ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】きみの辛さを平凡にしたがる。人の無自覚がだれかの辛さになる。

 

 おはようございます。むかし、ピースの又吉さんが「暗いと人に迷惑をかけるから多少なりとも明るく振る舞うようになった」とおっしゃっていたことを思い出しました。そのことばをはじめて聞いたときはいまいちピンときていなかったのですが、最近になって「本当にそのとおりだな」と思うようになりました。

 これまでは「明るく振る舞う」ということを「無理をする」ということだと思っていたのですが、どうやらちがうみたいです。「明るく振る舞う」というのは「自分が考えていることをできるだけ素直に表現する」ということらしいのです。

 黙っていると「この人はこんなふうに思っているんだろうな」と勝手に想像されてしまいます。相手の脳内で行われることなので、答え合わせをすることもできません。それではあまりにも釈なので、ある程度は自己開示しながら明るく振舞って行く必要があるというわけです。勝手に想像されて、勝手に決められたくはありませんからね。どうも、インクです。

 

きみの辛さを平凡にしたがる。人の無自覚がだれかの辛さになる。

 きみの辛さを平凡にしたがる。人の無自覚がだれかの辛さになる。実はこれ、amazarashi というバンドの『とどめを刺して』という曲の一節です。amazarashi は昔から好きでよく聴いていたのですが、今回はやけにこの一節が耳にのこりました。

 ときどきありますよね。なんども聴いた曲なのに、なぜか一節だけがやけに耳にのこること。突然「そういうことか」と腑に落ちるタイミングがやってくるのです。今回はたまたまこの曲のこの一節が耳にのこったので、すこしだけお話したいと思います。

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 どこかで誰かが「辛い」とか「しんどい」とか、弱音を吐いたとしましょう。それに対してまわりの人たちがどんな反応を示すのかというと「自分も辛い」とか「みんなしんどい」とか、きみの辛さを平凡にしたがるようなことを言いはじめるわけです。

 学校でもよく見かけます。むしろ、学校という場所でつくり上げられている考え方なのかもしれません。辛いのはみんないっしょ。しんどいのもみんないっしょ。隣の人はがんばっている。だからあなたにもできるはず。あなたもおなじようにがんばりなさい。

 この考え方はとてもおそろしいなと思います。一般的に「苦手なこと」といえば「泳ぐこと」とか「歌うこと」とか、特定の動作をさすことが多いのですが、本当は「苦手なこと」なんてもっと身近な日常生活の中にまぎれ込んでいるのです。

 「誰かの質問に対して答えることが苦手」とか「目を合わせて話すことが苦手」とか。「まぶしい日差しが苦手」とか「雨に濡れることが苦手」とか。ほかの人にとっては何でもないようなことが、自分にはとても難しい。これこそが「苦手」なのです。

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 そんな個人の「苦手」に対して「みんなもおなじ」と言ってしまうのは、あまりにも暴力的です。そんな無自覚な暴力がだれかの辛さになるわけです。

 みんなとおなじようにできないからこそ苦しんでいるのです。みんなとおなじようにできないからこそ「苦手」なのです。学校こそ真っ先にそのことを理解しなければなりません。

 それにも関わらず、学校が先頭を切って個人の辛さを平凡にしようとしています。もしくは「克服すべきもの」として取り扱おうとしています。

 たしかに克服することができる「苦手」もありますし、そこから生まれる達成感のようなものもあるでしょう。できなかったことができるようになれば、そりゃあ嬉しいに決まっています。

 しかし、本当に人を苦しめる「苦手」というものは「克服するべきもの」ではなく「上手に付き合っていくもの」なのです。そんな2種類の「苦手」をごちゃ混ぜにして考えてしまうから、そこから生まれる「辛さ」が膨れ上がっていくのです。

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 「苦手」を抱えた人が努めなければならないのは、今すぐに克服することではありません。「それが苦手であるとまわりの人に認知してもらう」ということです。そのためには、何かしらの手段をつかって表現しなければなりません。

