業式までにはまだ時間がある」という微妙な時期だというわけです。

 そしてそんな時期だからこそ、職員室でよく耳にするようになることばがあります。それが今日の記事のタイトル「アンテナを高く張りましょう」です。

 「子どもたちの言動をよくよく見ておいてね」という意味です。とても便利なことばですよね。隠喩をつかっているせいか、それっぽくも聞こえます。

 いざ何かが起こったときには「アンテナを高く張っておきましょうって言ったでしょ!」と言うことができます。具体的なことは何も言っていないのに「言った」という事実をつくることができるのです。

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 若手が本当に知りたいのは「アンテナを張らなければならない」という事実ではなくて「どうやってアンテナを張るのか」ということです。「どうすればアンテナを張っているということになるのか」です。

 学校の先生って、ほかのクラスについてとやかく言うわりに、最後は「クラスのことをいちばんよく知っているのは担任だから」と放り投げるんですよね。

 担任を尊重しているように見えて、結局は責任を負いたくないのです。言いたいことは言いたいけれど、責任は負いたくないのです。ただし、悪く見られたくもありません。だからこそ、去り際には必ず「最後に決めるのはあなただけどね」と言うのです。

 そして、いざ何かがあったときには「差し伸べた手を掴まなかったあなたが悪い」と言うわけです。差し伸べている素振りだけを見せて、保険をかけるということです。人間らしいと言えば人間らしいですね。

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 ここからは、筆者自身が「アンテナを張る」ときに注意しているポイントについてお話ししようと思います。ベテランの先生方には笑われてしまうかもしれませんが、まあ温かい目でお読みください。

 まず、アンテナを張る上で大切なのは「よろしくない状況」に気がつけるかどうかです。正確に言うなら「よろしくない状況の予兆」に気がつけるかどうかです。ここに気がつくことができれば「よろしくない状況」を未然に防止することができます。

 たとえば、椅子がひっくり返ったり、ものが落ちて大きな音が鳴るような状況は、あまりよろしくありません。本当によろしくないときは、立て続けにこれが起こります。机の上から鉛筆が落ちてカランと鳴るだけでも、意識するようにしています。

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 ほかにも「休み時間ではないときにケンカが起こる」というのも、わりとよろしくありません。叩いたとか叩かれたとか、言ったとか言われたとか。

 休み時間にケンカする分にはよいのです。ドッジボールのルールを守らなくてどうのとか、遊びがヒートアップしすぎてどうのとか。そういうことは、むしろケンカをしながら学んでいけばよいでしょう。

 休み時間以外にケンカが起こるということは、いまやるべきことができていないということです。荷物を持って廊下に並ぶだけで、給食を配膳するだけで、教室を掃除するだけで、ケンカが起こるはずがありません。むしろケンカする方が難しいくらいです。

 そんなタイミングで違うことをしてしまうからこそケンカが起こってしまいます。前に並んでいる人の背中をツンツンと小突いてみたり、通らなくてもいい道をわざわざ通って給食を配膳してみたり、ほうきをクルクルと回して遊んでみたり。

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 そんなときについつい先生がやってしまいがちなことが「違うことをしていた子どもだけを指導する」ということです。特定の子どもだけを叱るのです。

 これがつづくとどうなるのかというと「その子だけがわるいんだ」という空気感が生まれるようになります。その子が余計なことをしてしまったのはたまたまです。たまたまその子だっただけで、本当の原因は「余計なことをしてもよい」という空気感を発している集団そのものにあると思っています。

 極端な例ですが、もの音ひとつしない状況下で突然誰かの悪口を言いはじめる子どもなんていません。どこか別の場所でしゃべり声が聞こえるからこそ「自分も喋っていいんだ」と思ってしまうのです。

 だから本当にたまたまです。たまたま集団の端っこにいたから、トラブルを起こしてしまったただけです。本当はそのうしろに続いているマジョリティにこそ、原因があるのです。

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 学級経営の肝は中間層です。「アンテナを張る」というのは「トラブルを起こしそうな子どもを注意して見る」ことではなく「中間層に働きかける」ということです。トラブルの間接的な原因を生み出すマジョリティの動きをよくよく見ておくのです。

 ここを整備する上で、もっとも手っ取り早いのは環境改善です。簡単に言えば、そうじと整理整頓です。クラスによろしくない空気感があるときには、徹底的に環境を整えます。筆者自身も子どもたちが来る前に、毎朝そうじをしていたことがありました。

 一見、なんの関係もないように思えるのですが、環境が整っているだけで、集団の空気感は大きく変化します。このような「間接的に繋がっているもの」がどこまで見えているのかということが非常に重要になってきます。その上で、その「間接的に繋がっているもの」にどこまでアプローチできるかです。