 表現の仕方次第では、その「苦手」が自分の武器へと変身します。ただ卑下するだけではいけません。自虐ネタとしてつかうだけでもいけません。「苦手」を苦手として活用するのではなく、自分の一部として利用していくのです。

 「人にできることが自分にはできない」ってかなり大きな武器ですからね。「人にできないことが自分にはできる」と同じくらいの価値があります。だから、結局はつかい方次第です。

 当人が克服を急がずにそれを表現し、まわりの人がその「苦手」を理解しようと努めれば、きっとすてきな関係性ができあがるのではないでしょうか。

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【お知らせ】

 毎週水曜日の定例会「こきけんよう」のお知らせです。20:15〜20:55の40分1本勝負です。第一回を終えて、やっぱり週の真ん中に予定があると目印になっていいなと思いました。「水曜どうでしょう」とか「水曜日のダウンタウン」とかも、きっとそういうことなのでしょう。興味をもっていただいた方は、ぜひ耳だけお貸しください。参加希望はツイッターのDMまで。こきけんよう。

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【金】「気をつける」とか「意識する」は対策として成立しない

 

 おはようございます。昨日、クラスの子どもが「チバシガサガ!」と言っていました。さすがラーメンズ。世代を超えても古びることを知りません。

 どこで知ったのかと尋ねると、やはり YouTube だそうです。かつての小学生がおもしろフラッシュ倉庫で観ていたあの動画が、今では YouTube を通して子どもたちに観られつづけているというわけです。

 これだけコンテンツがあふれる世の中でおなじところにたどり着くということは、チバシガサガによほどの魅力があるのでしょう。

 みなさんも久しぶりに口ずさんでみてはいかがでしょう。チバシガサガ。チバシガサガ。のこり1日がんばりましょう。どうも、ヒョギフ大統領です。

 

「気をつける」とか「意識する」は対策として成立しない

 ノートを忘れてしまったので、次は忘れないように気をつけます。問題を読み間違えてしまったので、次は間違えないように意識します。

 「気をつけます」とか「意識します」とか。子どもたちはよく言うのですが、こんな対策を立ててもほとんど意味はありません。もはや対策とすら呼べないのかもしれません。

 たしかに何かを実行する上で、そこに意識を集中させることはとても大切です。しかし、それはあくまでも前提です。

 意識しているつもりでも、できていなかったから失敗したのではありませんか。それを改善するための対策が「さらに意識する」だなんて、冗談もほどほどにしなければなりません。

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 これは、大人の世界でも往々にしておこります。何かを改善する上で「意識改革」は前提であり、結論ではないのです。どれだけ大きな声で「気をつけましょう!」「意識しましょう!」と言ったって、結局はまたおなじ過ちをくり返してしまいます。

 何かがうまくいかなくて、それを改善しようと本気で動くのであれば、具体的に何かを変えなければならなりません。人の意志に期待しても仕方がないというわけです。

 たとえば、ノートを忘れてしまったのなら2種類の対策が考えられます。ひとつは「忘れないようにするための対策」、もうひとつは「忘れても大丈夫なようにするための対策」です。

 「連絡帳に書いておく」という対策や「帰った瞬間にランドセルに入れる」という対策はひとつめに分類されます。

 ただし、これらの対策もまだ不十分だと言えるでしょう。なぜなら、その日も連絡帳を見て準備をしたのにノートを忘れてしまったわけですからね。おなじツールを用いることが最善だとは言いがたいでしょう。

 帰ったらすぐにランドセルに入れるという対策も、帰るまでに忘れてしまうというリスクを抱えています。友だちとおしゃべりしながら帰る途中ですっかり忘れてしまうことなんて、よくある話でしょう。

 そうなると、ここで考えなければならないのは「家に帰ってから確実に見る場所はどこなのか」ということです。筆者なら、今日の宿題をするときに絶対に開く漢字練習帳に「ノートをランドセルに入れる」と書きます。手に文字が書いてある人もまさにこのパターンですね。

 結局は想像力をはたらかせて、どこまでの見通しをもつことができるのかという話なのです。

 そしてもうひとつ。「忘れても大丈夫なようにする対策」を立てる。このような道を考えることもできます。もちろん代替がきかないものもたくさんあるので難しいところもありますが、白い紙を数枚もっておくだけでもノートの代わりにはなるでしょう。

 ものによっては予備を用意しておくことがもきるかもしれませんし、ほかのもので代用することもできるかもしれません。「いざというときのための準備」も立派な対策のひとつなのです。

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  先日クラスで「じゃんけん大会」と称し、前に立つリーダーとあいこになってしまったら負けというシンプルなゲームをしました。完全なる運ゲーです。

 それにも関わらず、やたらと連勝する子どもが出てきたのです。そうです。タイミングをすこしズラして後出しをしていたのです。担任である筆者は外から見ていたわけですが、怪しいどころか、完全に後出しをしていました。

 そのまま黙って見ていると、やっぱりだんだんと怪しまれるようになってきます。そしてついには「〇〇さんが後出ししてる!」という声が聞こえてきました。本人も、完全には否定することができずにもぞもぞしている状態です。

 そこで全員に「いま楽しい?」と聞いてみました。当然「楽しくない」という答えが返ってきたので「それでは原因をさぐってみよう」ということで話し合いがスタートしました。すると、やはり「ルールを破る人がいるとおもしろくなくなる」という意見が出てきます。まずはここを共通理解しなければなりません。

 その上で「このまま〇〇さんを責めたら解決すると思う?」と聞いてみました。意地悪な質問ですね。子どもたちは「解決しない」と答えます。そうです。今回はたまたま〇〇さんでしたが、誰がルールを破ってもおかしくはないのです。

 そうなると、あとは「破りづらいルール」に変えるしかありません。うまくいかないのなら、具体的に何かを変えるのです。

 そんな話し合いの結果「手のじゃんけんじゃなくて、体ぜんぶをつかったジャンボじゃんけんにしよう」という結論になりました。動きを大きくすれば、後出しもしづらくなるというわけです。なかなか素敵な結論ですね。

 くり返しになりますが、人の意志になんて期待してはいけません。易きに流されるものなのです。弱くて当然なのです。そこを責めても何もいいことがありません。そんな弱い人間でも、充分に楽しめるようにルールをつくっていくわけです。うまくいかなければ具体的な何かを変える。この1年で子どもたちに浸透すればいいなと思います。

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【お知らせ :いよいよ本日】

 らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)に、ゲストであるイスップさん(@bstogs)を加えて、みんなでおしゃべりをする会「らぱいんざWORLD」を開催します。現在、聞き手および、この4名への質問を募集しています。興味があってもなくてもぜひ遊びにきてください。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

 

 日程:2020年6月26日(金)21時から

 場所:ZOOM

 

◯ まだまだ聞き手募集 → 下のツイートにリプ or DM

  (現在18名からお聞きしています)

 

◯ まだまだ質問募集 → 下のツイートにリプ

  (現在件いただいています)

 

 

【木】深さを知ってから浅瀬に上がるのとはじめからずっと浅瀬にいるのとでは訳がちがうぞ

 

 おはようございます。担任が気軽にほかのクラスに入ることのできる学校はいい学校だなあと思います。全員で子どもたちを見ていこうという共通理解ができているのでしょう。

 しかし、これがなかなかうまくはいきません。なぜなら、先生という生き物はアドバイスをしたがるからです。要するに「子どもたちのがんばり」ではなく「担任の授業の進め方」に口を出してしまうのです。

 もちろん他者に授業を見てもらうということは大切なことなのですが、これがつづくと「うわ、また来た。何か言われる」という思考になっていくのです。

 これでは気軽な行き来なんてできません。特に若手の授業を覗きにいくときには気をつけた方がいいかもしれませんね。どうも、インクです。

 

深さを知ってから浅瀬に上がるのとはじめからずっと浅瀬にいるのとでは訳がちがうぞ

 ほかの先生と教材研究をしていると「子どもにそれは難しい」と言われることがあります。たしかに子どもたちには発達段階というものがあり、踏むべきステップが存在します。そのステップを無視して進めてしまうと、置いてけぼりになるこどもが出てきてしまうことでしょう。