 机の配置だったり、掲示物の画鋲だったり。授業の開始時間だったり、やることが終わったときの待ち方だったり。間接的なところから手を加えていくことができたら、クラスはもっとおもしろくなるのだろうなと思います。

 

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【金】はじめから言いたいことがあるのにいちど相手に質問するって卑怯だよね

 

 おはようございます。小学校の先生という仕事をはじめて、いまの学校が3つめの勤務校になります。過去に2回異動しました。異動してみてわかったことは「学校によって全然ちがう」ということでした。

 学校のルールや職員室の雰囲気、発言権のバランスや初任者の扱われ方など、まったくもってちがうのです。まさにガラパゴス化された状態です。

 自治体が開催している研修会などで、異動していった先生と久しぶり会うようなことがあるのですが、これまでには見たことのないような笑顔で新しい学校の同僚と話しているなんてことがザラにあります。

 前任校よりも今の学校の方が肌に合ったのでしょう。もちろん、その逆も充分にあり得るんですけどね。それくらいにちがいがあるということです。

 だからこそ、いまの学校がしんどいと思っている人は、とにかく異動してみてください。そこにはちがう世界があります。少なくともおなじ場所に長く居つづけるべきではないでしょう。どうも、インクです。

 

はじめから言いたいことがあるのにいちど相手に質問するって卑怯だよね

 今日の記事はただの悪口です。「こんな人は苦手だ」という話です。「朝からてめえの悪口なんて聞きたくねえよ」という方は、もうグッバイです。

 筆者が苦手としているのは、タイトルにもあるとおり「はじめから言いたいことがあるのにいちど相手に質問する人」です。どういうことだかわかりますか。

 はじめから言うことは決まっているのに、あえて1回相手の意見を聞き、その意見を否定するところから自分の意見をスタートさせるわけです。

 自分が言いたいことを言うための材料として相手の意見を聞くので、その質問に対してどう答えたところで意味がありません。否定することが前提ですからね。言うことははじめから決まっているのです。

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 学校の先生にもよくいます。若手のクラスで何か気になることがあったときに「最近、クラスはどんな感じ?」と聞くのです。なんだ「どんな感じ?」って。

 「最近、あの子の言動が気になるんですよね」とでも答えようものなら「たしかにその子も気になるけど、給食のときのあれってさ」と話がはじまります。最初から給食について言いたいことがあったのです。

 

 じゃあ、聞くなよ!!

 

 と、思うわけです。思いませんか。思いますよね。「じゃあ、聞くなよ!!」と思いますよね。

 はじめから給食について言いたいことがあるのなら「給食の時間のことなんだけどさ」でいいではありませんか。なんだ「どんな感じ?」って。

 こういう先生は、子どもたちに対してもおなじことをしますからね。「あなたたちはどう思うの?」と聞いておきながら、結局ははじめから自分が言いたかったことをべらべらと喋りはじめるのです。

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 おそらくは「相手の考えも聞かなくちゃ」という思いがあるのでしょう。だから質問するのでしょう。そういう意味では、気を遣っているつもりなのかもしれません。しかし、それは「聞く」に含まれません。

 相槌がなければ前に進まない話とおなじです。自分が話すために、相手を無碍にしているのです。

 本当に自分が言いたいことを言って、相手の意見も聞きたいと思っているのなら、順番が逆でしょう。「自分はこう思うのだけれど、どう思う?」でしょう。あくまでも「聞く気があるのなら」ですけどね。

 はじめから聞くつもりがないのなら、そもそも質問すること自体が失礼な話です。もちろん、わざわざ質問しなくても、相手が言い返してくるということもあるでしょう。それはそれでかまいません。

 いま言っているのは「聞く気がないのなら質問するな」という話です。相手の答えがなんであれ、そのあとに言うことが決まっているというのなら、質問なんてはじめからしてはいけないのです。

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 いかがでしょう。今日は「怒り」をテーマに書いてみました。「怒り」っておもしろいですよね。ほかの感情と比べても大きなエネルギーをもっています。

 今日とり上げたような「はじめから言いたいことがあるのにいちど相手に質問する人」をどうにかしたいとは、これっぽっちも思っていません。

 「そういう人なんだ」以外のなんでもありませんからね。仮に、その質問のベクトルが自分に向くようなことがあれば「出た出た」と思うだけです。

 その上で、自分が誰かにおなじことをしないように心に固く誓います。そういう意味でも、怒りの元となる違和感は大切です。相手を変えることに努めるのではなく、自分がそうならないように努めるのです。

 否定して、否定して、残ったところに「自分」がいます。矛先さえ間違えなければ「怒り」という感情は、とても大きな価値を生み出すのです。

 