 しかし、今はまだ教材研究の段階です。はじめから「子どもにできること」という枠の中で考えてしまうと、見えるはずのものも見えなくなってしまうのではないでしょうか。

 現場で働いている身なので、時間的な余裕がないことは充分にわかっています。でも、仮にそうだったとしても、はじめから発達段階を想定した教材研究をしてもおもしろくないなと思うわけです。

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 理想的なことを言えば、まずは難易度なんて気にせずに、その教材の可能性を徹底的に洗い出したいなと思います。

 その上で、該当学年の学習段階に合ったものを抽出していけばいいのです。ただし、よく言われる話ですが、あくまでも教材の授業をするのではなく、教材で授業をします。

 そう考えると、発達段階が前提にあるのではないかという話なのですが、その段階自体を捉えるためにも先につづく道を知っておかなければならないのです。

 3段目までを知った上で1段目を定めるのと、だいたいこのくらいだろうという想像だけで1段目を定めるのとでは、まったくわけが違うのです。  

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 今回は学校の先生らしく教材研究を例に話しましたが、これは何にでも当てはまる話です。「難しい」と言って切り離すのは簡単ですからね。切り離してしまえばそれ以上のことを考えなくて済みます。

 もしかすると本当に難しいものなんてこの世にはひとつもなくて、自分が勝手に難しくしてしまっているだけなのかもしれません。

 他者と「難しい」を共有することで安心し、大きな声で「難しい」と叫ぶことで言い訳にしているだけなのかもしれません。

 かっこよく言えば「限界を決めるのは自分だ」という話です。かっこよすぎてむしろかっこわるいですね。限界を決めるのは自分だ。このように考えていくと一理あるのかもしれません。 

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 自分で勝手に枠を定めて、その枠の中だけで思考する。まさに「井の中の蛙大海を知らず」です。いや「大海を恐れて自ら井の中に引きこもっている」と言った方が正しいかもしれません。

 さらに言えば「井」なんてものははじめからなくて、本当は常に「大海」にいるのかもしれません。「井の中にいるんだ」と一生懸命思い込むことで、なんとか自分を守っているというわけです。

 対象が大きくなればなるほど、人間には把握することができなくなります。自由になればなるほど、どうすればよいのかがわからなくなってしまいます。だからこそ、自らせまいところに入り込み、ついにはそこがせまいということすら忘れてしまうのです。

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【お知らせ :いよいよ明日】

 らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)に、ゲストであるイスップさん(@bstogs)を加えて、みんなでおしゃべりをする会「らぱいんざWORLD」を開催します。現在、聞き手および、この4名への質問を募集しています。興味があってもなくてもぜひ遊びにきてください。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

 

 日程:2020年6月26日(金)21時から

 場所:ZOOM

 

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  (現在14名からお聞きしています)

 

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【水】「してはいけません」ではなく「しないようにするためにはどうしたらいい?」だよ

 

 おはようございます。最近「カチカチ回すと靴ひもが締まるタイプのスニーカー」を履いている子どもをよく見かけます。これだけの説明で伝わった人はきっと実物を見たことがあるのでしょう。

 通常のひも靴では蝶々むすびをしますが、カチカチタイプの靴ではその必要がありません。横についているダイヤルのようなものを回すだけでいいのです。

 筆者も子どものころは、いちいちほどける靴ひもが嫌だったので、子どもたちにはよいのかもしれませんね。どうも、インクです。

 

「してはいけません」ではなく「しないようにするためにはどうしたらいい?」だよ

 学校には「禁止」を意味するルールがたくさんあります。ろうかを走ってはいけません。ポケットに手を入れてはいけません。教室を移動するときに喋ってはいけません。授業のはじまりに遅れてはいけません。

 もちろんそれぞれのルールにはそれぞれの理由があり、集団生活を送る上では必要なものなのでしょう。ただ、それでもやはりうっかりと破ってしまう子どもも出てきます。

 そんなときに大人たちがどうするかというと「してはいけませんって言ったでしょ!」と怒るのです。「怪我をしてからじゃ遅いんだよ!」とか「あなたのために言っているんだよ!」とか言いながら、恐怖をもって反省させようとするわけです。

 そんなようすを見ていると、あまりにも子どもたちが可哀想だなと思います。だって、そのルールは一方的に決められたものです。たとえその理由に同意していたとしても「なぜそのルールが必要なのか」や「どうすれば守ることができるのか」を自分で考える時間は与えられません。

 一方的にルールを教えられて、理由を語られて、半ば強引に「わかりました」と頷かされて。いざ破ってしまったら「あのとき頷いていたでしょ!」と怒られてしまうのです。

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 こんな流れを防ぐためにも、うちのクラスでは事前準備を大切にしています。まずは、その日にクラスとしてがんばることを決めます。

 「全員がチャイムよりも前に授業の準備をしておく」とか「ロッカーの荷物を整える」とか、ありきたりなものばかりです。できるだけ、達成できたかどうかがはっきりとわかるものがいいなと思っています。

 ただ決めただけでは意味がありません。「意識してがんばろう!」と言ったところで、どうしようもないのです。1時間目が終わったころには、もう忘れてしまっているでしょう。

 だから毎朝すこしだけ時間をとって、ミニ作戦会議を行っています。会議の項目は次のふたつ。ひとつ目は「失敗するとしたらいつどんなふうに失敗しそうか」ということ。ふたつ目は「そうならないためにはどうすればよいのか」ということです。

 いたってシンプルなのですが、学校ではこの手間が省かれてしまいます。子どもたちが、その場その場でルールと照らし合わせて判断することができると思っているのでしょうか。これでは「ダメだとわかってはいるけど、特別がんばろうとは思わない」という状態がつづいてしまいます。

 だから、ルールを破ってしまう子どもが生まれ、先生たちはいつまでも注意しつづけなければならなくなるのです。これをくり返していても、お互いにいいことがありません。そうならないためにも、朝のうちにイメージトレーニングをしておくというわけです。

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 このミニ作戦会議は、目標を達成するために進めるわけですが、本来のねらいは子どもたちに1日の見通しをもたせることにあります。「失敗するとしたらいつどんなふうに失敗しそうか」ということを考える中で、今日の時間割を確認し、1日の自分の動きを自ずと想像するのです。

 また「このタイミングでこんな失敗をしそう」と具体的な予想をすることで、1日の途中に旗が立てられることになります。長い1日の全貌を捉えることが難しくても、旗によって細かく分けられた時間軸を捉えることはできるかもしれないというわけです。

 これは大人だって同じです。想像力をはたらかせて、あらゆる可能性を想定することが大切です。 なんのイメージトレーニングもせずに本番をむかえてしまうと「あれが足りない」とか「これができない」とか、その場で慌てることになりますからね。

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 くり返しになりますが、子どもたちに対してこのような「ぶっつけ本番」を要求してしまっている場面があまりにも多いような気がしています。とくに、日常の中に「本番」があるような場合はなおさらです。

 突然「大きな声であいさつをしなさい」と言われたって、戸惑って同然です。 良し悪しは別にして、本当に大きな声であいさつすることを目指すのなら、まずは「なぜ大きな声であいさつをするのか」を考えなければなりません。

 その上で「どんな場面で大きな声であいさつをすることになりそうか」という見通しや「できないとしたらどんなときか」という見通しが大切になってきます。その上で「大きな声であいさつをするためにはどうすればよいか」を考えるのです。

 ここまでやって、ようやく本番に向かうことができます。もし本番でうまくいかなくても、そのやり方ではダメだったという結果が得られたに過ぎません。要するに「次はちがうやり方を試そう」と、次回に繋げることができるというわけです。

 大人の世界ではいたってありきたりなのかもしれませんが、この「想定 → 実行 → ふりかえり → 変更」のサイクルを、自分たちだけで回せるようになってくれればいいなと思っています。そのためにもまずは、大人が「想定」の時間を確保してあげられたらよいのかもしれません。