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【木】揺れ動かなきゃ対話じゃない

 

 おはようございます。YouTube の人気コンテンツに「ストリートピアノ」というジャンルがあります。「どなたでもご自由に演奏してください」と書かれて、まちに置かれているピアノをつかって、観客を集めるという動画です。都庁のピアノが有名ですね。

 YouTuber が収録をしている場面はまだ見たことがないのですが、うちのまちにもストリートピアノが設置されています。通勤の際に必ず横を通りすぎるのですが、意外と演奏中に出くわすことが多いです。

 昨日は「ルパン三世のテーマ」で、一昨日は「スパークル」でした。さすがはまちなかで堂々と弾いているだけあって、みんなそこそこ上手です。

 YouTube の動画のように観客が集まることはないけれど、まちの心地よいBGMとしては充分に機能しています。筆者もまたこんど何か弾いてみようかな。

 と言えば、まるでピアノが弾ける人のように見えるでしょう。インターネットの情報にはくれぐれも気をつけなければなりません。どうも、インクです。

 

揺れ動かなきゃ対話じゃない

 誰のことばだったか、いちばん肝心な情報を忘れてしまったのですが、とある役者さんが「週に1回自分を殺せと教えられてきた」とおっしゃっていました。

 自分で自分を殺して、殺したらまた生まれて。これをひたすらにくり返せということです。役者さんにはぴったりのことばだと言えるのではないでしょうか。

 役が変わるたびに、ちがう人の人生に接続されるわけです。言ってしまえば、自分の中に他者が入ってくるのです。そこには間違いなく対話があります。

 「本来の自分」と「自分が演じる人物」との対話です。その先に芝居が成立します。セルフ・スクラップ&ビルドとでも言いましょうか。「自分が演じる人物」に「本来の自分」が揺さぶられるのです。

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 この「揺さぶられる」という経験が非常に大切だと思っています。ときどき揺らしてやらなければ、沈殿物が底にたまり、凝り固まってしまうのです。

 そうならないためにも、やはり「他者」の存在が必要不可欠です。ひとりで揺れ動くことはできません。

 先ほどの役者さんの例も、現実的に見れば「ひとり」ですが、登場人物という「他者」の存在があるからこそ対話が成立し、揺れ動くことができています。

 だから筆者も、小学校の先生として授業をするときには「いかに子どもたちを揺さぶるか」ということを第一に考えています。揺さぶられたときに、はじめて子どもたちは頭をつかって考えはじめるのです。

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 本当に最先端を走っているような人たちは、そのことをよくわかっているので、自ら揺さぶられにいきます。「受動的揺さぶられ」ではなく「能動的揺さぶられ」です。「自分が揺さぶられる」とわかっている場所に自ら身を置くようにしているのです。

 そうなるまでには、ステップがふたつあります。ひとつ目は、そもそも「揺さぶられる」という経験に価値を見出せるかどうかです。「揺さぶられる」ということは「否定される」や「不安定になる」とニアリーイコールですからね。いま抱えているものを手放す覚悟がなければ、楽しむことすらできないのです。

 そしてその上で、揺さぶってくれる「他者」と出会えているかどうかが大切になります。これがふたつ目のステップです。「ここに行けば揺さぶってくれる」という場所をもっているかどうかです。

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 このふたつの条件が整ったときに、はじめて「能動的揺さぶられ」が成立します。明確な「他者」がいないので紛らわしいかもしれませんが、個人的には「マラソン」とよく似ていると思っています。

 自ら揺さぶられにいくわけですから、側から見ればおかしな人です。しんどいだけじゃないの? ドMなんじゃないの? と言われるわけです。しかし、走っている人たちは、そこに価値を見出しています。

 ここに大きな差があります。「あえて向かい風が吹いている道を選べ」だなんてクサいことばをよく耳にしますが、要はこういうことなのだと思います。

 他者との対話を通して、能動的に揺さぶられ、スクラップ&ビルドをくり返しながら、力をつけていくわけです。なんだか、どこかで聞いたことがあるような気がしますね。たしか、主体的・対話的で深い ...