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【お知らせ ①:本日】

 今週から水曜日の定例会を実験的にはじめます。その名も「こきけんよう」。理想としては、リスナーの方に6つの中からトークテーマを選んでいただいて、スピーカーが30分ほどべらべらと喋ります。そして最後に、減ったぶんの新しいテーマを追加して来週へと繋げます。

 単純に筆者自身が、1週間の折り返しである水曜日にわかりやすい目印があればいいなと思っただけです。継続するためには「気軽」であることと「楽しみ」として存在し続けることが大切です。なかなか難しそうですが、いろいろと試しながら進めていきたいと思います。

 第1回は ともさん(@tomohiro33333)と よしのとおるさん(@tohruyoshino)とお話します。もうひとりくらいスピーカーがいてもいいなと思っているので、興味があればご連絡ください。聞き手としての参加希望も、以下のツイートのリプ欄およびDMにて募集しています。軽い気もちでお越しください。

 

【お知らせ ②:今週金曜日】

 らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)に、ゲストであるイスップさん(@bstogs)を加えて、みんなでおしゃべりをする会「らぱいんざWORLD」を開催します。現在、聞き手および、この4名への質問を募集しています。興味があってもなくてもぜひ遊びにきてください。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

 

 日程:2020年6月26日(金)21時から

 場所:ZOOM

 

◯ 聞き手募集 → 下のツイートにリプ or DM

  (現在14名からお聞きしています)

 

◯ 質問募集 → 下のツイートにリプ

  (現在件いただいています)

 

 

【火】何かを主張するということはどこかの誰かを否定するということ

 

 おはようございます。「ユニクロって行く前は購買意欲があるのに店に入った途端になくなる」というツイートに、意外といいねがついて驚いています。

 みんなおなじように思っているということですね。行く直前は「無地のTシャツを白と黒で1枚ずつ買おう」とか「エアリズムのインナーを買おう」とか。いろいろと考えているんですけどね。

 いざ店に入った途端に、それらの思いがすんと消えてしまうのです。この現象の要因はまだ解明できていません。現時点では「いま買わなくてもいいか」という思いが大きいような気がしています。

 そうなると反対に、予定どおりにちゃんと購入するときにはどのような心理がはたらいているのでしょうか。ユニクロ調査員の皆さん、引きつづきよろしくお願いします。どうも、インクです。

 

何かを主張するということはどこかの誰かを否定するということ

 何かを主張しているということは、その何かを正しいと思っているということです。自信がある人ほど、声が大きくなったり早口でまくし立てたり。

 もしかすると、その意見は本当に正しいのかもしれません。筋が通っていて論理的なのかもしれません。ほかの人に新しい視点を与えるような画期的な意見なのかもしれません。

 ただ、ひとつだけ忘れてはならないことがあります。それは、どんなにすばらしい主張でもどこかの誰かを否定しているということです。

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 たとえば、昨日の記事で「気軽に道を変えられる社会になればいい」と書きましたが、これを主張することで「今いる道をずっと我慢しながら進みつづけてきた人」を否定することになります。

 「みんな仲良くしましょうね」と主張することで「ひとりでいる人」が否定されます。「読書はすばらしい」と主張することで「本を読まない人」が否定されます。「朝日が気もちいい」と主張することで「朝日に苦しむ人」が否定されます。

 「だから何も言うな」と言っているわけではありません。何かを主張するってこういうことだよなあという話です。自覚がないままに、大きな声で主張してしまうと、どこかの誰かを傷つけてしまっているかもしれないのです。

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 自分の正しさへの自信が強くなれば、よくこのような思考に陥ります。みんな仲良くした方がいいに決まっている。読書はすばらしいにちがいない。朝日が気持ちいいのは当たり前だ。そんなふうに思うようになるのです。  

 べつにこれらの主張に「相手を傷つけてやろう」だなんて思いはふくまれていないでしょう。思っていることをことばにした。ただそれだけの話でしょう。

 だからこそ、気をつけなければならないのです。だれかを傷つけることばは、大抵の場合が無自覚です。子どもたちの揉めごとの聞き取りをしていても「そんなつもりじゃなかった」とか「遊びのつもりだだった」とか。そんな声をよく耳にします。