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【水】身近な人よりもちょっと離れている人の方が相談しやすいんだろうな

 

 おはようございます。何かをする上でもっとも邪魔になるものは睡魔だと思っています。どれだけ才能があったとしても、どれだけ技術があったとしても、眠気の中で100% の力を発揮することはできません。

 それをもっとも強く感じたのは受験生のころでした。眠たい中で勉強をしても、まったく定着しないわけです。ノートに謎の黒い線が増えるだけです。

 だから、ちゃんと寝るようにしています。ここ最近は、23時に寝て5時に起きるという生活です。できるだけこのリズムを損なわないように努めています。

 かつては、睡眠時間を削ってでも頑張ろうと思っていたこともありましたが、やっぱりそれではダメなのです。人間は眠らなければなりません。

 寝不足という理由でまわりの人に迷惑をかけることだけは避けるべきです。ちゃんと寝て、ちゃんと起きて、限られた時間の中で頑張るしかないのです。早寝、早起き、朝ブログ。どうも、インクです。

 

身近な人よりもちょっと離れている人の方が相談しやすいんだろうな

 先日、写真家である幡野広志さんのお話を聞きに行ってきました。幡野さんといえば cakes での連載「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」が有名ですね。簡単なプロフィールについては、そのまま cakes のスクリーンショットを貼っておきます。

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 このプロフィールにあるように、幡野さんはいろいろな方から人生相談を受けています。いまは4000件ほどたまっているとおっしゃっていました。そんな相談への回答が、正直で痛快でおもしろいのです。

 ちょうどこのタイミングで、そんな相談への回答をまとめた新刊『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』が発売されているので、気になった方はぜひ書店で手にとってみてください。

 はじめの話に戻ります。そんな幡野さんのお話を聞きに行って、サイン本を直接いただいてきたわけなのですが、その受け渡しのタイミングでひとつだけ質問をさせていただきました。「幡野さんが誰かに相談をすることはあるんですか?」という質問です。

 すると、考える間もなく「しません!」という答えが返ってきました。「過去に相談をしたことはあったけれど、あまりいいことがなかったからしなくなりました」とのことでした。その回答が筆者の予想とドンピシャで、思わず笑ってしまいました。

 べつに後出しジャンケンをしているわけでも、マウントをとろうとしているわけでもありません。もはや確認するつもりで、質問させていただきました。

 前作の『なんで僕に聞くんだろう。』を読んだときから「この人が誰かに相談することはないんだろうな」と思っていました。言い換えるなら「この人が納得のできる回答を出してくれる人なんて、なかなかいないのだろうな」と思ったのです。

なんで僕に聞くんだろう。 (幻冬舎単行本)

なんで僕に聞くんだろう。 (幻冬舎単行本)

  • 作者:幡野広志
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: Kindle版
 

 これはただの憶測でしかないのですが、おそらく幡野さんは「相談に対するつまらない回答」にものすごく敏感な方なのでしょう。「ただ甘やかすだけの回答をしても仕方がない」とか「こんな回答をしても、相手は『相談してよかった』と思えない」とか。

 そんな幡野さんのハードルを超えられる回答者なんて、そうそういたものではありません。だから、おそらく誰かに相談することはないのだろうなと思っていたのです。相談への回答って、相手がすでに通ってきた道から外れることにおもしろみがありますからね。

 大抵、悩んでいる人というのは同じところをぐるぐると回っています。思いつく限りのあらゆる可能性を頭の中で試して、それでも出口がみつからないから困っています。もうこの時点で、誰の言うことでも予想できるくらいには考え尽くしているのです。

 そんな状態で誰かに相談をするということは、その相手に「外へ連れ出してくれる可能性」を見出しているということです。この人ならば、何か新しいものを見せてくれるかもしれないという期待です。

 そういう意味でも、幡野さんはこれまでの回答で、信用と実績を積んでいらっしゃるのでしょう。「この人になら言ってみよう」と思える何かがあるのです。

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 もうひとつ、幡野さんという人物に相談が集まる理由として「距離感がある」という特徴が挙げられます。多くの人にとって幡野さんは「今後も長く付き合っていく親密な間柄にある人」ではありません。

 少し離れたところにいる人だからこそ、真剣な悩みを、気軽にすることができるというわけです。これが仮に、毎日顔を合わせるような関係だったとしたら、話は大きく変わってくることでしょう。

 変に打ち明けてしまったことで、今後の関係にノイズが入ってしまうかもしれません。変にアドバイスでもされようものなら、実行せざるを得なくなってしまうかもしれませんし、その後どうなったかまでを話さなくてはならなくなるかもしれません。

 身近な人に相談をしてしまうと、いろいろと厄介なものがひっついてきてしまいます。だから、幡野さんなのです。自分の話は聞いてほしいけれど、余計なものはいらないのです。自分の気持ちはわかってほしいけれど「わかるよ」と言われたら「わかってたまるか」と思ってしまうのです。適当なことを言われたら「そんなことはとっくの昔に考えたよ」と突っぱねてしまうのです。だから、幡野さんなのです。

 たまたまですが「なんで僕に聞くんだろう。」という問いに対するいち読者の答えのような形なってしまいました。改めて今回は、おそらく n 回目であったであろう質問に丁寧に答えてくださりありがとうございました。新刊はこれから時間をかけてゆっくりと読み進めていこうと思います。他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。だからこそ。

 

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