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  ただし「だれかを否定している」ということを気にしすぎてしまうと、それこそ本当に何も言うことができなくなってしまいます。耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間として生きていかなければなりません。

 もちろん人間社会を生きていく限り、そんなことはできません。だからこそ、ことばを選ばなければならないのです。何度も言いますが、まずは「自分の主張がどこかの誰かを否定している」という自覚をもたなければなりません。

 もし「どこかの誰かを否定することになる」という覚悟がもてないのなら、喉元まで出かかったそのことばは飲み込んでしまった方がいいのかもしれません。反対に言えば、ことばを外に出してしまう前に、ふるいにかける必要があるでしょう。

 本当にどこかの誰かを否定する覚悟ができているのか。本当にそのことばでいいのか。本当にその音量でいいのか。本当にその手段でいいのか。

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 言うまでもありませんが、自分の正しさを振りかざして、直接的に相手を否定しはじめたらもうおしまいです。「友だちと過ごさずにひとりでいるなんておかしい」とか、「本を読まないやつはバカだ」とか。

 もちろん意図してそのような言い回しをすることもあるわけですが、それがプラスに働くのは、発言者によほどの信用がある場合だけでしょう。お互いの関係性ができあがっており「正面衝突した方がよい結果が見込める」ということなのであればよいのかもしれません。

 結局のところ、自分が主張することで、どんな人を否定することになるのかを想像する力が大切です。その上で、その人にどこまで礼儀をはらうことができるかです。かつての記事にも書いたように、存在にリスペクトを送ることができるかどうかなのです。

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 もうお気づきかと思いますが、今日の記事も自戒です。きっとこのブログだって、どこかの誰かを否定しているのです。何かを主張しているつもりがあるかどうかなんて関係ありません。ことばをつかって表現している時点でリスクは常に発生しているのです。

 途中にも書いたように、だからといって何かを言うことをやめるつもりはありませんが、絶対に忘れてはならないことだと思ったので、今日はこうして記録しているというわけです。

 本当なら、否定の対象になってしまう相手までをもすくい上げる力があればいいのですが、残念ながら今の自分にそこまでのことはできません。だからこそ、他者への最大限の礼儀を払った上で、まずは自分が楽しく生きることを考えたいと思います。

 その上で、近くにいてくれる好きな人たちを守り、最終的には否定の対象になってしまう相手までをも救い出すことができる人間になれたらなと思います。

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【お知らせ ①:今週水曜日】

 今週から水曜日の定例会を実験的にはじめます。その名も「こきけんよう」。理想としては、リスナーの方に6つの中からトークテーマを選んでいただいて、スピーカーが30分ほどべらべらと喋ります。そして最後に、減ったぶんの新しいテーマを追加して来週へと繋げます。

 単純に筆者自身が、1週間の折り返しである水曜日にわかりやすい目印があればいいなと思っただけです。継続するためには「気軽」であることと「楽しみ」として存在し続けることが大切です。なかなか難しそうですが、いろいろと試しながら進めていきたいと思います。

 第1回は ともさん(@tomohiro33333)と よしのとおるさん(@tohruyoshino)とお話します。もうひとりくらいスピーカーがいてもいいなと思っているので、興味があればご連絡ください。聞き手としての参加希望も、以下のツイートのリプ欄およびDMにて募集しています。軽い気もちでお越しください。

 

【お知らせ ②:今週金曜日】

 らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)に、ゲストであるイスップさん(@bstogs)を加えて、みんなでおしゃべりをする会「らぱいんざWORLD」を開催します。現在、聞き手および、この4名への質問を募集しています。興味があってもなくてもぜひ遊びにきてください。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。

 

 日程:2020年6月26日(金)21時から

 場所:ZOOM

 

◯ 聞き手募集 → 下のツイートにリプ or DM

  (現在14名からお聞きしています)

 

◯ 質問募集 → 下のツイートにリプ

  (現在件いただいています)